詩人 響月光のブログ

詩人響月光の詩と小説を紹介します。

エッセー 「議員さん、大谷翔平に憧れるのやめないで!」 & 詩

エッセー
議員さん、大谷翔平に憧れるのやめないで!


 自民党はいま、パーティー券のキックバック不記載問題で危機に瀕しているが、報道を見ていると一部の有力者を除き、多くの国会議員はパーティーや支持者の冠婚葬祭、地元後援会のイベント出席や自身の講演会等々で日々忙殺されているらしい。そうした支持者たちとの交流の中で金が使われ、昔風にいえば菓子折りの底に札束を置くことも間々あるといった話だ。裏金工作で再選が叶ってバレなければ、一応政治の専門職を続けられるが、理化学研究所などの専門職とは似て非なる立場にあると言えるだろう。


 政治家も研究者もともに求道者だが、政治家は定期的に選挙があって、落ちれば失職する。研究者は定期的に管理部門の審査があって、成果が期待できなければ失職する。政治家は栄誉ある国会議事堂の議席を失い、研究者は高額機器が揃ったラボを失う。しかし決定的に違うのは、政治家の運命を決めるのは有権者という素人で、研究者の運命を決めるのは同学の上司か所長だ。つまり無能な研究者は社長から首を切られる無能社員と同じ立場で、国会議員は人気が出ないで事務所から契約解除されるタレントと同じ立場ということ。両者とも刑事事件でクビになるのは同じだが、基本的に研究者は実力が支配する世界に生きていて、政治家は人気が支配する世界に生きているということなのだ。


 最近「次の首相になってほしい議員ランキング」(FNN)が出たが、石破茂氏と小泉進次郎氏が一、二位を争っている。石破氏はいままで首相になることはなかったが、部外者(非主流)として歯に衣着せぬ言論が庶民の人気を呼び、いまのごたごたで急浮上している。しかし党内での人気は低く、過去4度首相選で落ちている。若い小泉氏が庶民に人気なのはルックスと親譲りの歯切れ良さで、彼は元有名人ではないがタレント議員的存在だ。たとえ元首相の息子でも、見栄えが良くなければ首相候補などという声は聞かれないに違いない。


 政治家は優れた政策や資質で選ばれるべきとされているが、実際には「地盤、看板、カバン」といわれるように、「後援組織、知名度、集金力で決まる」という。つまり、地元の応援で小選挙区を勝ち抜くわけで、そのためには政治ノウハウを身に着ける前に、地元とのコネクションノウハウを研かなければならないことになる。研究者は自分の研究テーマを昼夜考え続けていれば何かしらの成果を得て、クビになることはないだろう。しかし政治家は、政治学(政策研究)という経済や国際関係を含めた膨大な知見の集積物を勉強すると同時に、地元接待学・党内接待学・社交学という極めて即物的な学問を習得しなければならない。医学者でいえば研究医と臨床医を掛け持ちするようなものだ。これはまさに二刀流で、大谷さんのような天才でなければ両立は難しく、政治学のほうは官僚に任せて印を押すだけになってしまう場合が多い。いくら頭の良い政治家でも、地元との付き合いや党内での立ち振舞いばかりに忙殺されれば、政治手腕も鈍ってしまうのは当然だろう。もっとも日本では、大学の研究者も雑事が多くて金も少なく、ノーベル賞クラスの人も海外に逃げ出している。


 しかし、世界があらゆる面で危機的な状況に陥っている現在、政治家に求められているのは専門的かつワールドワイドな手腕で、地元ファースト的な接待学ではないはずだ。同じ接待費用でも、それが外交に使われるのは必然としても、裏金的に有権者工作に使われるのだとしたら、スウェーデンを見習って法律的に是正しなければならない問題になる。「地盤、看板、カバン」に固執する議員が法律の改定を阻むとすれば、むしろ地元の有権者が意識を変えなければならない時が来ているのだと思っている。国会議員は国&世界ファーストで実力を発揮する役目があり、透明かつスッキリとした制度の中で、憂国&憂世界の志を持つ議員が増えていくことを望みたい。


 「朱に交われば赤くなる」という諺がある。党派内では、初当選の議員が次第に党派色に染まっていく。反対に独自の政治理念を主張し続ければ周囲から浮き立ち、「白鳥は哀しからずや空の青海のあおにも染まずただよう」と宙ぶらりん状態に陥り、役職を掴むことはできないだろう。彼らが学ぶことは、派閥の領袖に面従して順番待ちしながら好機(ポスト)を窺うことだろうが、党自体が危機的状況に陥ったときには、批判的な立場の人間がトップに躍り出るチャンスは到来するかもしれない。仮に党内野党的な石破氏が首相になったとしたらそんな感じだろうが、結局国民の支持があるからそうなるので、哀しいかな政治家は所詮タレントなのだ。


 首相になってから引きずり降ろされた歴代の面々も、結局外貌や態度(話下手とか)で国民的好感度の低かった人々だ。彼らのルックスがもう少し良かったら、歴史は変わったかも知れない(とは思えないか……)。このタレント性は歴史的に、クレオパトラの鼻しかり、ナポレオン、ヒトラー、プーチンの牽引力しかりとなれば、しばしば恐ろしい結果を招く。しかし、政治家がタレントだとすれば、アメリカ並みにもっと話術や表情を研いても良さそうだ。吉本のお笑い教室に通うのも手だろう。もっとも口は災いの元で、ジョークに難癖付ける日本人は多いので気を付けたほうがいい。しかし失言を恐れてアルマジロのように丸まっていては国民の人気も下落する(誰だかいわないが……)。


 こう考えてみると、やはり大谷さんが理想的な政治家像だと思えてくる。容貌、実力、親しみやすさの三拍子。要するに天才でなければ、国を動かす政治家にはなれない。動かすのは政府だが乗せられて動くのは国民だ、つまり国民の心を吸引する魅力がなければ偉大な政治家にはなれないということなのだ。しかし、三拍子だとパーティー券で酒を飲みながらワルツを踊る羽目になる。大谷さんが偉大なのは、求道者はそれに二つ加えた五拍子でなければならないと示唆したことだ。一つは、二刀流という誰も成し得なかった夢を実現した精神力。彼は努力の鬼で、ずっと球場や練習所と自宅を行き帰りするだけの生活を続け、街を散策することも仲間と夜の街に繰り出すこともなかった。つまり野球の神様といわれるために、渡米以来6年間禁欲生活を続けていることになる。これからドジャーズで10年間同じ生活を続けることになるなら、9年間座禅して悟りを開いた達磨禅師よりも長い修行になるだろう。


 すると当然のこと、最後の一つは「清く正しい心」ということになる。心を濁すのは雑念で、それを払拭する精神修業は解脱(野球を極める)を伴い、神の域に導いてくれる。しかし神には善神と悪神がいることを知っているだろうか。野球の神様はもちろん善神だが、政治の神様には善悪二神存在する。マルクス・アウレリウスを始めとするローマ五賢帝は善神を夢見ただろう。しかし、ヒトラーやプーチンが夢見る神様は悪神に違いない。人類を絶滅させるかも知れない武器が存在する現在、しばしば戦いの神に変身するシバも、自己中的ゼウスも、腕力で事を制するとしたら善神とはいい難い(インド人には悪いが)。悪神は暴君と同じだが、善神はキリストや釈迦のように悪人をも救い上げてくれる心の持ち主でなければならないだろう。哲人君主マルクス・アウレリウスはそんな心を持っていた。


 政治家になるからには、誰もが「日本を変えよう」「世界を変えよう」といった志を持ち、政治の神様と呼ばれる理想を夢見たに違いない。ところがなってみると、そこは派閥の論理が支配して自由な発言もできず、下っ端が上の顔色を窺う世界だった。そこはピラミッド社会を縮小したような、何年か我慢すれば上に行けるプチピラミッドが乱立し、札束の嵩で飛び級が可能だった。仮に大谷さんのような清き正しい天才が入ったとしても、年功序列や金銭序列をかき乱す輩として潰されてしまう。それに抵抗しようとすれば、美容整形でもして大谷さんに似せ、タレント性を獲得して世俗の人気を盛り上げる以外にないだろう。改革派若手議員の必須アイテムは結局ルックスというお粗末な政治風土で、それでも政治家の究極目的が首相の座だとすれば、せめて選挙の前に二重まぶたの手術ぐらいはしたほうがいい。いずれにしても自民党の盛衰は若手議員にかかっている。


 若手議員の心臓はまだ朱に染まっていないと信じたい。高邁な政治家の目的は「日本を変えること」「世界を変えること」だ。この所期の志を達成するには、様々な権謀術数が飛び交う院内党内で、肉体は朱に交わりながらも、志だけは赤く染まらぬように立ち回らなければならない。それは外科医のような特殊な技術、あるいは大谷さんの微細なバットコントロール技術と似ている。外科医は手術の途中でメスを投げるわけにはいかない。大谷さんは莫大な契約金で、進化を止めるわけにはいかない。政治家だって応援してくれた有権者の期待に反するわけにもいかないだろう。それには不正で足を掬われない技術を磨き、陰惨な権謀術数に対抗する権謀術数を研き、立ち回り技術を研き、同時に支持者や有権者に嫌われない技術を研くことも大事だ。


 けれどそれらは大事であって大事でなく、画竜点青を欠いている。それらは単になあなあの人間関係を構築する技術、ないしは当選する技術で、政治家の真の目的である「日本および世界を変える」政治学(政策)的技術とは異なるものだ。いま悪神の元でプーチンは「世界を変える」政治手腕を駆使している。しかし日本の政治家の究極目的は、平和の女神という善神の元で「日本および世界を変える」政策を推進することだ。当然のことだが、党内のゴタゴタや議会のゴタゴタでそれを滞らせてはならない。現にアメリカでは、議会のゴタゴタでウクライナ支援が滞り、ロシアが息を吹き返している。このままトランプが当選してアメリカファーストが隆盛となれば、民主主義の正義は砕け散り、権威主義の正義が勝利することになる。日本の国会も自民党のゴタゴタで、ウクライナ戦争はもとより、大阪万博も先行き不透明な状況になりつつある。大阪万博はどうなっても大きな問題ではないが、ウクライナが敗北すれば、民主主義は壊滅的な打撃を受けることになる。パレスチナ地獄も、日本は人道主義の立場からその解決に向け、積極的に関与すべきだろう。


 大谷さんは善神の下で野球界の歴史を変えつつある。プーチンは悪神の下で世界の歴史を変えつつある。政治家は善神の下で歴史を変えなければ、後の歴史に汚名を残すことになりかねない。善神の下だろうが悪神の下だろうが、変革者は孤独な存在だろう。大谷さんは研鑽し続けなければ偉大な歴史を更新していくことはできない。プーチンはウクライナを属国にしなければ、毒を盛られる。同じように日本の政治家も、かまびすしい環境の中で孤独な時間を捻出し、政治を思案しながら自らを高めていかなければならない。達磨禅師のような俗から離れた思念の時間が不可欠だ。きっと大谷さんも政治家も、技術を高めるために有効なアドバイスをしてくれる仲間の存在は必要だろう。しかし、周囲から得た知見は、孤独な時間があってこそ結晶化して形になる。大谷さんを取り巻く取材陣も、政治家を取り巻く支持者たちも、理念や技術の習得には何の役にも立たない。ただ、取材陣や支持者が周りから消えたときは、自分自身も消えるときであることは確かだ。だからほどほどに、流されて溺れないように努めることが大事なのだ。これは極めて高度な遊泳術だ。


 フランシス・ベーコン(哲学者)の言葉に「友達とは、時間の泥棒である」(鈴木隆矢訳)というものがある。これは「票取りのために毎日多くの支持者たちと交流を続けていると、何も勉強ができないよ」という譬えにも応用できるだろう。反対にエッセイストのモンテーニュは、貴重なアドバイスをくれていた親友の死により虚脱状態となり、暫く立ち直れなかった。つまり落選恐怖症を払拭する意志で研究会を立ち上げ、優秀な仲間と一緒に研鑽し続ければ、政治家としての実力も身に付き、世間の目も徐々に変わっていくということだ。しかしその研究会を、排他的な派閥集団に育ててはいけない。優秀な人々が自由に出入りする非打算的なシンクタンクにすべきなのだ。まずは孤独な熟考時間を捻出する。そして付け加えるに、世のトレンドを鑑みれば、一重を二重にしたほうがいいだろう。哀しいかな、当選しなければ何も始まりませんから……。


 



川辺の石


川辺を散歩していると
蹴散らす石ころには
大多数の蒼色のやつの中に
ほんの少し薔薇色のやつがある
蒼色は外から内に哀しみが沁み込んだように澱み
薔薇色は内から外に喜びが迸るように輝いている
僕は蒼色の石に躓き
それを集めて積み上げると
賽の河原で子供が積んだ姿になった
日が暮れるまで薔薇色の石を探し
それを積み上げると夕日に当たり
ダイヤモンドのようにキラキラ輝いた
世界中に無数の川が流れ
世界中に無数の蒼色と
一握りの薔薇色の石が転がっている
そうして河原を彷徨う無数の人々は
多くが蒼色の石に躓いて倒れ
幸運な人は薔薇色の石を見つけて
そ知らぬ顔して密やかにほくそ笑む
蒼色の石は哀しみの石で
薔薇色の石は喜びの石だ
無数の人たちが
喜びの石を探して彷徨い
哀しみの石に躓いて傷を負う




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