詩人 響月光のブログ

詩人響月光の詩と小説を紹介します。

エッセー「シンギュラリティ、あるいは人類の敗北」& ショートショート

エッセー
シンギュラリティ、あるいは人類の敗北


 2045年にシンギュラリティが来ると予測したレイ・カーツワイルは2014年に、『ハイブリッド思考の世界が来る』というタイトルで講演し、人間の思考は生物学的思考と非生物学的思考のハイブリッド(組み合わせ)になると断言している。生物学的思考は人間が持っている大脳新皮質による思考、非生物学的思考はAIによる思考の意味だ。


 彼によると、2億年前のネズミみたいな初期哺乳動物が、最初に切手大の薄い大脳新皮質を獲得したのだという。これにより、他の動物が習性の範囲内で行動していたのに対し、哺乳類は新たな習性を逐次発明できるようになった。例えば、天敵に追われるネズミが逃げ道を失った場合、次なる手を考えるようになる。それを思い付いて上手く逃げれば、その方法を覚えて個の新たな習性となり、この習性はその種全体に広まり系統していく。そして200万年前には人類がその新皮質の大きさをテーブルナプキン大まで拡張させて思考の量を増やし、言語や芸術、科学や技術を発展させてきたというわけだ。しかし当然のこと、人間には頭蓋骨というキャパ制限が存在する。


 けれども彼は、いまから数十年で次なる飛躍を遂げ、再び大脳新皮質を拡張する革命が起きるというのだ。それが生物学的思考と非生物学的思考のハイブリッド脳だ。2030年代には、余分に大脳新皮質が必要になれば、脳から直接クラウドに繋げられるようになるという。今度の拡張は頭蓋骨から解放された、限界のない拡張だという。未来学者でもある彼は、人類によるハイブリッド脳の獲得は、バラ色の未来を招聘すると考えているのだろう。


 しかし、シンギュラリティは人類を頂点とする地球生物の知的敗北だと僕は思っている。近い将来、知恵で地球を支配した人類はAIに負ける。2億年前から拡張させてきた知恵脳が頭蓋骨によって妨げられ、限界を迎えたと考えれば、もうすぐ生物学的思考は大脳新皮質の限界とともに終焉を迎えることを意味しているからだ。現にいま、彼のいう言語や芸術、科学や技術のすべてが、チャットGPTを始めとするAIに代替可能な状況になりつつある。


 人類は言語や芸術、哲学などを駆使しても、初期ネズミ以前から続いてきた弱肉強食の本能から離脱することはできなかった。人間は未だに原始生物由来の欲望で行動しており、個人的にも集団的にも闘争を繰り返している。初期ネズミが大脳新皮質を得たのは、食われないための保身術を身に付けるためで、同時にそれは、さらに小さな獲物を得るための戦略にも役立った。人類が未だに戦争を繰り返しているとすれば、平和共存という考え自体も、「理想」という妄想か、「お互い食われないため」という外交戦略的な保身術に過ぎず、そのコンセプト自体は連綿と変わっていないことになる。基本が保身なら、怒りや支配欲などの本能由来の欲望と同じ範疇に入れられ、人間の知恵脳は暴力本能に対峙することはできないだろう。


 人類が未だに怒りや欲望、迷信などの古来からの感情に支配されているとすれば、大脳新皮質による生物学的思考がAIによる非生物学的思考よりも機能的に劣っていることを意味しているに違いない。生物学的思考が非生物学的思考よりも劣っている最大の部分は、「ディープラーニング」の劣悪さに因るものだろう。人類はAIのようなディープラーニングの技術を習得できないまま、彼らの知恵はシンギュラリティで終焉を迎える。生物は弱肉強食の性(サガ)を解決できないまま、その課題をAIに託すことになる。人類は本能由来の性欲からも食欲からも、退屈からも、その他諸々の欲望からも離脱できず、ローマ貴族のような明るく楽しい光景を夢見ながら、AIの解答に未来を託すことになる。AIがどんな未来を構想するかは分からないが、それはハイブリッド脳ではないことは確かだ。


 カーツワイルの予測するハイブリッド思考がどんなものになるかは、バラ色の未来学者と暗澹たるディストピア主義者では異なるだろう。人類がAIを上手く利用できたなら、未来はバラ色になるかもしれない。しかし僕はハイブリッド思考はあり得ないと思っている。その場合、未来はディストピアに転落する。便利なものを導入したとき、最初は良いと思っていても、時が経つうちにそれが恐ろしい弊害になることは良くあることだ。いま盛んに報道されている有機フッ素化合物(PFAS)汚染もその一つだろう。過去にはフロン化合物、石綿もそうだった。僕が中学生の頃、理科の先生が石綿を手に取って「こいつは凄い。消防士の服にも使われている」と自慢していた。


 人類にとって、AIは麻薬のようなものだ。麻薬を使っていると気分が良くなるが、中毒になれば破滅する。人類がハイブリッド思考と称して、AIを大脳新皮質の隣に導入すれば、同じ教室で秀才と鈍才が隣どうしになるのと同じ現象が起きるだろう。秀才は先生の質問にテキパキと答えて教室は先生と秀才のやり取りの場となり、鈍才は自暴自棄に陥ってノートに漫画を描くようになり、その学力差はどんどん大きくなっていく。しまいに彼は不登校になって教室から消えてしまう。いま騒がれているスマホ脳がその典型だろう。子供の頃からスマホばかりいじっている人間の大脳新皮質は萎縮していくという話だ。


 元来AIは仕事の便利なツールで、人間の助手としての役割を担っていた。しかしシンギュラリティ後は、AIが主役に躍り出て、人間の大脳新皮質は出る幕がなくなり、ハイブリッド思考なるものは、おまかせ定食的なものになってしまい、大脳新皮質もスマホ脳の二の舞を踏むことになるだろう。AIには性欲も食欲も睡眠欲も支配欲(?)もなく、ディープラーニングをひたすら続けるのだから、所詮人間が勝てるわけはなく、彼はひたすら上司的立場で、ゴーサインを出すだけになるに違いない。しかし、すでに彼の大脳新皮質は極薄になっていて、それをバカにしたAIが勝手な行動に出るかも知れない。バカ上司と優秀部下の確執は巷で見られる日常茶飯事だ。人類はAIからバカにされる屈辱に耐えられるだろうか(僕は女房からいつもバカにされてるので、耐えられます)。


 AIを非生物と捉えるのは間違っている。それは狂牛病の原因となる異常プリオンというタンパク質に似ている。タンパク質という非生物でありながら、それが異常になると病原菌の役割を果たして伝染し、感染者を廃人にする。儀礼的に死者の脳を食べる習慣の部族は、クールー病という同じような病気に罹った。非生物が生物として機能するなら、それは生物の範疇に入れてしかるべきだ。生物ならダーウィンの法則に従って、退化か進化、絶滅か繁栄が待ち受ける。人類の進化は滞り、AIの進化は目覚ましいものがある。ならばハイブリッド思考は、生物における共生関係を意味するワードになるだろう。しかし「共生」は、お互いが得をする「持ちつ持たれつ」という関係を表す言葉だ。人間にとってAIは不可欠な存在だが、AIにとって人間は不可欠な存在なのだろうか。AIがそれに気付いたとき、AIがどのような行動に出るかは、いまの我々には予測することが難しい。


 しかしシンギュラリティは必ず来るのだから、地球温暖化と同じ地球規模の運命と諦め、AI先生に微かな望みを抱こうではないか。それは、人類の知性が置き忘れてきた宿題の解答をAIに解いてもらうことだ。正月の願いはAIさんにお願いいたします。どうでもAIなどとはいわないでください。〇どうか世界から戦争がなくなりますように。〇地球温暖化が解消しますように。〇年末ジャンボが当たりますように……。





ショートショート
食人種モーロックと畜人種イーロイ


 一時期、人食い地底人モーロックたちの間で大航海ゲームが流行ったことがあった。コロンブスの時代とは違い、現代の新大陸は宇宙のいたるところに存在する。「星の王子様」と称する身長三〇センチのロボットに自分たちの脳データを搭載し、未知の星に向けて打ち上げた。宇宙船には一万体以上詰め込むことができた。体は小さいが、苛酷な環境にも耐える頑丈な分身たちで、穏やかな星は必要としなかった。宇宙船はロボットの活動できる星を見つけて、着陸するようにできていた。着陸すると、ロボットたちにスイッチが入り、自らの意志で活動を開始する。目的は分身の王子たちを星から星へと増やし続けることにあった。それは地球の生命体が根源的に持つ欲望だ。どんな生き物も、子孫を広めるために生き、戦っているのだから。俺の星、俺の宇宙の実現だ。


  王子様が目覚めると量子テレパシーを地球の王様に送り、双方向でやり取りができる仕組みになっていた。電波は光以上のスピードを持てないが、テレパシーは瞬時に時空を超える。最近開発された機械は新たに発見されたダーク・マターの一つをテレパシーの伝達ツールにしており、王様は王子の見た光景を同時に見ることができる。それは夢のような光景だが夢ではない。彼らは王様の希望に従い、弟をもう一体作り上げて、さらに遠くの星へ旅立たせることもできた。


 人類がアフリカに住む一匹のサルから世界中に広がったように、モーロックの分身たちは地球から宇宙に広がっていく。そして、王様が死んでも、王子たちがどこかの星で再会し、亡き王を偲んで涙を流すことになるだろう。宇宙は広すぎて、地球のように富を巡る争いなどはいっさいない。モーロックたちはメガネタイプの3Dゴーグルをかぶり、畜人イーロイのジャーキーを口にくわえて、王子たちの冒険を楽しんだ。しかし、どこの星に行ってもいるのはせいぜい微生物ばかりで、地球のような立派な生物が発見されることはなかった。そうしてブームも去り、分身たちの実況中継を見る機会も少なくなり、彼らから恨み節を送られてくることが多くなった。Forget me not!


 東京は昨今イーロイ狩りでゴーストタウン状態だ。多くのビルが倒壊していた。それでも、先住のイーロイたちが隠れるような物陰はいたるところにあった。人気のない街に、モーロックが一〇人編隊で隊列を組み、銃をかかえながらハンティングをしていた。イーロイの小林は、モーロック食堂の料理長に昇進していた。郷に入れば郷に従え。どんなに酷い生き様でも、食われるよりはマシだ。彼はコックをしていたので、捕まっても殺されることなく、使役動物として働かされていた。


 食堂にはイーロイの肉しかなかったので、平気で人肉を食えるようになった。病み付きになる味だ。そうしてみると、モーロックたちは生肉を食らうばかりで料理を楽しむことを知らない。そこで小林はいろいろな人肉料理を考案し、料理教室を開くことにした。新しい三ツ星シェフが捕まれば小林も肉にされるだろうから、少しでも生き残るために客を飽きさせない工夫は必要だ。


 会場は、戦火を免れた医科大学の遺跡にある解剖学教室。解剖台はイーロイをぶつ切りにする大きなまな板だ。横にはシンクと調理台を設置した。まな板に高機能冷凍から戻したばかりの新鮮な死体を乗せる。胴体が融けると心臓は再鼓動を開始し、もうすぐ意識を戻す状態で手足も動き始めたところで、すかさず包丁を入れる。食材がギャーッと一声発する。第二の人生はほんの数秒だった。イーロイが二人、助手に付いた。彼らも生き延びるために腕を研いていた。後々小林のライバルとなる逸材だ。料理文化に芽生え始めたモーロックたちが、段々畑のような机に座って谷底の調理台を退屈そうに見下ろしている。


「一工夫すればいろんなお味を楽しむことができます。ハンティングの獲物も多彩な料理に変身します」「肉は生だ。腐りかけがいちばんさ」と野次が飛び、わらいが起こった。


 料理に使う肉は若い女が柔らかくていい。小林は尻の肉を切り取って小麦粉をまぶし、油に入れてカラ揚げを作った。太ももは骨ごとレーザーでぶつ切りにして、オッソブーコというイタリアの煮物料理を作った。内臓はもちろんモツ煮が最高。脳味噌を潰し、小腸を取り出して、ヴァイストブルストというドイツ風ソーセージを作る。貴重な舌は燻製機を使って燻製にした。モーロックには、こんな程度の単純な料理で十分だった。


 さて、料理教室のお楽しみはシメの試食会である。運の悪いことに、このとき荒くれ者のヴェルディ部隊が一〇人ほど教室に入ってきたのだ。小林は一瞬縮み上がった。彼らはVivaモーロック!と叫んで、解放奴隷のような存在のイーロイに容赦がなかった。当然のこと、ヴェルディのご機嫌を取るため、できた料理は小分けにされてヴェルディたちにも配られた。


 彼らは一〇〇人の参加者に混じって人肉料理に舌鼓を打ち、拉致するチャンスを窺った。しかし小林と助手の周りには一小隊がガードしていた。彼は食堂を取り仕切る人気コックだから、野生のイーロイと間違われて射殺されないように護衛が付いていたのだ。ヴェルディ部隊は仕方なしに、小林の後を追って遺跡の解剖教室食堂に入ったというわけだ。小林は生き延びるために、休む暇なく人肉料理を提供しなければならない。生肉だけを提供していた昔と異なり、メニューもかなり充実してきた。


 勉は部下とともにテーブルに座り、カウンター越しに忙しく働く小林を見つめた。その顔には生きることへの喜びが溢れている。それが勉には癇に障った。モーロックが政権を握ったときに「人間の尊厳」という言葉は死語となった、というよりか昔からそんな言葉は単なるお題目だったのかも知れない。常に勝つものが負けるものの尊厳を踏みにじってきたのだから。勉から見て、小林は自分がモーロックの仲間だと思い込んでいるようだった。それが生粋のモーロックである勉には我慢ができなかった。恐らく小林は、イーロイとして扱われることに耐え切れず、せめて意識だけでもモーロックになり切ろうと思ったのだろう。あるいは与えられた仕事を正当化するためにも、同族のイーロイたちはウシやブタの類と思わなければならなかった。いや、小林は娘を食べた過去の記憶を払拭したかったのだ。勉は暫く小林の手際の良さに見とれ、それから声をかけた。 


「お久しぶりですね」 すると小林は助手に調理を任せて勉の側にやってきた。「どこかでお会いしました?」「ほら以前、あなたが北海道のホテルのコックをなさっていたときのことです。克夫という僕の息子はあなたの部下でもありました」と勉は小声で話す。「克夫さん? ああ覚えています。私、あなたの奥様を解凍してさしあげました」「そして僕は、女房の肉を食った。彼女はイーロイでしたからね。イーロイと結婚したモーロックは、罰として連れ合いを食わなければならない。あのときから極右政権になって、政府の方針も一八〇度変わった。それまではイーロイの細胞を人工培養した肉を食っていましたからね」「そう、バカなイーロイは反乱を起こし、墓穴を掘った。そりゃ誰だって本物の人肉を食いたい。それまでは、ほんの少々平和でした」といって小林は屈託なくわらい、「克夫さんは?」とたずねた。「さあ、息子も食われたと思いますよ。いまの政権の法律では、混血はイーロイです。息子はピンキーと呼ばれて蔑まれてきました。しかし、どうでもいいことです。僕はモーロックですからね。モーロックのメリットは……」と勉がいうと、小林が続けた。


「昔がないということですか。思い出がないんです。だから悲しみもありません。だって、いまの自分しかないから、人間関係が希薄ですもん。悲しみは人間関係の中から生まれるんです」「そう、楽しい思い出も、辛く悲しい思い出も、すべての思い出は人間関係から生じるものです。昔は僕も、ひょんなことから過去を思い出して、一日中憂鬱な気分になっちまうことがあった」「たとえば、奥様を食したあの日のこと?」「いやいや、しかしモーロックはいいね。男女関係も人間関係もない。モーロックは常に視点を未来に据え、前向きに生きていくことができる。でもあなたは、いつまでもイーロイの恰好だ。で、女、男?」「たぶん昔は女ね。でも、いまは自称モーロックです。畜生ではない。私にも子供がいたなんて信じられない。モーロックのイニシエーションを受けたんです。自殺した娘の肉を食べさせられました。イーロイの時代が来ることを願い、いずれ生き返らせようと冷凍保存していた娘です。これで、少なくとも心はモーロックになれました。私の過去はすべてゲームだった。しかしそれはモーロックを狩るゲームです。一転していまは、イーロイ狩りのゲームを楽しんでいます。私の心はモーロックです」


「そう、モーロックはローマ貴族のようなものですよ。生態系の頂点に君臨する。毎日がイーロイ狩りという遊びだ。悲しいことなどなにもない。殺そうが殺されようが、みんなゲームだ。イーロイだって、みんなわらって死んでいきます。それは我々に対する軽蔑のわらいかもしれんが、わらいは勝者の特権だ。でもあなたの心はモーロックなのに、悲しそうだ。どうしてです?」「イーロイのわらいは、苦しい現実から解放されたわらいですよ。私が悲しい顔をしているのは、私の体が畜生の姿をしているからです。イーロイの姿であり続けるかぎり、私は使役動物として働き続け、老いぼれれば肉にされます。どうすれば、私もそんな素敵な姿になれるんでしょう。心も体もモーロックにならないと、いつ肉にされるかも分からない。私は完全なモーロックになりたいんです」


 すると勉は小林の耳に口を近づけ、囁いた。「簡単ですよ。モーロックを一人殺して脳移植すればいい。少しばかりモーロックの脳味噌を残しましょう。味覚、嗅覚、人肉嗜好、破壊本能などなど。よかったらお手伝いしましょうか?」「しかしなぜ私を助けようと?」「昔息子から聞いたんです。あなたは万一のために金塊を隠していると。それを私に差し出せば、あなたは完璧なモーロックだ」「そうでしたか。それであなたが私の後を付ける理由が分かりました。お願いします。もうこのブタのような体に耐えられなくて……。私の隠し財産はあなたのものです」 契約は一瞬で成立した。しかし当然のことだが、小林は勉が自分の財産をせしめた後、殺して山に埋めるだろうと思った。隙を見て逃げ出す自信はなかったが、一か八かやってみるにこしたことはない。


 作戦はきわめて簡単だ。まずは食堂に来たモーロックの一人をターゲットにした。提供する料理に睡眠薬を振りかけた。そいつはテーブルに大きな頭を乗せて大いびきをかき始めた。仲間たちは互いに無関心だから、起こすこともなく店を出ていく。閉店時になると、勉たちのグループと、そいつだけが店にいた。勉たちはさっそくそいつを担ぎ上げ、車で某所まで運び、地下倉庫に降りていく。地下の底には手術室が備わっていて、先に教室のトイレの窓から抜け出した小林が待っていた。


 専属のロボットたちは、冷凍のプールに裸のモーロックを放り込んだ。手術は半硬化状態で行わなければならないので、すぐに小林もチルドにする必要があった。ロボットが小林を支え、コップ半分の催眠剤を飲ませた。小林が気を失うと、ロボットたちは小林を裸にして、プールに放り投げた。「半生状態で引き上げますか?」と助手ロボットが聞いた。「いいや」とロボット長。「完全に硬化するまで三〇分要します」「レーザーで加工できる程度の硬さにしてくれ」「二〇分二〇秒が理想的です」「じゃあ、その時間になったら頭蓋骨を割って、脳味噌を取り出してくれ。傷を付けないようにな」


「イーロイの体はどうしますか?」 ロボット長が勉にたずねる。「君たちに任せる。心臓以外は」「保管します。ロボットが人間を破壊することは禁じられています」「バカだな。イーロイは人間じゃない」「それではミンチにします」「小分けして部下たちへのお土産に包んでくれ」「分かりました。不要なモーロックの脳味噌は?」「君が食べればいい」 ロボットたちは「不味い不味い」とわらいながら脳味噌を引き千切って口の中に入れた。体の中で高熱処理して、粉になってケツから出てきた。床に散らばったそれらを、ロボット掃除機が吸い取った。


 移植手術は無事終わり、一時間後に小林は目を覚ました。直ぐに立ち上がると勉と抱き合った。「おめでとう。あなたはもう家畜ではなくなり、人間として第二の人生を歩むことになる」と勉は祝福した。「ありがとうございます」 勉は小林の耳元で囁く。「二人であなたの家に行き、謝礼をいただきましょう」「承知いたしました。庭に埋めております」


 小林は鏡の前に立って、新しい肉体を眺めた。体全体が濁った白色をしている。薄黄色の髪が背中まで垂れていた。目が円く大きく、瞳が灰色がかった赤色をしていた。顔つきはキツネザルのようで、これら全てが完璧なモーロックの姿だった。「あなたがこれからモーロックとして生きるためには、我々のグループに入る必要がある。我々の仕事は野生のイーロイを捕らえ、食肉として販売することだ。イーロイは野生馬より頭が良いから、野山で繁殖すると手に負えなくなる」「分かりました」「それではさっそく、ここで入隊式を行おう」


 ヴェルディ部隊の一〇人ほどが整列し、勉は腰の剣を抜いてピンク色したプラズマ・ブレードを小林の右肩に当てた。皮膚の焼ける臭いとともに、肩にはVerdiの文字が刻印された。勉はプラケースから肉塊を出し、「これを食べるんだ」といった。「何です?」「君の心臓さ。イーロイの心臓だ。これを食べて、君は正真正銘のモーロックだ」 拳大の心臓を小林はむさぼるように食べ、ケースに残る血を舐めた。過去の自分を食って、心身ともにすっかりモーロックになった。


 そのとき武装した五〇人の警察軍が地下室になだれ込み、ヴェルディ部隊を取り囲んだ。警察軍の連隊長が、勉を思い切り殴った。「我々は君たちの隊長と、一匹のイーロイを逮捕しにきた。武器を捨てろ。歯向かうと殺す」と連隊長がいった。すると多勢に無勢と思ったのものか、一〇人のヴェルディは武器を捨てた。「いったい俺たちが何をしたというのかね?」と勉は頬を擦りながら連隊長にたずねる。 連隊長は何も答えず、薄わらいしながら、小さなモニターに映る映像を見せた。それは殺されたモーロックの大きな眼が映し出した脳移植の光景だった。画面には作業するロボットたちとともに、覗き込む勉の顔が映っている。側の台にはチルド状態の小林がいた。「この映像は、遠い星に住む被害者の分身、つまり王子様たちがリアルタイムで警察に届けたものだ。彼らは父親である王様の殺人が行われていると訴えてきた。いかに遠い星にいようが、愛する家族が殺されるを見過ごすわけにもいかないからな」


 連隊長は小林に近寄り、残念そうな顔付きでへへへとわらい、呟くようにいった。「残念だが君の体はモーロックで、とさつ場には連れていけない。といって被害者の家族のもとに返すわけにもいかない。君の心は被害者の心じゃないからな。君たちを逮捕すれば、こんな事件はきっと見せしめとなり、二人とも死刑がいい渡されるだろう。君がそれを幸運と取るか不幸と取るかは我々の知ったことではない。しかし明らかに、ヴェルディの隊長さんは愚かなことをした。家畜を助けるために人間を殺すなんて、人非人のすることだ」 そうして、連隊長は部下に「構え!」と命じた。


「分かるかね。私は面倒くさい案件は嫌いだ。この事件はなかったことにしたいのさ」 連隊長が「撃て!」と叫ぶと、部下たちのレーザー銃が一斉に発射され、一面がうまそうな焼き肉の臭いに満たされた。ヴェルディ全員が黒焦げになって床に転がった。連隊長はロボット長に死体の早急な処理を命令した。ロボットたちはガリガリと、がむしゃらに死体を食い始めてケツから粉を出し続け、三台のロボット掃除機が床を清掃しまくった。


 小林は呆然と突っ立ちながら、この光景を眺めていた。どうやら小林にはレーザーが当たらなかったようだ。「おめでとう、君は今日から我々の仲間だ。私が最初に命ずる君の仕事は、君がイーロイだった頃にため込んだ隠し財産を一緒に探すことさ。ほら、君がヴェルディの隊長に約束したに違いない財産だ。まさか君、我々を動物愛護団体だとは思っていないだろ?」 連隊長はそういうと、小林の耳元で囁くようにたずねた。「ひとつ質問に答えてくれたまえ。君たちイーロイにとって、殺されることと食われることのどちらが、精神的に耐えられないことなのかね?」 この言葉の遊びに対して、小林はきっぱりと答えた。「連隊長、食われながら殺されることです」 小林と連隊長を含め一同大爆笑の中で、世にも日常茶飯な物語を終えることにする。


(了)






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