詩人 響月光のブログ

詩人響月光の詩と小説を紹介します。

戯曲「ツチノコ」Ⅰ & エッセー

エッセー
悲観的進化論


 ダーウィンに始まる「進化論」は、生物がその時々の環境に対応するために、その遺伝的形質を世代的に変化させていく様を示している。しかし、「進化」といってもそれは進歩ではなく、単なる変化に過ぎないのは、環境は進歩するものではなく、変化するものだからだ。寒冷化が進めば、体はそれに対応するように変化して、変化を遂げたものが生き残り、再び温暖化が進めば、それに対応できた者が生き残るだけのことで、そうやって全体として種は存続していく。絶滅した種は、遺伝的形質の変化が環境の変化に追いつけなかったケースが大半だろう。


人間について言えば、きっとホモ・サピエンスの脳的進化が、環境の変化により柔軟に対応できる遺伝的形質を持ち合わせていたのに対し、ネアンデルタールの脳は大きくても、構造的には柔軟性に欠けていて、消えていったのだろう。頑固な頭は、外界の変化に付いていけない。彼らは元々家族主義で、集団行動が苦手な脳味噌を持っていて、ホモ・サピエンスの臨機応変的な集団行動に太刀打ちできなかったという説もある。おそらく腕力の無いホモ・サピエンスは、この頃から徒党を組むようになり、狡知を働かせて戦いに勝利し、その遺伝的形質を後世に伝えてきたに違いない。集合好きの形質は、トランプ支持者の国会議事堂襲撃でも大いに発揮された。


集団の操縦力に長け、戦略家でもある王様たちが世界のあちこちで戦いを仕掛け、世界史は積み上げられてきたが、それは歴史のページがかさぶたのように増えるだけで「進歩」というものではなく、単なる時代の「変化」に過ぎなかった。支配は、首取り合戦で上に立つ者の名前が変わるだけの話。「民主主義」だって、革命で支配者が国民という名義に変わっただけで、その意向を委託された政府が勝手なことをやり、人民操作を始めれば、たちまち王国に逆戻りしてしまう。国民の多数が統制されたり洗脳されたりする国は、もう民主主義国家とは呼べない。公平な選挙無くして民主主義は成り立たないのだ。


人類の歴史の中で唯一「進歩」を示すものは「科学史」だ。理系科学にしろ人文科学(形而上学的・思想的なものは除く)にしろ、「科学」と名の付くものは、基本的に実証の上に積み上げられていくもので、これは「進歩」の歴史になりうる。アインシュタイン後の物理学者が、ニュートンの物理学からやり始めることはできないだろう。ということは、科学の歴史は進歩していくが、人類の歴史は変化していくということなのだ。この「進歩」と「変化」の間にある齟齬は、人類を滅亡させるかも知れない大きな問題だ。「進歩」と「変化」がどんどん乖離している現象を言っているのだ。「進歩」のリニアは急上昇して宇宙に飛び出し、「変化」のリニアは円環になって、二次元の地表面を回り続けている。「科学」は勝手に天まで昇ってしまい、地面に留まる人類の手から大分離れてしまった。


この乖離の危険性は、例えば武器を例に取ると、原爆や水爆の発明は科学的な「進歩」に入れることができるだろうが、原始人以来の「変化」の円環を回り続ける人類にとっては手に余る武器になっている。広島、長崎の悲劇は当然のこと、それこそどこかの高校生が原爆を作って都心で爆発させれば、笑い事では済まされない。ほかにも「ゲノム編集」「シンギュラリティ」など、「変化」の円環を回り続ける人類にとって手に余る科学の「進歩」は山ほどあるだろう。


例えば、最近では「スマホ脳」という言葉が飛び交っている。スマートフォンは科学の「進歩」で実現した便利なツールだが、子供がそれを使いすぎると、知性を司る大脳皮質が薄くなることも分かってきた。車ばかり乗っていると足腰の筋肉が減り、おまけに骨粗しょう症になるのと同じ原理で、便利なツールを使っていると、脳も筋肉も骨も鍛えられず、退化してしまうというわけだ。


科学の「進歩」で便利になり、本来酷使していた人間の器官が退化していけば、いずれは精神的、肉体的にも環境の変化に対応ができなくなり、人類はネアンデルタールと同じ運命を辿るに違いない。科学の「進歩」を礼賛し、何でも科学で解決しようとする虚弱な未来人の姿を想像して欲しい。彼はもう二足歩行をする必要はない。目的地をイメージするだけで、進化型セグウェイが場所を特定し、体を移動させてくれるのだから。面倒くさい仕事は全部AI任せ。薄くなった大脳皮質は、「ゲノム編集」でバージョンアップというわけだ。


しかし、いくらプチ脳手術で頭を良くしても、シンギュラリティ後は、科学の進歩を含めてAIがみんなやってくれるのだから、無用の長物。スマホ脳を恐れる理由も見出せない。人類は正真正銘の「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」*に成り下がるに違いない。人類の未来は、AIシェフおまかせコースに入りつつあると言っていいだろう。


「人は何のために生きているのか?」。こんな哲学的な問いかけも、人間が生物の一つに過ぎないと考えれば、「生きるために生きている」と言う以外にないだろう。「神は死んだ」の名言以降は天国に行く最終目的もなくなり、かといって地表にはさしたる目的もありゃしないのだから……。



*:「遊ぶだけの人生で何が悪い?」と反発する人もいるだろう。仕事に生き甲斐を見出せば、それは素人スキーや素人サッカーのような「遊び感覚」なのかも知れない。興奮する脳の部位は同じだからだ。「人間は仕事をするものである」という一般常識は、一部の資産家には当てはまらないし、彼らはゴルフ三昧で「幸せ感」を得ている。全人類が遊んで暮すようになれば、この一般常識は消滅する。


幸せ感は心身の健康に寄与するが、苦役は不幸せ感を伴い、心身を消耗させる。あらゆる生物は生存競争の中で必死に生き、死んでいくのが基本で、人間も生物の端くれであるなら、現在のところ多くの人間は「不幸せ」「物足りない」「不満足」が常態と言えるだろう。結局は今が「幸せ」か「幸せでない」かの問題に行き着いてしまう。しかしこの不満足状態は、水面下の人間に浮力をもたらし、それが上昇(労働)意欲に繋がっていく。


一週間も獲物を獲得できないライオンと、動物園の中で一日中寝転がっているライオンに、どっちが幸せかと聞いても、明確な答えは得られない。餌にありついたときの「幸せ」か、腹がへることを知らない「幸せ」かの問題だ。両者の快感度を折れ線グラフに表すと、普段はマイナス領域にギザギザ落ち込んでいるが急にプラスの最高値に跳ね上がるような至福(満腹)が時たま訪れるのは野生のライオンで、プラスの低領域(低興奮)をだらだら続けているのは動物園のライオンだ。普段は尻を叩かれガツガツ仕事をしていて、ボーナスや昇進でたまに急上昇(高興奮)するのがサラリーマンで、だらだらと退屈しながらも悠々自適(低興奮+飽き)を楽しんでいるのが資産家だ。あなたはどっちがいいですか?


「幸せ」は個人的・感覚的な問題で、どっちがより「幸せ」かは比較できない。ローマ貴族は毎日遊び呆けていた。セネカは毎日考え呆けていた。幸せを得る手段も千差万別だ。ならば「成り下がる」という言葉は単なる僕の偏見かも知れない。…ということは、シンギュラリティ後の人間が幸せか幸せでないかは、その時にならなければ分からないだろう。人間が「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」なら、子供のように楽しむ手段を生み出し続けるに違いない。AIの尻に敷かれない限りにおいて……。




戯曲 ツチノコ
(グロテスクが世界を救う)


登場人物
ディーバ


坂東
山本

椿
河童
その他



一 大学病院診察室


 (梓は患者用の椅子に座り、坂東は医師の椅子に座りながら封筒を開く。その横には中年の看護師が立ち、横目で手紙を除き込んでいる)


坂東 (手紙を読みながら)驚いた。死ぬ前にぜひとも君に会いたいか……。(看護士に)昔ここにいらっしゃった山本先生だよ。
看護師 驚き! 生きていらっしゃった……。
坂東 十五年前に大学も付属病院も捨てて蒸発しちまった。とっくにお亡くなりになったと思っていた。
梓 あと数日の命です。
坂東 いったいどうして?
梓 全身に癌が……。
坂東 どこの病院ですか?
梓 山奥のホスピスです。
坂東 ここからは?
梓 それが、ヘリコプターで五時間ほど。ヘリは用意してございます。
坂東 遠いなあ。……いきましょう。(看護師に)午後は早退に。
看護師 分かった、代診を探すわ。
梓 それでは、さっそく。



二 黒蛇殿


 (鍾乳洞の中に立てられた宗教的施設。壁や石筍、石柱などに、蛇の彫刻がまとわりついている。天井からは蛇の抜け殻で作った天蓋がぶら下がる)


坂東 これってホスピスですか? グロテスクだなあ。大蛇の彫刻が壁中に這いつくばっている。
梓 彫刻ではございません。冬眠している間に石灰石に覆われ、化石になってしまったのです。
坂東 やっぱり、とても芸術的とは言えないもの。絞め殺される人間でも彫られていれば価値も出てくるのに。それこそヴァチカンかどこかにあるような……。
椿 (袖から登場。未来的な服装、頭が大きく手足がほっそりしている)確かラオコオンですね。人間は蛇を嫌っているから美しいとは思わない。小さな猿の頃から、噛まれたり、飲み込まれたり。
坂東 (椿の風変わりな姿に戸惑い)貴方は?
椿 妹の椿。火星人です。
梓 近未来の人間ですわ。脳味噌の重さは現代人より上です。私たち、実はクローン姉妹なのです。
坂東 人間のクローニングは法で禁じられているし、それにとてもクローンには見えないな。
椿 私は山本先生が改良したデザイナーベビー、人類の新品種です。同じクローンでも梓と気の合うことはありません。梓は旧い人間の遺伝子が強く、頭が固いの。
梓 椿は新しい品種で、私の考えは黴臭くて食えたものじゃないと馬鹿にします。
椿 梓は、未成熟のまま腐る果実ですわ。大人になってもまるで子供。でも、私たちに共通するのは、口が悪いこと(わらう)。
坂東 (わらって)まあ冗談として受け止めておきましょう。しかし蛇は苦手だな。
椿 蛇に言わせれば、鱗のない人間はグロテスクですわ。それに、ひどくのろま。蛇は川も丘も素早く進める優れものです。
坂東 (石柱にまとわり付いていやらしい眼差しで坂東を眺めている白装束の女たちを見て)この方々も化石?
梓 巫女たちです。
坂東 (少し不安になって)やっぱ、あなた方は宗教団体ですね。ここに男性は?
梓 男は必要ありませんが、先生は別です。
坂東 (わらって)山本先生も男だ。
梓 あれは雄蛇です。でも新人類製造会社の社長様。さっそく、社長室にご案内いたしましょう。




三 山本の部屋


 (梓が鍾乳洞の壁を引くと、ぽっかりと穴が開き、敷き藁の上に寝そべっていた山本が、二人の巫女の介添えで籠いっぱいの鶏卵を飲み込んでいる。顔は蛇の鱗に覆われ、ちょび髭を生やしている)


梓 お食事中、失礼いたします。(そのまま場を外す)
山本 (慌てて食事を止め)あああ、君か。よく来られた。
坂東 (驚いて)山本先生? 山本先生ですか? いったいどうなさった。顔中緑色だ。しかも、黒の縦じま模様。本当に先生ですか? 
山本 君、長年医者をやっていれば、たまにはこんな症例に出会うこともあるだろ。ほら、いつだったか、面の皮がロウソクみたいに溶けていく患者さんを見て、君はショックを受けていたな。
坂東 (しげしげと山本を見つめ、困惑した顔付きになり)しかし、こんな整然とした組織は初めてです。蛇の皮でも移植したようだ。
山本 皮膚がんの一種さ。極めて珍しい。このガン細胞は兵隊の隊列のように整然と増殖する。(藁の中から蛇皮の手を差し出し)久しぶりだな君。
坂東 (後ずさりし)全身、ですか……。  
山本 大丈夫、移らんよ。(胸をさらけ出し)ほら、すっかり蛇。安心したまえ、脳味噌はまだ人間。しかし苦しい。全身をキリキリと締め付けやがる。特に満月の夜は、鱗がざわざわと騒ぐ。まるでサンゴの産卵さ。いっせいにいきみやがる。チキショウ、あと三日後にはまた満月ときやがる。
坂東 (山本と握手をし)病院に戻りましょう。私が治してみせます。
山本 (手を引っ込め)私だって医者だよ。治す方法は皮膚移植のみ。難しい手術だ。しかし自分の手術はできんだろう。助手に教えたが大失敗。助手とはさっきの二人さ。へたくそ! もう手の施しようがない。
坂東 手遅れかどうかは分かりません。
山本 気休めはいい。しかし、死ぬ前に君に話しておきたいことがある。(介添えの者たちに)彼と二人にさせてくれ。(二人の巫女が山本を起こし、その後坂東を残して退場)。私の性格を知っているだろう。君とは正反対。少なくとも君は、私には従順だった。しかし、今はあの頃の私の歳になっている。君も野心家の顔つきになってきた。
坂東 先生がいなくなって学長のポストを狙っていた連中は喜びましたが、私ともども、先生の弟子は苦労しています。
山本 まさか、君は学長の椅子なんか狙っているのか?
坂東 先生の仇を取ってやります。
山本 ハッハッハッ! 大した俗物に成長してくれたね。どうせなら世界を狙えよ。
坂東 世界?
山本 世界さ。すなわち、世界を救うんだ。このままでは、人類は絶滅するからね。人間は絶滅危惧種だ。保護が必要なんだ。
坂東 どうやって。
山本 人類をスリムにまとめるのさ。共食い状態では、有効な処方箋はないだろう。
坂東 だから、どうやって救うんです。
山本 話し合いではない。合意は永遠に得られまい。私は患者の話に聞く耳を持たん医者だ。直感で診断して処方箋を書く。私が人類に与える特効薬は、麻薬。
坂東 麻薬……? (苦笑いし)話を変えましょう。どうやら、先生は具合がお悪そうだ。
山本 君は患者の無駄話に相槌を打つお人よしな医者だろ。ましてや死にかかっている人間のたわごとを遮れるか?
坂東 (ため息をついて)すいません、失言でした。
山本 イカレタ話でも、精神科医なら最後まで聞くぞ。例えば宗教。信心も麻薬のひとつさ。教祖様というのは脳内麻薬を巧みに操るマジシャンだ。
坂東 洗脳ですか。
山本 そう。洗脳も欲望も満足もすべて脳内の化学反応。君も僕も単なる化学反応でものを考えている。君のすべては化学反応の集合体だ。殺人者は単なる化学反応で人を殺し、絞首台で物理的に首をへし折られる。虚しいねえ。脳味噌は複雑でも、そのメカニズムはしごく単純。すべては自己満足の下らん幻想さ。常に気持ちよがりたい。下等生物だ。だから、脳内麻薬をふんだんに出してやれば、家畜にでもロボットにでもなってくれる。人も殺してくれる。
坂東 家畜ですか?
山本 まさか君は理性など信じちゃいないだろうな。人間は単細胞の集合体に過ぎんのだよ。
坂東 (腹を立てて)下らん。だからどうだという話ですな。
山本 そうかな。君のとこにだって、たまには珍しい病気の患者さんが来るだろ。すると、その患者は一瞬にして実験動物にされちまう。君はしめたと思う。珍しい動物を捕獲したぞ。同僚たちは、ぞろぞろと観察にやって来る。患者はまるで医者寄せパンダだ。君を動かすのは研究欲か名誉欲か? いずれにせよ患者の快復は二の次だってえのは言い過ぎかな?
坂東 (わらって)辛らつですな。それじゃあ先生も、僕の病院に移送しましょう。きっと名前を残したい医者たちに大もてですよ。
山本 正直に言いましょう。私は医者になったときから、患者は実験動物だと思うように努めてきた。戦争になりゃ、人食いライオンも敵兵も、おんなじ害獣さ。私は人嫌いだから、他人はみんな実験動物だ。そう思うだけなら私の勝手だろ? で、私は科学者として、教祖の声を聴くだけで興奮する神経回路に興味があるんだ。これをつくるには、策略と繰り返しが必要。ところが、恋愛の世界では、一目見るだけで惚れ込むバカがいる。これは、錯覚だが非常に効率的だ。
坂東 とても科学的なご意見とは言えませんね。
山本 科学的とはすべてをバケ学、物理学に還元しちまうことさ。宗教も恋愛も、神経を興奮させる仕組みは変わりがないと言っているんだ。要は即効性か遅効性かの問題。即効性といえば麻薬だ。人間を支配することができる化学物質さ。だから私は、最強の化学物質を手に入れるために、ここに来たんだよ。
坂東 (苦笑して)手に入れましたか?
山本 はい手に入れました。とたんにこんなありさまです。バチが当たった。
坂東 自業自得ですかな。どんな薬です? 
山本 惚れ薬。たとえ魅力のない若者でも、女たちはほんの一滴嗅ぐだけでいかれちまう。信じる?
坂東 嗅いでみるまでは信じませんね。
山本 全ての女が首っ丈さ。君だって若い頃は、毎晩そんな夢を見ただろう。
坂東 記憶にございません。
山本 しかし女なんかどうでもいい。どうだい、世界を征服したくはないかね? たった一人の人間で、全世界を支配するのだ。悪党だったら一度は夢みることさ。
坂東 イエスと答えた場合は?
山本 私の研究の全てを譲ろう。私はじくじたる思いで人間をリタイヤし、蛇穴に隠居する。
坂東 ノーと答えた場合は?
山本 残念ながら君にはイエスしかない。
坂東 (驚いて)どういうことだ!
山本 生きるためさ。
坂東 この伏魔殿のことは決して口外しません。だからもう帰ります。
山本 まあ落ち着け。悪いようにはしない。賢く振舞え。悪い話じゃない。災い転じて福となすだ。考えを変えればいい。ちっぽけな幸福なんか捨てて、心の奥底に押さえ込んでいる邪悪な心を育てるんだ。征服欲さ。誰でもヒトラーの素質はあるんだ。戦国時代に戻ってみろよ。ここは法治国家ではない。権力がすべてだ。いいか。ツチノコって知ってるだろ。ツチノコだよ。そう、この私がツチノコだとする。(突然苦しみ出し)ああ、蛇皮が怒り出したぞ。苦しい。(ベッドの横のベルを指差し)君、そこのベル。


 (坂東がベルを押すと二人の巫女が入ってきて、山本の腕にモルヒネを注射する。山本が眠りに落ちると巫女は去り、入れ替わりに梓が入ってくる)


坂東 (不機嫌そうに)帰ります。ひどく憂鬱な気分になってきた。
梓 それは無理ですわ。
坂東 帰らなくては。
梓 先生を治療なさってください。
坂東 不可能だ。
梓 せめて、あと三日。満月の日まで。
坂東 (怒って)仕事があるんだよ! 三日も病院を休むことはできない。そうだ、明日は大きな手術も入っている。
梓 分かりました。ならば、どうか安楽死させてやってください。
坂東 突然なんですか。僕は担当医じゃない。
梓 山本先生からはどの程度、お話をお聞きになりました?
坂東 (しらばっくれて)さあ、あまり……。やや精神的に不安定で……。
椿 (物陰から現われ)聞いていましたわ。あの蛇、病気でおかしくなっている。世界を支配しようなんて……。私たちは、世界中に蔓延している貧困や飢えの問題を解決する方法を勉強しております。
坂東 いったい、どんな解決策を見つけました?
椿 地球の初期化です。
坂東 初期化? (わらって)パソコンかよ、地球は……。あまりにも突飛なお答えですな。
椿 地球は限られた資源量の球体ですわ。長い間使い続けているとゴミで満杯になり、動かなくなってしまう。そんなとき初期化を行って、昔を取り戻すのです。
坂東 具体的には?
椿 例えば、暗黒物質の襲来だとか巨大隕石の衝突だとか、地球にはたびたび大きな変動が起きて初期化が行われてきました。今の多様な生き物たちは、そのおかげでいろいろ進化を遂げてきたんです。坂東先生は、古くなったパソコンを騙し騙し使い続けるか、ハードディスクを取り換えるか、どちらを選択します?
坂東 フレームともども買い換えるね。
椿 でも、地球は買い換えるわけにもいきません。ならば、初期化をするべきですわ。人間という主要ソフトを新バージョンに取り換えるのです。古い人間は消去します。新品同様に生き返りますよ。
坂東 (頭を抱え怒り出し)嗚呼まいったな……。だから君たち、どんなことをするんだ!


(突然、大音響とともに部屋中が揺れ、坂東はうろたえる)


坂東 地震か?!
梓 (冷ややかに笑い)先生の大声が木霊になって増幅し、雪崩を呼びました。もう、出られませんわ。
坂東 どういうことだ!
梓 入口が塞がれてしまいました。毎年冬には、雪崩で埋もれてしまうんです。椿 ここは大きな蛇穴の中。冬眠の季節到来です。
坂東 ウソだ! (部屋から駆け出していく)



四 ディーバ御殿


 (巨大な鍾乳洞の中に、白蛇のレリーフを施した巨大な鶏卵を縦割りにしたような純白の部屋が造られている。壁には鶏や野鳥、ガマガエルやヤモリ、イモリなど、蛇の好物が吊り下がる。波打つ白い絨毯の上に、白装束のディーバを中心に、やはり白装束の巫女たちが取り囲み、段差のある席に腰を下ろしている。ディーバの横に河童が座り、二人は食事の最中で、イモリを食べているところに坂東が転がり込む)


巫女一 ご遠慮ください。女神様はお食事なさっております。
ディーバ (慌てて首に巻いたナプキンで顔を隠し)恥ずかしいわ。
坂東 家に帰らせてくれ!
河童 (女の声色で)いい子ね。春になれば帰してあげる。(巫女たちはわらう)
坂東 今すぐ!
河童 ここは春まで雪の下じゃ。人間、諦めが肝心でござんす。
ディーバ どうしてこんな所に?
坂東 騙されたんだ。
ディーバ (巫女の一人が耳打ちし)ああ、坂東先生でいらっしゃいますか。
坂東 (落ち着いた振りを装い)私をご存知?
ディーバ ええ、待ちかねておりました。
坂東 おっしゃる意味が分からない。
ディーバ 父にお会いになりました?
坂東 父とは?
河童 山本っていう蛇野郎でございまする。
坂東 驚いた。山本先生のご令嬢とは。お父さんは難病に罹っておられる。あと三日の命だとおっしゃった。(一同わらう)
河童 ウソでございまする。蛇はけっこう長生きでごんす。
ディーバ でも、いずれ手足は退化して、手術もできなくなります。それで、代わりのお医者様を……。
坂東 僕が? 冗談じゃない。僕には勤めている病院があるし、患者さんもいるんだ。それに、授業を受ける学生たちも待っている。
河童 根雪が融けるまで、出られねえってことでごんす。患者なんかどうでもいいでよ。人生、諦めが肝心でごんす。おいらなんか、生まれたときから諦めてらあ。嫌なことはすぐに忘れましょう。人生健康的に生きなきゃね。子猫を捨てられた母猫みたいに、明くる日にゃケロッとよ。(猫の死骸を振上げ、一同わらう)それに、先生が心配するほど、お弟子さんは下手じゃない。だいたいあんただって「あのへぼ教授」なんてバカにされてるんじゃねえの?(一同わらう)
坂東 (へたり込んで)どうしたらいいんだ!
河童 (シャベルを持ってきて)ラッセルしてけんろ。春までには出られるぜ。でも、雪は少しずつ自然に解けていくのです。先生が早いか雪解けが早いか。
坂東 ちきしょう! (シャベルを掴み、巫女たちのわらい声に追われるように部屋から駆け出していく)




五 山本の病室


 (山本は藁のベッドに横になり、その横の椅子に梓が腰掛けている)


梓 (疲れ果てて戻ってきた板東に微笑みかけ)お疲れ様です。
坂東 四方八方、氷の壁。なぜ、こんな目に遭うんだ。 
(側のソファーに倒れ込むように腰掛ける)
山本 ディーバに会ったかね?
坂東 ええ。あんたの娘?
山本 私がつくった。顕微鏡下でな。しかし娘ではない。
坂東 取り巻きの巫女は?
山本 あいつの体の一部さ。連中は女王の命令には何でも従う。死ねと言われれば死ぬ。
坂東 マインドコントロールか……。
山本 君はどうだ。知らず知らずに社会にマインドコントロールされている。家族にマインドコントロールされている。職場にマインドコントロールされている。どこが違う。君は有能な医者で社会の名士ですか。(吐き出すように)サルどもめ! ここは違うぞ。すべてをコントロールする、地球を丸ごとコントロールする司令塔だ。人民に媚へつらう必要はまったくない。君だって、慇懃に振舞う必要はないぞ。無礼、無礼、無礼で押し通せ!
坂東 ここが地球の司令塔? (わらって)まるで未開社会だ。
山本 未開も文明も同じさ。文明なんざ蹴っぽりゃ崩れるアリ塚のようなもの。今も昔も変わらんよ。君、アステカ文明を想像したまえ。女王のために、娘たちが首を切られる刺激的な社会。いいかね。今も昔も、この文明下においても集団を牛耳る唯一の方法は恐怖政治とマインドコントロールだ。
坂東 で、先生の役どころですが。
山本 ゼウス、シバ神、百歩譲って始皇帝かな。刃向かう敵はすべて食い殺す。ところで、君に忠告しよう。ディーバには惚れるな。
坂東 (失笑して)いきなり何です。ゼウスの娘に言い寄れば、たちまち蛇にされちまう?
山本 娘? あれは単なる蛇さ。
坂東 あんたも蛇だ。
山本 心外な。私はゼウスのお怒りを買っただけ。そう、現代版プロメテウスさ。神も恐れぬ遺伝子操作。私は神に対して不遜な行いをした。ディーバは私が作った怪物。ホルモン製造工場にしようと思いました。まあいい。難しい話は後だ。
坂東 ところで、怪物といえばあの河童はなんです?
山本 ああ、あれね。養殖ものさ。天然ものではない。
坂東 天然と養殖ではどう違うんだ?
山本 難しい質問だね。天然ものはいまだ発見されていない。単なる作り話さ。ミイラはあるが、ありゃまったくのニセモノ。しかし、養殖ものはいくらでも生産ができる。簡単だ。人間の受精卵にカメの甲羅の遺伝子とガマガエルの皮膚の遺伝子、てっ辺ハゲの遺伝子をカクテルにしてさあ御立会い。ガマの油をちょと付けて、人工子宮内でいろいろ手を加えながらですな、形を整えて生ませる。あの突き出た口はペンチで思い切り引っ張ったのさ。
坂東 人工子宮? 成功すれば世界初の発明だ。
山本 そう、出産を生産にチェンジする次世代のキーテクノロジーさ。
坂東 (驚いて)いったい何のために……。
山本 何のため? 人類を救うためさ。
坂東 河童をつくることが?
山本 私は、自滅することのない新人類をつくろうとしているんだ。いろんなタイプを考えた。どっちが将来的に伸びるかは私にも分からん。ほら君、未来の人類って、頭がやたら大きくてさ、運動嫌いで身体はひょろひょろ。まるで河童だ。
坂東 (わらって)あれが未来の人類?
山本 正直言うと、失敗作。だが、最初の一歩はあんなものだ。しかし、あいつの実験は私に自信を与えてくれた。そして、二作目で見事成功。椿君さ。
坂東 椿さん。あの女性は……。
山本 新人類のプロトタイプ。遺伝子工学の新しい可能性を拓いたと称賛されることは間違いない。ノーベル賞ものだ。
坂東 イグノーベル賞でしょ。
山本 (怒って)いいかね、私の技術をもってすれば、生まれてくる赤ん坊をいかようにも加工できる。目の大きくなる遺伝子、鼻の高くなる遺伝子、背の高くなる遺伝子、天才の遺伝子、なんでもぶっ込んじまえばパーフェクトな人間を生み出すことができる。そいつらが地球に溢れれば、古代から停滞している人類の進化は再び上昇に向かう。その前に、古臭い人間どもはゴミ箱行きさ。まさに新旧交代!
坂東 しかし、河童はいささか遊びすぎだ。
山本 アイデアは冗談から生れるのさ。しかし、おかげで私も蛇にされちまった。(自虐的にわらって)神のお怒りに触れた。ところで私の緑の顔は単なるカモフラージュだが、あいつの緑は葉緑素だ。食い物が無くても光合成で生きていける。しかも頭の皿はラクダのように水を蓄える。二リットルもだぜ。空腹と喉の渇きを解消すれば、あとはセックスだけだが残念ながらお相手がいない。最初にして最後の突然変異。非常用電源として、甲羅にはソーラーパネルも埋め込んでおります。
坂東 (シニカルにわらって)すばらしい。未来の人類は一生涯自家発電で終えちまう。
山本 あれは失敗作だって。あんなのが新人類か? ところで、君は有能な医者。だから、君はここにある目的で呼ばれた。私の研究を引継ぐという……。
坂東 バケモノづくり。冗談じゃない!
山本 君は世界の救世主となる。
坂東 いったい何の研究!
山本 地球上で二酸化炭素を大量に吐き出している生物は?
坂東 牛さんと人間さん。
山本 ピンポン! こいつら地球環境にとっちゃ害獣だ。しかし、牛さんに牧場があって人間にはない。不公平だよ。で、私は旧人類のために牧場を作ることにした。
坂東 人間牧場? 
山本 巨大だ。地球の陸地はすべて牧場。人肉を得るための牧場ではない。旧人類を新人類にチェンジするための牧場さ。増え過ぎた害獣を殺処分するための牧場だ。
坂東 (わらって指で頭を差し)あんたの脳味噌は蛇に退化した。とにかく僕は、ここからオサラバ! (うなだれてしゃがみ込み)といって、どうすりゃいい……。
山本 (囁くように)君、周りがおかしくなってもさ、一人では抵抗できんのだよ。戦争を想像してごらん。反抗して憲兵に殺されるよりか、大人しく従ったほうが利口だ。ご近所さんと一緒になって踊りゃいいんだ。郷に入れば郷に従え。ここのいかれた集団は、旧人類の浄化および新人類への差し替えでブレークスル-を狙っている。しかもその新人類は工場で量産できるのさ。君、セックスなんて、あんな恥ずかしい行為は旧人類でおしまい。ありゃ、下等動物のやることだよ。
坂東 しかし、秦の始皇帝ともあろう方が、セックスを否定なさるとは。
山本 いやもちろん、僕は蛇だもの、ハーレムくらいはつくりますよ。認めよう、ここはカルト集団の巣窟じゃ。出口はない。ならば命あってのモノダネだ。状況を冷静に判断し、クレバーに行動するんだ。周りと同じように振舞うのさ。いや、人生に転機が訪れたと考えればいい。学長がなんだ。総理大臣がなんだ。所詮は薄皮饅頭の上に座らされた太鼓持ち。中身のあんこは嫉妬深いアホどもの肥溜めさ。粗相をしようものなら、すぐに皮が破れてクソまみれ。そこへいくと、秦の始皇帝は違うな。絶大な権力だ。しかも血も涙もない大悪人。これが大事だ。マキャベッリさんも言っておる。世界をまとめるのは権力を持つ悪人だ。(急にベッドから上半身を起こして役者ぶり)私の前に、世界中が震えるのだ。(突然現われ手を叩く椿に驚きながらも止めることなく)おお、麗しき未来人よ。価値ある理想の人よ。杖をこれへ。さっそく研究室をお見せしよう。古い人間どもをチェインジする研究だ。これを見れば、君だってたちまち悪党ファンクラブさ。一度悪の道を覚えたら楽しくって止められないぞ!


 (寝床から立ち上がった山本の首に巫女が洒落た蝶ネクタイを掛ける。下半身も蛇になっている。山本は立ち鏡の前でネクタイを直し、ナチ風の士官帽をかぶり、松葉杖で移動する)



六 山本の研究室


 (寝床と反対側の洞窟の壁を剥がすと研究室がある。研究室には二つの檻があり、一つの檻には若い男が二人入れられ、もう一つの檻には下半身蛇になった女が三人入れられている。その他のケージには半分蛇になったネズミやネコ、犬などが入っている。奥には、人工子宮装置やさまざまな機器、小規模な培養器が置かれている)


坂東 僕もやはり医者だな。グロテスクにもすっかり慣れちまった。
山本 未来を先取りした風景だろ。未来の科学者のホビーは、怪物たちをつくって戦わせるのさ。このオスどもは拉致したわけではない。好きでここにやってきたんだ。私に皮膚を提供するはずだったが、その必要はなくなった。もう、手遅れだもの。
男一 ざまあ見やがれ。
坂東 君たち、檻の中で幸せか?
男一 幸せだね。興奮しっぱなし。
男二 つまらん人生よりはよっぽどマシさ。
坂東 同性愛か。
男二 蛇女さ。お願いだ、一緒の檻に入れてくれ。絡ませてくれよ。
蛇女一 ご冗談。気色悪い。
山本 この蛇女たちもかつては脚線美の巫女だった。
蛇女二 そこの蛇ジジイとは違うよ。
蛇女三 ディーバの皮をもらったのよ。
男一 俺たちも、蛇になりたいな。
男二 鎌首に首っ丈。あのくびれにしびれちゃう。
坂東 (頭を抱え)どいつもこいつも狂ってる!
山本 不思議なことを言う。君は生まれてから一度も、世の中おかしいぞと思ったことはないのかね。私は違う。幼いときから、世の中狂っとると思っていた。しかし残念ながら、みんながおかしければそれが普通の世界になっちまう。毒ガス、原爆なんでも来いだ。(ネズミのケージを指差し)それより、このネズミたちを見たまえ。こいつらは死んでいるわけではないし、寝ているわけでもない。ある薬液を浸した綿に鼻面をくっつけて恍惚に酔いしれておる。
坂東 例の惚れ薬か。それとツチノコがどう関係あるんだ。
山本 見たいかい? 
蛇女たち 見たくない!


 (四人の巫女に目で指図すると、巫女たちは奥の部屋から、黒い布に覆われた大きなケージを引き出してくる。山本の指示で巫女は布を外すと、ケージの中でツチノコがのたうっており、蛇女たちは悲鳴を上げる)


山本 フェロモンプンプン! どうだね、我々のなれの果てさ。(蛇女に)彼女は君たちの何年先輩かね?
蛇女三 知らないわ! 
蛇女一 いったい誰なのよ。
山本 完璧なツチノコの出来上がり。どうだい。皮膚移植の最高傑作。人間がすっかり蛇になっちまう。
坂東 ハンドバッグ何個分?
梓 いずれみなさんも、高く売れますよ。蛇皮は、満月の夜ごとに増殖します。
山本 (舌を出し)この舌も左右に割けて紐になっちまう。シャーシャー!
椿 それはガラガラヘビの尻尾の音です。
山本 すいません。(急に体をくねらせ泣き出して)おいらも蛇になるんだ!(大声で蛇女に)蛇になっちまうんだぞ! お前ら、悲しくねえのか!
蛇女一 見苦しい。観念しな! 神様はすべての生き物に命を与えてくださった。たまたま人間に生まれたけれど、運が悪けりゃ毛虫だよ。ディーバは私におっしゃったわ。生前、あなたは蛇でしたと。だから、蛇に戻ったんだ。
山本 呆れた。いまだマインドコントロールされとる。
坂東 蛇になってまで、生きたい?
蛇女二 幸せよ。ディーバからいただいた蛇の命ですから。
山本 オーイ精神安定剤!


(山本が巫女から注射を打たれ、梓と椿、坂東、ツチノコがスポットライトに浮かび上がる)


坂東 (冷たく)目を背けたくなる。
山本 (暗闇から)しっかと見ろ。最先端の研究だ。これが未来の医学だぞ!
梓 ツチノコは昔、普通の蛇でした。たった一つ違うところは、旺盛な食欲。特にガマガエルが大好物で、山からガマガエルがいなくなってしまうほど。
坂東 それを見かねた筑波の神様が、止めようとなさった。
梓 よくご存知。
坂東 とぼけたジョーク。
椿 止めたときに、ちょうど巨大なガマガエルをぱく付いているとこだった。それで、あんな大きな頭になった。未来人の私も同じ(狂ったようにわらう)。
坂東 いままでなぜ捕まらなかったか。それは、醜くなった自分に恥じて、穴の中に隠れてしまったから。
梓 ツチノコはこの世の小さなブラックホール。それは、心の闇のよう。臆病者たちがひっそりと深い穴を掘り続けている。交尾のとき以外はまったく動きません。穴の中にじっとして、獲物を誘き寄せて捕まえます。人がツチノコを見たときは、大きな口に吸い込まれる瞬間。でも、それは満月の夜だけ。
坂東 なぜ?
梓 食事ほど無駄なエネルギーを使う行為はありません。
坂東 非生産的な時間であることは確かだ。いや、これは医者の言葉じゃないな。
梓 ダイエットで省エネします。動かない。余計なエネルギーを使わない。食事のときだけ動く。で、月に一回まで減らせた。満月の夜に穴から鎌首を出して、獲物を待ち構える。そのとき同時にツチノコの細胞は分裂を始め、ツチノコは脱皮します。
椿 獲物と逢うのがツチノコのただひとつの楽しみ。お友達に飢えていて、もう逃げないでねと思わず飲み込んでしまうの(狂ったようにわらう)。
坂東 どうやって、餌を引き寄せる?
梓 惚れ薬ですわ。特殊なフェロモンを撒き散らす。何キロも先まで匂いが立ち込める。それを嗅いだら、獣たちはわれを忘れて引き寄せられてきます。鼻面を穴の中に入れたところを、がぶり! ツチノコは労せずに食事にありつける。
坂東 怠け者め!
山本 (闇の中で弱々しく)私は考えたのだ。(急に激しく)この惚れ薬を世界中に撒き散らすことを……。
坂東 (失笑し)面白い。世界中が恋狂いか。しかし、お巡りさんを先頭にライオンさんもゾウさんもやって来ますよ、この洞窟に。
椿 人間だけに効くフェロモンがあるの。ディーバの脇の下から染み出る高級品。一ミリリットルで百万人を酔わせるの。
坂東 ディーバはやはりツチノコ?
山本 人間と蛇のメリットをあわせ持つハイブリッド、キメラだ。満月の夜ごとに強烈なフェロモンを出してくれる。私はそのフェロモンを培養した。いいかね。八十億の旧人類をコントロールできる量だ。
梓 人類を救う麻薬です。
椿 人類をスイッチする麻薬です。
坂東 人間を家畜にする麻薬です。
山本 いや、人間をトサツする麻薬だ。
梓 宇宙船地球号を救うのです。船長は一人だけ。船頭が多くては、陸に上がってしまいますわ。
山本 いまの船長は蛇に格下げ。そこで坂東船長のご登場。
坂東 (声を立てて激しくわらい)僕が二代目船長ですか。光栄です。で、最初のお仕事は? どなたを蛇にして差し上げましょう。
山本 いや君、積荷の処分だよ。地球号は過積載でパンク状態。しかも積荷はガラクタさ。君、人類は増えすぎたゴミさ。船長のお仕事は、まずはゴミを減らし、喫水を下げる。このままだと船もろとも海の藻屑。
坂東 (手を打って)余分な奴らは、海に落としてサメの餌食だ! (梓と椿は手を叩く)
山本 いいぞいいぞ。新人類のために旧人類を浄化するのだ。ソフトランディングでな。ミサイルも飛んでこない。水爆も落ちない。魔法だよ。ハーメルンの笛吹き男だ。入水自殺、投身自殺。自分で死ぬんだもの自分のせいさ。自業自得。旧人類はいつになっても魔術の世界から抜け出せない。科学は錬金術という魔術。魔術イコール妄想。妄想イコール悪夢。悪夢イコール、ホロコーストじゃ!
坂東 意味不明です。
椿 進化のエネルギー源は愚にもつかない妄想だというお話ですわ。科学者の妄想から新人類が生まれる。新人類は旧人類に殺されたくないと願って弓矢を発明する。鬼を恐がる人は自分が鬼になる。管理するか管理されるか。どちらを選ぶかはご自由。地球はどこでもトサツ場。
梓 世界を幸福な状態に戻すため、私たちが死を支配し、殺害を実践しなければならないのです。
坂東 あんたたちが人類の死を支配する……。恐ろしい集団だ。
山本 いやなに、君の仕事は非常にフェアだよ。白馬に跨って、気ままに投げ縄を放てばいい。遠慮するこたあない。縄の掛かった野郎は運が悪かった。君は運命の女神さ。そろそろ人身御供の選考会がはじまるぞ。坂東君に見物させてやれ。(板東は頭を抱えてうずくまる)



七 ディーバ御殿


巫女一 満月の夜が近づいてきました。私たちみんな、ご指名を望んでいます。
ディーバ 私のため? それとも地球のため?
巫女たち ディーバと地球は同じ意味。私どものすべてです。
ディーバ あなたたちを等しく愛しています。あなたたちに私が必要なように、わたしにはあなたたちが必要。必要でない者からは選べません。
巫女三 必要な者から選んでください。
河童 (果物籠からカエルとイモリを取り出し)あんたは、太ったガマガエルと、痩せたイモリとどちらを先に食べる? (全員わらう)
巫女三 カエルは最後に残しましょう。
巫女二 カエルから食べるわ。
ディーバ 私は、両方とも食べない。嫌いなものは食べる気しないし、好きなものを食べるのはもったいない。そのまま迷っていると、そのうち空腹を忘れて、幸せな気分で死んでいける。
河童 即身成仏ですな。でも、食べないよりは食べたほうが増しでごんす。美味かった思い出はずっと残るもんな。
ディーバ 嗚呼、思い出なんて! (泣き出して河童を抱擁し)楽しい思い出はなにもない。煤けた思い出が積みあがっていくのよ。可哀想な巫女たちの思い出で心は張り裂けそう。嗚呼貴方も、なんて可哀想な姿でしょう。
河童 生れ持っての道化でさあ、おいらは気にしていないぜ。
巫女四 生贄はディーバの体の一部になるのです。家畜の魂が人間の血となるように。それが、神様のお創りになった世界です。
ディーバ ならば、どこかから生贄を取ってきて。身も心もすでに冷え切った生贄でいいわ。あなたたちの体は温か過ぎる。(巫女五に)あなたの命は私の心にも息づいているの。死んでしまったら、心の中のあなたもいなくなる。


 (巫女五が急に短刀を取り出し自分の胸を刺す)


坂東 (駆け寄り))なんてこった!
巫女五 さあ、冷たい体を差し上げます、女神様。
ディーバ (巫女五を抱き)悲しいわ……。
巫女たち 卑怯者!
坂東 (震える手で巫女の脈を取って)ご臨終です……。
河童 嗚呼バカほどバカなものはない。雪室に入れてたって満月の夜までには腐っちまうぜ。(坂東を見て)ちょうどいいところにおじさんがいるぜ。先生に選んでもらえばいい。
巫女たち (坂東に詰めより)私を選んでください。
坂東 選ぶとどうなる?
巫女一 お分かりのくせに。
坂東 (頭を抱え)嫌だ。
梓 私が選びます。(巫女一に)あなた。
巫女一 (感激して)ご恩は決して忘れません。
坂東 選ばれたあんたは?
巫女一 魔法の揺りかごに包まれるのです。
坂東 揺りかごとは?
河童 魔法の香りだよ。姉ちゃんのフェロモンプンプンだぜ。
坂東 (河童に)なぜ笑っている? 君たちは全員狂っている!
巫女一 満月の夜には、先生が主役。
巫女二 満月の夜には、すべて分かりますわ。
巫女三 満月の夜にすべてが起き、すべてが戻る。




八 月の見えるドーム


 (中央にミサイルが立ち、ドームの天井が丸く開かれ、満月が輝いている。巫女たちが月に向かって祈りを捧げているところに梓と坂東が入ってくる)


坂東 このロケットに、核弾頭でも載せるのかい?
椿 惚れ薬を詰めて、成層圏でボーン!
坂東 そのXデーは?
梓 先生の腕しだいです。
坂東 おっしゃる意味が分からないな。ところで、蛇先生は?
梓 脱皮の最中です。満月の光を受けて、細胞たちは分裂を始める。
坂東 いよいよ完璧な蛇に……。
梓 あとは坂東先生の出番です。
坂東 断ったら?
梓 お分かりのはず。
坂東 死ぬのはいやだな。
椿 (わらって)蛇になるという道もありますわ。
坂東 邪道だな。犬になるほうがマシ。美人に飼われるペットがいいな。いや、ネズミでもいい。爬虫類は嫌いだ。で、いつまでに返事を?
梓 今です。
坂東 ムチャだ。
梓 時間がありません。
坂東 せめて一晩。
梓 ダメです。今夜がお仕事です。
坂東 何をしろと?
梓 先生のお得意な手術です。


(突然、シャーシャーという音とともに、顔の半分を蛇の鱗で覆われた半狂乱のディーバが河童に支えられて入ってくる。巫女たちは動ぜず、一心に呪文「カルマ・ビーシャ」を唱え続ける)


河童 さあさあさあ、お姫様がご乱心じゃ! そこのけそこのけ!
ディーバ (鱗をむしり取ろうとしながら)助けて! 引き込まれる。悪魔よ。持ってかれちゃう! 
河童 ようこそ蛇の世界へ。
ディーバ カサブタ! 取ってよお父様!
椿 (わらって)お父様も蛇におなりよ。
ディーバ 役立たず! (突然バタリと倒れ、悪霊がのり移ったように蛇の人格が現れ、しばらくのたうちながらわらいこける)いいぞいいぞオ。ざまあ見やがれ。楽になれよ。中途半端じゃおかしいぜ。後戻りはできねえんだ!
梓 ご安心なさい。ここに高名なお医者様がいらっしゃいます。
河童 (ディーバの心が乗り移り、女の声で)よかった。先生お願い。(坂東にすがりつき)女に戻してください! きれいな私に。(坂東のむなぐらを掴み絶叫して)蛇野郎を追い出せ! 
坂東 (河童を突き放し)どうすりゃいい!
ディーバ (突然坂東の首を締め)何もするな! 俺に触れるな! 
坂東 くっ苦しい、離してくれ!(河童が間に入って二人を切り離す)
ディーバ 蛇のほうが利口じゃ! 
坂東 (倒れて首を擦り)蛇になっちまえ!
河童 (うろたえ)助けて先生!
ディーバ かまうな! 
河童 (泣きながら)女に戻して!
ディーバ きれいな鱗じゃ。エメラルドさ。
河童 バケモノ! 
ディーバ (河童に) バケモノ!
河童 口もベロも割きイカ野郎!
ディーバ 口も頭も河童野郎!
河童 先生、何とかして! 助けてください。
ディーバ 諦めろ! 勝ち目はねえぞ。俺は蛇だ!
椿 (白けて)ツチノコ暮らしはいかが?
ディーバ (のたうちながら)あーあ、快適さ。死ぬまで穴の中。安全じゃ。群れなけりゃストレスもないさ。誰も虐めやしない。三密状態で死ぬこともねえ。
河童 人間だって一人で生きていけますわ。
ディーバ おまんまどうする。
河童 ゴミ箱荒らしです。いや、銀行強盗だ。そうですか、お金持ちのご両親。ディーバ ああ惨め。群れなきゃ死んじまう。盗まなきゃ死んじまうぜ。離れザルだって、もっとちゃんと生きてるぜ。放っておいてくれよ。穴の中が最高。揺りかごじゃ。子宮じゃ。
河童 蛇に子宮あります? あああ! 河童も世界に一匹じゃ。退屈! 退屈! 退屈! 寂しい!寂しい! 寂しい! 蛇の暮らしなんか、想像するだけで鳥肌が立ちまする。
ディーバ 虚しいぜ……。みんな孤独だ。俺は逃げねえんだ。反りの合わん奴らと付き合うよりかマシさ。蛇はいいぜ。慾がなけりゃ退屈もしない、努力もいらねえ。餌には事欠かねえ。それによ、千年に一回、ご臨終の間際に発情すればいいんじゃ。
河童 (観客に向かって)おい、よおく聞け。発情機械の人間ども! お前の人生、発情だけかよ! 
ディーバ 群れるな、固まるな、戦うな! たのむ。楽になってくれ。全部捨てちまえ。蛇になれ!
河童 嫌だわ。
坂東 死んだほうがマシだ。
ディーバ サル野郎。断食の坊さんを食ったことがあるぜ。不味いったらねえ。骨と皮さ。平然としてた。痛さ痒さもねえんだ。食おうが食われようが、死のうが生きようがどうでもいいのさ。
坂東 で、何が言いたいの?
河童 おばかさん。蛇ですよ、私。(激しくわらって)冬の私に寒さは大敵。体も頭も動かさない。それが忍耐というものさ、なんてこの臆病者! さんざん傷付いてさ、穴から出れなくなったんじゃ。この顔じゃ、隠れるのは無理もない。とっとと働いて銭稼ぎな! 
ディーバ 顔のことは言わないでください。お前ら河童は、罵り合って元気になるイカレた化け物だ!(急に激しく回転し、床に倒れる)
坂東 (優しく)見てくれは気にしなくていい。君が悩むほど、誰も恐がっておらんよ。
河童 (わらって)ところで、その千年に一回しか発情しない方法を教えてください。これを会得すれば、おいらももっと勉強に励める。東大合格じゃ!
ディーバ (医者風に)いいですとも、メンタルトレーニングです。まず、ご自分のお顔を鏡に映すことですな。すると、たらたらと脂汗。自ずと引きこもりがちになり、体を動かさなくなる。手も足も出ないと考えましょう。次に、エッチな夢を頭蓋骨の中で空回りさせる。相手はモデルさんだ。独楽鼠のようです。超伝導コイルかな。燃料なしで永久に回り続けます。不思議だ。欲望は泉のごとくこんこんと湧き出てきます。しかしこの信号は、決して筋肉に伝えない。夢で終わらせるのです。そのうち脳幹も延髄・脊髄もみるみるやせ細り、不能になっちまって出来上あがり!
河童 それがツチノコの生活? 夢の中での千年暮らし? みじめえ~!
ディーバ いいじゃないの。現実は甘くない! お前は河童だ! 人間にもなれんのさ。ほうら、夢見るあんたは美しい。モテモテじゃ。ずっと楽しい河童で送れる。楽しい夢は、千回見たって飽きないぜ。
椿 同居人は大迷惑だ!
ディーバ (駆け回って)ならば皆殺しじゃ! 夢ならお咎めなし。頭の中で親を殺したぞ。まあ安心しろ。じっとしていりゃそのうち夢も見なくなる。植物さ。満月に花開く食虫植物じゃ。
河童 私、何を考えてるの? そうだ、おいらは惨めな河童人生を送っている。おいらの夢は過激だぞ!
ディーバ (坂東を指差し)こいつの首を絞め殺す夢。
河童 ダメだよ。大切な人だよ! 
ディーバ うるせえ!


(ディーバは坂東に飛び掛ってしばらく揉み合うが、そのうち抱擁に変わっていく)


河童 (梓と椿が無理やりディーバを坂東から引き離すと元に戻り)愛の勝利だ。蛇野郎は逃げていったぜ!
梓 フェロモンにやられたわ!
椿 フェロモン万歳!
ディーバ (放心して)お分かりですか、私の悲しみ……。
河童 手術の手順は蛇の親父が教えてくれまする。
坂東 (朦朧と)ああ、教わろう。
梓 取り急ぎ、移植手術を始めます。
坂東 (頭を押さえ、恍惚状態で)緊急手術だ。ドナーは?
河童 ドナーはドナーた? 
ディーバ ドナーはドナーてんだ!
梓 うるさい、ドナーらないでください!
板東 手術室はどこだ!
梓 最新の設備。無菌室です。
河童 (板東の声色で)すぐにやろう。
梓 月が出ているうちはダメ。蛇皮は増殖中です。
河童 (ディーバの声色で)待てないわ。お父様に早くいらしてもらって。ほら、お父様の大好きなオーデコロンよ。取りにいらっしゃい。
椿 助平ジジイ、ベッドから這い出してくるわ。
坂東 (恍惚と)二人にさせてくれ。
梓 ダメです。
河童 (梓に)人間は出てってくれ! 


 (坂東とディーバ、河童を残し、全員が去る。二人は再び濃密に抱き合う)


ディーバ  蛇のように激しく抱いて。絡まりあったまま、融けてしまうぐらい……。
坂東 氷のように冷たい姫君。
ディーバ 私、冷血動物です。嗚呼私の貴方。
坂東 君の私。


 (坂東とディーバは激しい抱擁を続ける。いったん舞台は暗黒となり、肩寄せ合って座る二人にスポットライトが当たる)


ディーバ (醒めた様子で坂東から離れ)私は研究材料として生まれました。
坂東 人類を救うメシアとして?
河童 (ディーバの声色で)人類なんか滅びるがいい! みんな蛇におなり。
ディーバ 幸せなんて、ここにいる私たちだけで十分ですわ。幸せって、不幸から解き放たれた一瞬の香り。束の間の香りを掴むために、私たちは生きているの。ツチノコのお話、父から聞きました?
坂東 さあ……。
ディーバ 父は二十年前に、四国の剣山でツチノコを捕まえた。ツチノコは千年も生きるの。一度も蛇穴から出ない。蛇穴から出るときは交尾をするとき。交尾をするときは死ぬとき。月明かりのない晩に、オスはメスの臭いに引き寄せられ、メスの穴に入り込んで交尾する。
坂東 それで?
ディーバ オスは交尾をした後にメスに食われてその糧となるんです。メスは子供たちが腹を食い破って出てくるのをじっと待つ。腹から出てきた子供はいつもメスとオスの二匹。生きた母親の肉を食べながらマムシほどに成長すると母も息絶え、お坊ちゃまのほうは父親のいた穴に引っ越すの。
坂東 悠久の年月を、単に生き続けるためだけに生れてくる。
河童 究極のエコロジーライフだ! リデュース、リユース、リサイクル。増えもしないし減りもしない。新しい住処を掘り返すこともない。穴にいれば死ぬこともないぜ。増えすぎて見つかりもしないし、減って絶滅することもない。
ディーバ 先祖代々の世捨て人。だから見つからない。
坂東 どうやって捕まえた?
ディーバ 穴の上から麻酔銃を打ち込んだのです。小型クレーンで穴から引きずり出し、こっそりと研究室に持ち帰ったの。
坂東 どうして内緒に? 世紀の大発見を。
ディーバ 父の目的は別のところにあったの。父は古文書で知っていました。ツチノコに食べられそうになった猟師のお話。神田の古本屋で見つけたの。ある満月の夜に猟師は山小屋で一夜を過ごした。すると、どこからともなく生臭い香り……。猟師は夢の世界に引き込まれ、香りに誘われてさまよい始めた。すると、カモシカやイノシシ、オオカミやクマが、みんな踊りながら、同じ方向に進んでいくの。すり鉢状の小さな窪地。真ん中に大きな蛇穴が開いていた。その穴から、巨大なおしゃもじのように、ツチノコが鎌首をもたげている。獣たちは次々に斜面を転がり落ちて飲み込まれていく。でも、猟師はいったん飲み込まれてから、イタチと一緒に吐き出されてしまった。
河童 (嗚咽し)残念! 食っちまえばよかった。
ディーバ まさか、何百年後にひどい目に遭うとはね。お父様は古文書から蛇穴のありかを見つけ出した。
坂東 獣たちをおびき寄せるフェロモンが欲しかった……。すると君は?
ディーバ フェロモン製造工場。
坂東 誰がそんな……。
ディーバ 人間のES細胞にツチノコの遺伝子を混ぜ込んで……。
坂東 君だけではないだろう。
ディーバ ほかの子は失敗だった。私は、人間と蛇のキメラ。だから私のフェロモンは、人間にしか効かない優れもの。先生は勇気がおありね。
坂東 なぜ?
ディーバ 私のフェロモンを、クンクン嗅いでいらっしゃる。
坂東 (驚いて)まさか手遅れ?
河童 (わらって)手遅れだよ。
坂東 (蒼くなってディーバを突き放し)やめよう。
ディーバ (擦り寄って)捨てないで!
坂東 いいや。(抱き合う)蛇にはさせない。
ディーバ 私、きれい?
坂東 人間として? (我に返り、震え声で)蛇として?
ディーバ ひどい人。でも、許します。グロテスクなものは動物と思えばいい。私が生まれて、地球は未開の地に戻った。化け物たちが突然できてしまう時代。けれど太古から、人間はグロテスクが大好き。人を捕まえて殺す行為はグロテスク? いいえ、人間は肉食獣だもの平気だわ。お腹がへれば人肉だって食べるわ。地球のシステムは弱肉強食。敵と味方じゃ命の重さもぜんぜん違う。私はあなたにとって敵? 味方? それとも化け物? 
坂東 (いきなりディーバに接吻して)君を愛する方法を発見した。目を瞑って臭いだけに酔いしれる。決して目を開いてはいけない。
ディーバ 目を開いたら石になるって、ひどいわ。(わらって)でも、いい。許してあげる。大事なのは、愛し合うこと。いま、先生は私のもの。そして、私の苦しみを心から悲しんでくれる。
坂東 君の苦しみ?
ディーバ 苦しみを分かち合うのが愛でしょ? 先生は私の顔をみて、泣かなければいけないわ。どうしてこんなことに。恋人が、どうしてこんな姿になってしまったんだ!
河童 大変だ! 取り返しがつかないことになっちまった。
坂東 大丈夫さ。僕が治してみせる。さあ、まずは問診から。知りたいな、君のこと。
ディーバ まずは私の生きている地球のお話から。生き物たちは争いながら生きてきた。それが地球。神様はいろんな病気をばら撒いてくださっている。これも地球。でも、人間だけが自然の摂理に逆らって、地球をメチャクチャにした。一度目は神様から火を盗んだ。二度目は私をこしらえた。父は第二のプロメテウスだと吹聴している。
河童 いいや、蛇のおっさんは神に代わって立ち上がったんだ。昔の地球を取り戻すために姉ちゃんを創った。あのおっさんは理想主義者さ。
坂東 ヒトラー以上の妄想だ!
ディーバ 妄想は革命の母ですわ。私は父の妄想から生まれた革命児よ。父はパンドラの箱を開いた。これからは百鬼夜行の時代が始まるの。父はなぜ、私という怪物をデザインしたのでしょう。
河童 なぜ、僕ちゃんをデザインしたのですか?
坂東 法律を無視したからさ。
河童 大きな発明は、悪魔が手引きするのさ。
ディーバ むかしの生存競争はルールの上に行われていた。悪魔は人間にすべての生物のゲノムを解読させ、何でもありのゲームにしてしまったの。でも自然のルールは健在よ。そこは人間が主役でない世界。生き残る種は生き残り、滅びる種は滅びる。人間は自滅の道を選んだ。きっとアンモナイトのように形が崩れて滅んでいく。人が滅びるなんて微々たること。滅びるに任せておけばいい。(体を激しく震わせ)この私を見て! (河童の肩を揺すり)弟を見て! 人間は蛇や河童に進化していくのよ!
坂東 落ち着いて。
河童 恐ろしい時代に入ったんだ。あいつは俺たちを何のために作った? 
ディーバ 難病の病人を救うため? いいえ、人類を救うため。でも、行き着く先は同じことだわ。目的がどうあれ、この私がソリューション!
坂東 いったい人類をどうしようというんだ!
河童 エリートが育つために剪定するのさ。立派な医者は、メスの代わりにカマを持って役に立たない患者の首を掻き切る。命を減らす医療が人類を救うんだ。
坂東 驚いたな……、過激な優生思想だ。
河童 神はペストをつくり、悪魔は抗生物質をつくった。あいつは神の代理人として、さらに新しいペストを作ったんだ。さあ神に代わって世界にばら撒け!
坂東 何様のつもりだ!
ディーバ 神様です。
河童 で、ねえちゃんは女神様。おいらは屁の河童。
坂東 あきれた。女神様は、神様のお手伝いか!
ディーバ (反発して)この際、人類のことは横に置いておきます。私、お父様の出世の道具にされるのは嫌です。私は美しく生きたい。女としての美しい人生です。お金持ちの男の人と結婚して、ニシキヘビの子供を生みます。嗚呼蛇はイヤ! 嫌いなのよ、蛇。(体を擦り)ムシズが走る! どんなに醜くても蛇よりはマシ。私、綺麗なのが好き。助けてください!
坂東 (悲しい顔付きで)難しいね。君は人間と蛇の錦織……。二つの遺伝子がアラベスクのように錯綜している。君の体の半分は蛇だ! いやほとんど蛇だ!
ディーバ (ショックで倒れ)酷い……。ほとんど蛇だなんて……。私、傷付きました。(悲しそうに)先生だったらどちらをとります? 心が人間で、体が蛇。心が蛇で、体が人間。
河童 蛇の心? 嘘つきで執念深い……。お人よしの蛇なんて、蛇の風上にも置けないぜ。
ディーバ それは誤解。蛇は純真そのものよ。一途なの。でも、心が人間なら、蛇の体は堪えられない。心が蛇なら、人間の体は嫌でしょう。どっちを選んでも同じ。だから私、心が人間のうちは、人間の体に戻りたい。蛇皮を剥ぎ取ってくださればそれでいいのよ。人間の皮膚なら、いくらでもあるわ。
坂東 どこから? 
河童 知ってるくせに。ここは巫女たちのアウシュビッツだぜ! (ディーバが失神するのを見て)ごめん、言い過ぎたな……。
坂東 (我に返り)そうだ、君は若い女を魔法にかけて生皮を剥ぐバケモノだ!
河童 (嗚咽するディーバをかばいながら)なんとでも言いな。人を助けるために川に飛び込んで命を落とす奴だっているんだ。
坂東 そいつの肝を食うのはお前だろ! そしてその馬鹿げた感情を起こさせるのは、君の発散する脂汗に過ぎない、か……。
河童 嗚呼、先生から罵声を浴びて私、立ち直れません。
ディーバ 犠牲も情熱も冷酷も、頭の一部のちっぽけな化学変化。でも私は蛇だもの。まずは自分。バケモノと言われてもいいわ。執念深く生きる。蛇は生きることがすべて。死ねないわ。尻尾を食べてもまた生えてくる。でも、蛇では生きない。人間として生きるの。なら、いっそ先生が、私を殺す! (いきなり胸をはだけて、乳房の上まで覆った蛇皮をひけらかし、媚びるように)
河童 (ディーバの声色で)嗚呼、もうこんなところまで。きれい。キラキラ光って。エメラルド。さあ先生、おさわりになって。珍しい宝石よ。興味がおあり? ほら、お嗅ぎになりました? この脇の下から、ほら。ツチノコの臭い。トリュフの香り。オオ、ジョゼフィーヌ!
坂東 クソ! このバケモノめ!(坂東は夢中でディーバに抱きつき、胸に顔を埋める)
河童 (立ち上がり男の声で)嗅いじまったら、イチコロだ!(ヤーゴのようにわらい続ける)

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