詩人 響月光のブログ

詩人響月光の詩と小説を紹介します。

エッセー「ゴジラ、悲しき道化師」&ショートショート「ブラック・マウンテン」

エッセー
ゴジラ、悲しき道化師


 大分昔、手に火傷をしたら食用油をかけろというのが医学常識の時代があった。僕が上野の飲み屋で酒を飲んでいたとき、店員が熱い油を手にかけ火傷をした。僕は「早急に患部を冷やせ」という新しい医学常識を知っていたから、直ぐに水をかけろとアドバイスしたが、彼は酒に酔った僕をジロッと見て、「騙されはしないぞ」といった顔付きで薄笑いしながら横の油をかけ始めた。僕は気分を害し、それ以来その店には行っていないし、彼の火傷がどうなったかは知らないが、きっと病院に行ったら「何で直ぐ水をかけなかったんだ」と怒られたに違いない。そういう医者自身、その数年前までは水をかけたら「何で油をかけなかったんだ」と怒っていただろう。


 僕は若い頃喘息だったが、当時は発作が起きたら直ぐに気管支拡張剤をスプレーしろというのが常識だったし、日頃から予防的にスプレーしろという医者も多かった。しかし、それで多くの子供が心臓発作で死んだため、そんな学説はお蔵入りになってしまった。このように医学界の常識は5年ごとに変わるので、気を付けた方がよい。僕は病気療養中の身だが、手術をしたあくる日に病院の廊下を歩かされたし、退院しても積極的に足を動かせと言われている。しかしひと昔前は、病人は絶対安静というのが医学界の常識だった。


 そんなわけで、数年後には絶対安静が復活する可能性はあるものの(寄る年波で)、いまのところ僕は医学界の常識に準じて、一週間のうち2、3回は近隣を散歩している。僕の病の副作用は金欠症で(実際、菌血症に度々罹る)、少しの散歩で息を切らせるから働けるはずもなく、この歳では求人もないし、悠々自適の振りして生きることに決めた。鴨長明や吉田兼好のような偉人たちの清貧な生き様に無理やり憧れれば、残された時間をなんとか楽しく過ごせると思っているだけの話だ。


 それで数日前、いつもの川の堤に植えられた桜並木を散歩していたわけだが、突然、桜の幹が結構グロテスクなことが気になった。まさか木の根っこに嘔吐したサルトルじゃないし、ゲシュタルト崩壊でもないだろうが、異様な姿の幹たちに異様な感覚を抱いたことは確かだ。きっとそれは、冬の桜は花もなく葉もないから、鑑賞の視線が枯れ枝か太い幹しかなかったからだろう。若い桜には桜細工に見られるような美しい部分もあるが、老木になるにつれ、その肌はサメ肌を通り越し、ゴジラのような荒々しい肌に変わっていく。


 ゴジラがなぜあんな肌をしているのか、映画監督の気持ちが分かった気がした。監督は観客の恐怖感を駆り立てるべく、愛嬌ぎりぎりのグロテスクな怪物を創りたかった。グロテスクの語源は「洞窟的」という意味だが、ゴジラが海底の穴蔵から発生した生物である限り、人々に不快感をもたらす制御されないカオスの宿命を背負って、地上に出てこなければならなかったはずだ。そして彼はカオスを表現した肌で、破壊と発生を繰り返すカオスの力をもって、戦後に復興されつつある都市を思う存分に破壊し、逃げ惑う人々とともにカオスの世界に再度引き戻していく。東京大空襲の再現である。しかしゴジラはカオスだが乱暴なアイドルだ。


 ゴジラは破壊者だが、毎回作者は何らかの意味合いを彼に与えて、現在の統制された世界に生きる我々に伝えようとする。観客は怪獣のその意味合いと細い糸で結ばれたときに、恐怖を超えたある種の共感や親近感が生まれて彼は悲しき負のアイドルとなり、人々は次なる作品を期待することになる。まるで中世の貴族が、王様の城にある洞窟風の広間を見るように、趣味を超えたある種の不可解な宿命を感じる。破壊(消滅)と再生(発生)は、鶏が先か卵が先かの問題で、その本質はグロテスクな洞窟色を帯びていて、それが世の中のベーシック・カラーであることを知っているからだ。桜の肌もゴジラの肌も、きっと年寄りの肌も同じ色合いをしている。そしてそれは恐らく、実際は繊細な中心部を包み込む、頑丈なプロテクターであるはずだ。本質的に生き物の皮は、外界を敵と見なした設計になっていて、周りを威嚇する。そしてそれにガードされる中身には、ゴジラも桜も人も、悲しい生き物の宿業が体液となってうっすら流れている。  


 外皮は外部から数多くのカオス的攻撃を受け、傷の修復を繰り返しながらカサブタを重ね、黒染みでくすんでいったに違いない。僕の皺だらけの褐色肌も、桜やゴジラと同じに、長年多種多様な外部攻撃を撥ね退けてきた結果だ。しかし敵は外だけでなく、病気の多くは内側から発生する。これには誰も勝てないし、皮の外側からはなかなか分からない。ゴジラに内なる病気があるとすれば、それは映画館を埋め尽くす観客の「破壊願望」や「死の欲動」の吐息を敏感に察知して暴れ回る、確信犯的ショーマンシップに違いない。ゴジラは結局ピエロ的なゆるキャラで、監督という調教師の鞭のもと、観客の受けを常に気にして暴れまくる。そして映像の中で都市は存分に破壊されるが、これには三種類の破壊様式があるだろう。


 再生や復興は、破壊がなければ始まらない。例えば「スクラップアンドビルド」という言葉があるが、それは効率の悪くなった古い設備を壊して新しい設備に替え、会社や産業界、国、さらには世界を発展させていこうという意味合いが含まれている。だから日本語に訳すと、「創造的破壊」という言葉になる。この意味は「自らを破壊して新しい自分になること」だ。それは、蛇や昆虫が脱皮して、大人に成長することと同じ意味合い、あるいは自らが成長するために自らに試練を与えることと同じ意味合いになる。昆虫の脱皮は、創造的破壊なのだ。


 しかし、個体は必ず老化して死を迎える。蛇も昆虫も人間も、個体としては死んでいく。だから彼らは必死になって、子孫を残そうとする。雄と雌が交わって子供をつくり、その子供たちは種を継続させていく。この繰り返しが世界のどこかで続いていく限り、蛇も昆虫も人間も、進化というイメチェンはあるにせよ、滅亡することはないだろう。彼らが創造的破壊を繰り返す限りにおいて、彼らが滅亡することはないはずだ。


 ところが、破壊には創造的破壊の他に、「再生的破壊」というものがある。それは地震や噴火、気候変動などの天変地異による破壊、種間闘争による破壊、同種内闘争による破壊等、自らの意思ではなく、自然の意思、他者の意思による破壊で、これは自らが望んだものではなく、悲劇性を伴っている。相手が自然であれ他者であれ、崩された積み木を再び積み上げ、シジフォスのように転がり落ちた岩を再び山の上まで運び上げなければならない。戦後復興も、震災復興も地球上のどこかで、毎年のように繰り返されている。


 人間に限らず、地球上のあらゆる生物が創造的破壊と再生的破壊を繰り返しながら、種を継続させてきた。そして再生的破壊の場合は、その破壊力が再生力を上回ったとき、その種は絶滅することになる。これが「絶滅的破壊」だ。レッドデータブックに入れられた生物の多くが、人の手を借りなければ、自らの再生力を発揮できずに滅んでいく。ウクライナもアメリカの手を借りなければ、滅ぶだろう。そして人類もレッドデータブックに入れろと主張する学者も出てくるわけだ。その理由はもちろん、科学のパワーが創造的破壊の域を越えて、いまや再生的破壊も通り越し、絶滅的破壊の域に達してしまったことによる。その象徴的存在がゴジラであることは明白で、もはやゆるキャラ・ゴジラは文明終焉の象徴ということもできるだろう。彼は核の象徴で、核は絶滅へ向かう手段だからだ。


 創造的破壊の最終目的は世界の発展だ。その理由は、創造的進化が人類すべてに寄与すべきものだからだ。しかし「アメリカファースト」「東京ファースト」という言葉があるように、人類の共通資産である創造性は地域に分散させられ、その地域が覇権争いのツールに利用してしまっている。そしてその覇権争いの結果が、ウクライナやパレスチナに見られる戦争や紛争で、これらがいずれ終結するのであれば、人災による再生的破壊に分類され、和平後には再生が試みられることになる。再生的破壊がもたらす人類の悲劇は、一部地域に限定され、多くの無関心者がその悲劇を無視することも可能だ。しかし、プーチンがチラつかせる核戦争となると、話は違ってくる。核は「絶滅的破壊」のパワーを秘めているからだ。


 水爆は、大量の人間を一瞬で殺すために創られた破壊兵器だ。それは人類に貢献するのではなく、〇〇ファーストに貢献する発明品で、ロシアがそれを使えば、「ロシアファースト」の理想を具現するためということになる。当然のこと、ロシアの核使用が導火線となり、「アメリカファースト」「イギリスファースト」「〇〇ファースト」の国々が連鎖反応的に核ミサイルを打つから、人類は絶滅の危機に陥ることになる。


 ゴジラは度重なる水爆実験の申し子として、眠っていた水生恐竜が核パワーを全身に漲らせて再生した。人類は必死の抵抗で、最終的にゴジラの体を粉々にして退治した。しかし、洞窟の天井からは石灰水が滴り、知らぬ間に成長して、更なるグロテスクを生み出していくように、肉片となったゴジラは、いまもどこかの海底でG細胞を使ってヒトデのように再生を始めており、次作で再び暴れることになる。80億の人類一人ひとりを、必死に生きようとする細胞に譬えることができるように、G細胞もまた、生き物である限りは、殺されても生への執着心は失わず、必死に再生しようとする。その生命力は木々の執念と変わらない。切り倒された大木は、切り株から芽を生やし、いずれ大木に再生する。


 桜たちも人々の知らぬ間に、生き残るために成長を続けている。けれど美しい花を咲かせるソメイヨシノはゴジラと同じに、人間の手で創られたものだ。ゴジラもソメイヨシノも自然交配によって子孫を残していくものではない。ゴジラは人間の創った「水爆」の力を借りてパワーアップし、トカゲの尻尾みたいな再生力で何度も生き返り、鬼っ子となって人類の悲劇性を訴えるが、残念ながら観客はそれに破壊願望の満足感で応える。一方ソメイヨシノは、人の意思がないと増え続けることはできない。風の力で思う存分花粉を振り撒く自由を、美の代価として江戸の昔に奪われた哀れな植物だ。その哀れさは、恐らくゴジラの出生の秘密と重なり合うところがあるだろう。人類はゴジラも桜も、自らの滅亡手段も作出した。


 彼女たちは植物の性(さが)とも相まって、ゴジラのようには自力再生できずに接ぎ木されて、人々の気まぐれの場所に植えられていく。坂口安吾は満開の桜の不気味さを描写したが、川沿いに整列させられた花も葉もない桜たちを見ると、鎖に繋がれ引かれていく奴隷たちの哀れな姿を連想させられる。満開の桜も、川端のソメイヨシノも、きっと何か不気味な信号を発して訴えているが、人間たちの耳には聞こえない。しかし神から運動能力を与えられたら、ゴジラのように大暴れを始めるかもしれない。「何で惨めなゆるキャラをつくったのよ!」


 ソメイヨシノの美しい花弁は、人間を喜ばせるだけのものだ。恐らくゴジラもソメイヨシノも、人の欲得から派生した幇間(ほうかん)の悲しみを背負いながら、ひょっとこの面を被って悦楽の中で踊る気まぐれ人たちが、酔いしれて倒れるまで、生き死にを繰り返すに違いない。それが続けば続くほど人類の滅亡は先延ばしされ、レッドデータブックから除外されることもないだろう。どこの奴らがしぶとく生き残るかの問題だからして……。


 


ショートショート
ブラック・マウンテン


 夫婦は遠いピルモントから汽車に乗って、この地にやってきた。昔、カーリュの終着駅は外国の駅と繋がっていたが、最近大きな戦争が起きて、カーリュ川に架かっていた鉄道橋が爆破され、そのままになっている。この戦争で、ピルモントの子供たち130人が敵軍に拉致されていなくなった。その中に一人息子のプルーニャも含まれていた。


 妻はプルーニャの失跡後、一年経った春の夜に気が触れた。彼女はもう、プルーニャのことしか考えなくなった。一日中、プルーニャプルーニャと小鳥のように口走り、家の中で泣いていた。妻が手にするものはすべてがプルーニャだった。彼女は家事も料理もしなくなったので、夫は仕事が手に付かなくなった。彼はプルーニャの代わりに、捨て犬を拾ってきて妻に与えた。妻は子犬をプルーニャと呼んで、息子のように手厚く世話をするようになった。犬のプルーニャは子供部屋をねぐらに、部屋に残るプルーニャの匂いを嗅いで育った。


 犬のプルーニャが二歳になった春、妻は愛犬とともに家出をした。夫はそれを予測していて、あらかじめ親類から旅費を借りていた。夫は納屋に置いていたリュックサックを背負い、まずは敵国の方角に向かった。そうして細い畑道を犬と一緒にとぼとぼ歩く妻に追い付いた。「ばかだな、なぜ一人で出かけるんだ?」「プルーニャと一緒よ」「そうだったな。じゃあ、家族でプルーニャを探しにいこう」


 プルーニャは率先して夫婦を導いていった。細い畑の道は、敵の敷設した地雷を踏む危険があったが、二人はすっかりプルーニャを信じていたので、気にすることはなかった。妻はプルーニャを息子の化身と思っていたし、夫は妻の行動から奇跡が生まれると信じる以外に、息子と再会する方法を見出すことはできなかった。プルーニャは二人を先導するガイドのように、途中で迷うこともなく、東に向かって進んでいく。すると畑の道は終わり、軍用トラックの行き来する国道に出た。


 一台のトラックが停まって、運転手が側道を歩く夫婦に声を掛けた。「乗ってくかい?」 妻は息子の残り香が途切れてしまうことを恐れたが、プルーニャが前輪に前足を掛けたので、息子の導きだと思った。二人は助手席に乗り、夫はプルーニャを膝に乗せた。運転手は「どこへ行くんだい?」とたずねた。「分からないんだ。この犬に付いて行くだけさ」と言って、夫は悲しそうに微笑んだ。プルーニャは、窓からしきりに外を眺めていた。それを横目で見た運転手は、「どうやらこの犬は、ここいら辺の景色を知っているようだな」と呟いた。すると妻が、「プルーニャは他の子とトラックに押し込まれて、ここを通ったのよ」と答えた。「犬殺しの車かい?」「いいや、人さらいの車さ」と夫が言った。 運転手は舌打ちして、「奴らに連れ去られた子供たちのことかい?」と聞いた。「そうだ。親たちはうろつく以外に何もできないんだ」「嗚呼……」


 運転手は溜息を吐く以外、返す言葉を見失った。その時、プルーニャがワンワンと吠えたので気を取り直し、「どうやら近くの駅に降ろしてくれと言ってるようだぜ」と妻に向かってウィンクした。そのとき運転手の閉じた目じりから涙が流れ落ちた。夫婦は駅まで送ってもらい、運転手は「グッドラック」といって国道に戻っていった。二人と一匹はそこから汽車に乗った。きっと息子のプルーニャも、同じように汽車に乗せられ、カーリュ川を渡っていったに違いない。


 プルーニャは、線路の横の小道を進んでいった。すると遠くに橋のアーチ部分の鉄柱が三本だけ、残骸となって立っているのが見えた。プルーニャは脇道に逸れて、河辺の方に向かっていった。そのとき、口笛で一斉に囃し立てるような鳴き声がして、バタバタとシギの群が草むらから飛び立った。「子供たちが喜んでいるわ」と妻が呟く。夫にはその羽ばたきが、何か場違いな場所に足を踏み入れてしまったような気にさせ、胸騒ぎがした。


 案の定、兵隊が三人、銃を構えてやってきた。夫婦が丸腰なのが分かると、兵隊は銃を下に向け、「こんな危険な場所で犬の散歩かい?」といってシギのような口笛を吹いた。「ここはそんなに危険なのかい?」「どこに地雷があるか分からないさ」と仲間が答えた。「僕は妻と、敵に連れ去られた息子を捜しに来たんだ」 すると三人とも悲痛な顔つきになって、一人が「ピルモントの子供たちかい?」と聞く。「そう、僕たちのような連中がここに来るのかい?」「ああ、よく来るんだ。しかしあの橋を見て、肩を落として帰っていくのさ」 橋げたはほぼ落ち、遥か遠い向こう岸に向けて、橋脚だけが手持無沙汰に整列している。「息子たちは汽車に乗せられて、この橋を渡っていったわ……」「あんたたち、政府から話は聞いていないのかね?」「政府に問いかけても、まだ見つかっていないと返してくるだけさ」 兵隊の一人が「じゃあ付いて来いよ。政府より詳しい奴を知ってる」というと、兵隊たちは踝を返して、道を下り始めた。百メートル以上離れた草むらに対岸から飛んできた砲弾が着弾し、大きな音と煙が舞い上がった。兵隊たちと夫婦と犬は、耳でも遠いように何の反応も起こさなかった。一人が後ろを向き、「時たま爆弾が飛んでくるが、運が良ければ当たらないさ」といってニヤリと笑う。


 葦で覆われた川辺に、転々と迷彩テントが張られ、その一つの前に三人は止まって、「隊長、お客さんです」と声を掛けた。中から上着を脱いだ黒シャツの中年男が出てきて、夫妻を睨みつけ、「ここは戦場だ。民間人が来る場所じゃない」とたしなめた。「ピルモントの子供たちの親です」と兵隊がいうと、隊長は急に悲しい顔つきになって、「さあ我が家にどうぞ」と夫婦をテントに誘い入れた。


 テントの中は、簡単な調理道具と食糧品以外は、寝袋があるだけだった。隊長は寝袋の上に座り、夫妻は草の上に敷かれたシートに座って、互いに挨拶した。「俺はここに来た五十組近くの親に、子供たちのことを話してきたんだ。政府はかん口令を敷いてるが、俺はそんな命令に従う意思はない。だから、あんたたちに俺の知っていることをすべて話そう」といって、隊長は汚い金属製のコップにポットのコーヒーを入れて、妻に差し出した。妻はそれを夫に渡し、夫は思い切り飲み干した。


 「あなたはプルーニャがここに来たことを知っているのね?」 妻がたずねると、隊長は頷いた。「あんたたちの子供があのピルモントの子たちの中にいたなら、答はイエスだ」「ピルモントの子たちは汽車に乗って、この橋を渡っていった?」 夫がたずねると、隊長は頭を横に振った。「渡っていったことは事実だが、渡り切れたかどうかは分からない」 隊長は曖昧な答え方をしたので、「それはどうして?」と妻は言ってプルーニャを強く抱きしめた。


「戦争だからな。すべてが混乱している。俺の部下だって、戻ってこなければ少しは捜そうとするが、あくる日には諦めてみんな各自の任務に専念する。死んだのか脱走したのか、そんなことは分からないのさ。そいつが帰ってこなければ、どちらかと思って、諦めなけりゃならない」「しかし、怪我をして苦しんでいるとすれば?」と夫が聞いた。すると隊長はきつい目をして「ここはそんな想像を働かせる場所じゃないんだ。敵の殲滅を想像するだけで目一杯さ」と続けた。「しかし、あんたたちの子供が置かれた状況を話すことはできる。俺はそれ以外、何の手助けにもなれない。俺の話は、あんたたちの子供を助ける話じゃないし、希望を持たせる話じゃないし、絶望的な話でもない。何の解決ももたらさない話さ。いや、あんたたちの希望を半分削ぐような話かもしれない。それでも聞きたいなら話そう」 二人が無言で頷くと、隊長は語り始めた。


 「あの橋を見ただろ。あれは30年前に橋向こうの国との友好を祝って造られ、鉄道で行き来が始まったんだ。橋の真ん中から向こう側はあいつら、こちら側はうちらが金を出して、両国の土建屋が一緒に造って開通した。ところが5年前に、あっちの国のおかしな野郎が大統領になって、こっちの国のここら辺はあっちの国の領土だとわめき出したのさ。それで3年前に突然、こっちの国に戦いを仕掛けてきた。あまりに突然だったので、我が軍も準備ができておらず、後退に後退を重ねて、あんたたちの住むピルモントまで取られちまった。しかし我が軍は相手が思ったほど弱くはなかった。徐々に劣勢をばん回して形勢を逆転し、橋の向こうまで追い返すことができたんだ」「あんたら命知らずの英雄のおかげさ」と夫が合いの手を打った。


「しかし、市民にもそれなりの犠牲があったさ。形勢が悪くなった奴らが後退するとき、手土産にいろんな財産を略奪し、その中に可哀想な子供たちも含まれていたんだ。あいつらは子供たちを兵隊に育てて、俺たちと戦わせようとしたのさ。いや、きっと撤退時の盾にしたかったんだ」「この橋はいつ頃壊されたんだい?」と夫が聞くと、隊長は眉間に皺を寄せ、悲痛な面持ちで呟いた。「悲惨なことに、橋は奴らが撤退するときに合わせて爆破された」「……ということは」「俺のせいじゃない。俺たちは、橋を爆破するから爆弾を仕掛けろと命令されたんだ。それで夜中のうちに橋の至る所に爆弾を仕掛けた。奴らは16両編成の汽車に、略奪品や傷病兵を含めた多くの敵兵が乗って、撤退の準備を始めているという話だった。司令部が言うには、途中で汽車を攻撃すると、敵兵は蜘蛛の子を散らすように付近に逃げ出すから始末に悪い。橋の上で汽車ごと川に落とせば、住民の被害も抑えることができるというわけだ。しかし、俺たちは知らなかったんだ。恐らく、上の連中も知らなかったに違いない」「何を!」 急に妻が大きな声を発したので、隊長は叱られた猫のように首を縮め、下を向いて呟いた。「子供たちが途中で乗り込むなんて、誰も予測できなかった……」


 妻は大声を張り上げて泣き出し、プルーニャはクンクンと妻をいたわり、頬の涙を舐めた。夫は無言のまま震えて、涙を流していた。それを見て隊長は気を取り戻し、牧師のように背筋を伸ばして説教を始めた。


「俺は訪ねてくるみんなに言ってるのさ。神を信じなさいと……。長い汽車が鉄橋に掛かったとき、先頭から半分までは、川の真ん中の国境を越えていた。そっちに爆薬は仕掛けていなかったのさ。俺たちは、前の半分を爆破すれば、汽車の惰性ですべてが川に落ちると考えていた。しかしスイッチを押すのが遅れて、後ろ半分が爆破され、川に落ちていった。前の半分はそのまま逃げおおせることができた」


「もし前の半分に息子が乗っていたら……」 夫は声を震わせながらたずねた。「敵国のどこかで生きているはずだ。あんたたちは、それを信じるべきだよ。俺たちは毎日のように仲間が死んでいくのを見ているんだ。奴らは天国から俺らを見守っている。しかし、俺は死ぬまで仲の良かった連中と再会することはないんだ。あんたら息子さんと再開したいなら、生きていることを信じるんだ」「でも私がここで死んだら、いずれは再会することができるのよ」


 何の抑揚もない妻の言葉に二人は驚き、顔を見合わせた。隊長は笑い飛ばすように「ばかな」と返し、「いつ死のうが、いずれは会えるさ」と続けた。「しかし俺は死なないようにしている。俺は大切な兵力なんだ。死んじまったら、国のためにならないからな。仮にあんたらの子供が50パーセントの確率で生きていたなら、再会するまで、あんたらは死ねないんだ。だって息子が悲しむのは嫌だろ。つまり、息子が100パーセント死んだと分かるまでは、あんたらは死ねないことになる。ならば、仮に一生会えなかったとしても、あんたらは人生を全うすることになる。長い人生なら、悲しい息子と暮らしちゃだめだ。幸せな息子を思い浮かべて夫婦で共有し、思い出の中で楽しく暮らしていくのさ。俺はいつも、死んだ仲間と夢の中で冗談を言い合ってんだ。もちろん、軍服なんか着ちゃいない。みんな、思い出に助けられて生きていくのさ」「私の思い出はこの子」と言って、妻はプルーニャの垂れた耳にキスをした。


 夫婦がテントから出ると、プルーニャはしきりに川のほうへ行きたがった。隊長はそれを見て、「あんたらの上官が、敵陣へ潜入せよと命令しているぜ」と言って笑った。「どうやって行けばよろしいの?」 妻が真剣な眼差しでたずねるので、隊長は慌てて訂正した。「渡れば、たちまち捕まって牢屋行きだ」「構わないわ。だって、息子のプルーニャがママ来て、ママ来てって叫んでいるんだもの」「この犬の命令は、あなたの上官の命令に等しいんだ」と、夫も妻の味方をする。隊長はしばらく呆れた顔をしていたが、「まるで軍隊のようだな」と苦笑いした。「軍隊では上官の命令は常に苛酷だ。確かに俺たちは敵軍を敵国に追い返した。しかし上官は、それだけじゃ満足せず、兵隊をだらけさせないために次なる命令を下す。今朝受け取った命令は、向こう岸の敵陣に夜襲を仕掛けることだ。奴らは再びここを侵略しようと準備を始めている。そいつをいまから叩き潰そうっていう作戦だ」「……ということは」「そう、今夜5艘のゴムボートで川を渡り、敵地に潜入する。命を捨てる覚悟があるなら、あんた方を同乗させてやってもいい。あんた方が味方のスパイだと俺が言えば、きっと許されるだろう。しかし犬はダメだ。いつ吠えるか分からないものな」 夫は無言でプルーニャに「吠えろ!」と言うと何度も吠え、今度は「黙れ!」と言うとピタッと止まった。それを見た隊長は「了解だ」と言って犬の頭を撫でた。夫婦は小さなテントをあてがわれ、水や夕食すら供給された。そして午前零時を過ぎた頃、呼び出された。


 夫婦は、隊長を含め5人の兵隊が乗るゴムボートの真ん中に乗せられ、向こう岸に着くまで顔を伏せていろと命令された。兵隊は全員黒いドーランを顔に塗っていた。隊長を除いた四人がパドルを漕いで、隊長は暗視ゴーグルで対岸を見つめていた。ボートは橋から大分下流に流されて対岸に着いた。兵隊が3人ボートから降りて、腰まで水に浸かりながらそいつを岸まで引いていった。水際で全員が降りてボートは葦の茂みに隠され、隊長は夫婦に「グッドラック」と言って軽く敬礼し、兵隊たちは全員攻撃目標の方角に消えていった。


 葦の切れ目までプルーニャを抱いていた夫は、そこから草むらに降ろしてリードを握った。プルーニャは探知犬のように付近の臭いを嗅ぎながら暗闇の中を進んでいき、ハアハアと土手の急勾配を登っていったので、二人も息を切らせた。すると崖の上に、月明かりに光るアスファルトの道が現れた。この道を橋に向かって進めば、流された分を取り戻すことができる。川と反対の崖下に、数軒の人家の屋根が光っていた。しかし暗闇の中でも、崩れていることがはっきりと分かった。おそらくここら辺の住民は、安全な場所に疎開したに違いない。突然プルーニャが、廃屋たちの方向に向かう下り道を降りようとしたので、二人は戸惑った。「なぜプルーニャはこんな寂びれた村の田舎道に降りようとするんだろう……」


 二人はプルーニャが前半分の車両に乗っていて、川に落ちることなく遠くの大きな町に連れていかれたと信じていた。道の分岐点に表示板が立っていて、「ブラック・マウンテン」と書かれている。妻が震え声で「あそこだわ」と呟いた。「ああ、楽しい思い出の場所だね」と夫も呟いて、妻の額にキスをした。昔、二つの国の関係が良好だったとき、夫と身ごもった妻がこの地に遠足に来たことがあった。「あの頃は幸せだったわ……」「僕たちのプルーニャは、君のお腹の中で眠っていたね」「私たちのプルーニャ、私たちの赤ちゃん……」 妻は嗚咽しながら、夫の胸にしがみ付いた。


 そのとき、森の向こうで何かが光り、大きな爆発音がした。驚いたプルーニャがワンワンと吠え立てる。しかし、廃墟となった家々からは誰も出ては来なかった。彼らが石油タンクでも爆破したのだろう。炎の光が雲に届き、照り返しで村の道がくっきりと浮かび上がった。「手を繋いでこの道を降りていったね」「あそこの店でソフトクリームを買ったわね」 二人が手を繋いで店の前を通ると、家屋は崩れ、道沿いに埃をかぶったカウンターが残っていた。妻はカウンターに転がっていたコーンを二つ拾い、一つを夫に渡した。「私とあなたとプルーニャの幸せに乾杯」 コーンはたちまち粉のように崩れて、二人の手から逃げていった。二人が足元を見ると、照り返しで石畳のすべてがオレンジ色に染まっていた。


 ブラック・マウンテンは崩れ果てた村の名前であり、その奥の小さな山の名前でもあった。山全体がはんれい岩でできていて、所々に大きな岩が転がっている。道は村を過ぎると急に登りとなり、岩々の間を縫うように山頂に向かう。300メートルの展望台からは、カーリュ川やその周りの広大な穀倉地帯を見渡すことができた。プルーニャに導かれながら登るほどに、二人の心に乗っていた重石が徐々に小さくなっていくような感じがした。頂上まであと10メートルのところで遠くの炎が消え、急に辺りが暗闇になった。月も星も、すっかり雲に隠れてしまっていた。


 そのとき、夫婦は奇跡を見た。目の前の大岩が急に光り出し、大きな穴が開いた。驚いたプルーニャがワンワン吠えながら、夫がリードを落とした隙に穴の中に駆け込んだ。夫は慌てて穴に入ろうとして、中からの風に押されて尻もちをついた。妻が夫に駆け寄り、夫の肩に両手をかけて跪き、喜びに満ちた顔で「アーメン」と唱えた。夫は手を合わせて「アーメン」を復唱した。


 プルーニャはプルーニャに抱かれていた。そこは青空の下、一面の花畑にプルーニャを真ん中に、多くの子供たちが集っていた。「お父さん、お母さん、心配しないで。僕たちはいま、天国で遊んでいるんだ。安心して戻ってください。死んだ人たちはまた起き上がり、その祝福された日に、再び天国で会えるんですから。その前にお父さん、お母さんにお願いがあります。僕たちと一緒だった友達が、地獄のようなそちらの世界で、いまも苦しんでいるんです。お父さん、お母さんはその子たちを連れ戻し、本当のお父さん、お母さんの許に返してやってください」


 プルーニャはプルーニャを放し、ワンワンと吠えながら、再び夫婦の許に帰ってきた。するとたちまち天国は消えて黒々とした岩肌に戻り、それに代わって山の裏から金色の光が昇り始めた。二人はスッキリとした気分になって展望台に登り、朝日を浴びながら、豊富な水をたたえるカーリュ川と、どこまでも広がる豊かな国土を見下ろした。「さあ、プルーニャにまた会うまでに、やらなければならない仕事ができたわね」 妻は昔のように心を弾ませながら、プルーニャの前に立って山道を下り始めた。


(出典:能『隅田川』及びB.Britten『Curlew River』)


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