詩人 響月光のブログ

詩人響月光の詩と小説を紹介します。

響月光の詩を紹介します。

思想詩 響月 光


ネクロポリスⅠ


老人は力尽き、モノトーンの冥界に落とされた
出迎えた人々はどれも見覚えのない顔をしていて
死顔のように白く、穏やかな微笑みを浮かべていた
「生前親交のなかった方々が出迎えてくださるとは……」
「意外ですな、いつも気にかけてくださっていたのに…」
老人はもう一度彼らを眺め回し、おどおどしながら尋ねた
「いつごろのお知り合いで?」
「半世紀はゆうに越えております」
「その頃の記憶はあまり定かではない……」
「それは不思議だ。現に私たちとあなたは運命の糸で結び付いている」
老人が自分の臍を見ると、無数の細い糸が出ていて
彼ら老若男女、一人ひとりの臍と繋がっていた
「私たちは胎盤を通して、ずっと冷たい血を送り続けてきたのですよ」
「……そうだ、私の心臓はずっとずっと冷え切っていた」
「しかしこの世界では、あなたのすべてが熱から解放されるのです」
「嗚呼、心だけが死んだように冷え切っていたのに……」
「もう、そのアンバランスに悩むことはないのです」
「そしてここでは?」
老人は不安そうに尋ねた
「ここは恩讐の彼方にあるもう一つの世界です」
「すべての熱から解放される世界、……ですか」
「そう、操縦桿を狂わす脂汗からもね」
「嗚呼、私は……」
老人はその場に崩れ落ち、泣き出した
「忘れなさい、謝ることもない、ここではただハグをするだけです」
臍から伸びていた紐帯はいつの間にか消えていた
老人はよろよろと立ち上がり、渾身の力を振り絞り、直立して敬礼し
それから前に歩み出て、ゲルニカの人々、一人ひとりとハグを始めた





響月 光(きょうげつ こう)


詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。




響月 光のファンタジー小説発売中
「マリリンピッグ」(幻冬舎)
定価(本体1,100円+税)
電子書籍も発売中



○キーワード
「愛しか地球を救えない」


○あらすじ
(時は未来。世界大戦のさ中、世界中から平和を願う者たちが聖火を手に走り出した。聖火台は愛の女神マリリンの丘。聖火台に火を移すと、飢えや戦争、喧嘩のないまったく新しい地球が始まる。聖火ランナーたちは途中で様々な困難に遭いながらも完走し、成し遂げる)
 世界同時核戦争による人類滅亡時、一人の天才が五万年後の地球再生プログラムを残した。五万年後の地球では生き残りの動物たちが言葉を獲得し、火山噴火による天候不順の中、人を含めた動物たちの新たな世界戦争が起こっている。ヒト族の平和主義者が天才の住んでいた洞窟から燃える聖火と七本のトーチ、食糧(エサ)、書を発見。書には「聖火をマリリンの丘に点火すれば平和が訪れる」と書かれていた。さっそく平和を願う動物たちが結集し、トーチに点火するとAI化した天才も目覚め、ヒト族の少女で戦争孤児のアチャナを先頭に一斉に走り出した。
 平和を願う者なら伴走・随走自由。参加者はみるみる増えて炎の棚引く方向へひたすら走る。サル国との国境では、腹を空かせたヒヒ軍に威嚇されるが、エサを与えて仲間に加え、大きな活火山の洞窟に入った。このときリュックから漏れたエサが勝手に増え始め、火山と戦争で不毛の地となった大地をどんどん緑化していった。洞窟の岩戸を開けると、精神をAI化し、永遠に生きることを選択したかつてのフィアンセ、ヒカリ子に天才が再会。光となってアンドロメダからやってきたアンドラもいて、故郷の森をVRで再現したが故障でフリーズ。一行は仕方なしにその中を進み、森林ドミノ倒しなどの危機に見舞われながらもVR空間を抜け出すと、そこは火山の頂上で、七本の聖火の示す方向がバラバラとなり、各ランナーは分散することになった。ヒト族?の青年サケルとアチャナは聖火の棚引く方向が同じだったので恋が芽生えたが、すぐに方向が分かれ、二人はマリリンの丘での再会を誓った。
 アチャナが下った場所はロボット国。ロボットが隣国を攻めるのは、沖合の島が発する妨害電波に耐えられず、民族移動を余儀なくされているためだ。アチャナはトーチをロボットに預け、電波を止めようと仲間と島に向かう。島では妖精たちが出迎え、城の入口を守るヘビ怪物の攻略を手伝う。アチャナは怪物を酒で酔わせて城内に入ることができたが、鏡の間にいたのは幻のマリリンとペットの小豚だった。鏡には電波を止める無数のスイッチが映っていて、そのうちの一つが本物だ。たまたま下に小豚が映った一つを見つけ、それを思い切り切ると城はたちまち崩壊してアチャナは海に投げ出され、海底人の潜水艇に助けられる。
海底人の沈船には海底生活満足組と陸への郷愁組がいて、アチャナは郷愁組の救世主として歓迎され、トーチを手渡される。海底にはアンドロメダからくる聖火が吹き出す所があって、アチャナは点火のために泳いで聖火の中に入ってしまう。そこにはアンドロメダの理想の地球に住む、理想のアチャナと理想の両親、戦争孤児院の理想の仲間たちがいて、アチャナを励ました。アチャナはトーチに火を移し、郷愁組の先頭に立ってマリリンの丘へと急いだ。元気を取り戻したロボット軍団もアチャナの様子を知って、自分たちでトーチをマリリンの丘に運ぶことにした。
アチャナは運悪く、火山が大噴火中のネコ国に上陸。難を逃れるため、ネコ将軍の案内で町の郊外にある秘儀荘に入った。ネコ神ニャッカスが秘儀で救ってくれるという。さっそく壁画のニャッカスが鞭打たれ役にアチャナを指名。岩に縛られて打たれるたびニャッカスのメスネコたちが興奮して杖を片手に回り始め、小さなブラックホールが誕生し、アチャナたちは吸い込まれてどこかへ飛ばされた。
 一方サケルはダチョウ国に入ったが、そこはライオン軍が侵攻している最中だった。突然大量の矢が飛んできて、聖火隊全員の首に刺さったが死ぬ者は誰もいない。ライオン軍がやってきて、模擬矢だと説明。矢があれば腹が減っても喉につかえて敵を食えないという。サケルは沙漠に広がるエサを指差して、あれを食えばお腹一杯になるとアドバイス。最初は「草なんか食えるか」とバカにしていたライオンも、あまりに空腹だったので食らいつき、大満足でシマウマとも感動の仲直り。突然鳥の大群がやってきて、首の矢を掴んでサケルたちをマリリンの丘に運んでくれるという。彼らは地球再生の息吹で卵から孵り、エサを食べて急速に成長し、飛び立ったのだ。
 アチャナたちが落ちたのは世界武器博覧会の会場。太古からのいろんな武器が展示され、商談にも応じるという。アチャナたちは早く出ようと思ったが、骨董の拡声器を十字に四つ並べただけのチャチな武器に注目。開発者が勝手に動かすと、入場者全員がその場で眠り込み、戦争で死んだ恋人や仲間たちの夢を見た。目覚めるとみんな涙を流し、一斉にマリリンの丘を目指して走り出す。しかしその方向は、原爆シミュレーション会場だった。放射能の不気味な光が飛び交う中、倒壊した街を進んでいくと、地面から幽霊たちが浮き出て伴走者たちを引きずり込んでいく。アチャナはかろうじて逃れたが、キノコ雲のハリボテが上から落ちてきて辺りは暗黒になった。しかし廃屋の壊れた便器の穴に聖火が吸い込まれていくので、仕方無しにそこから下界に下りると、死の灰越しに無数の聖火が見え、その向こうにクリスタルの丘が出現した。愛の女神マリリンの丘だ。世界中の聖火が集まっている。透明なクリスタルの中には小学校があって、校庭にはマリリン先生と小豚、妖精(生徒)たち、若い先生サケルもいて固まっていた。
アチャナの横にサケルが来て、自分は天才が作ったそっくりロボットであることを告白。アチャナはサケルがロボットでも結婚することを決めていた。丘は核戦争で蒸発した家々のガラスが地球を回ってここに落ちたものだ。世界中から来た聖火ランナーが丘に登り一斉に聖火を点火する。丘は溶け出して中の連中は五万年ぶりに解放され、飛び出してきた。小豚が死の灰の上を走り回り、緑のウンコを次々にしていくと大きく広がり、たちまち灰は消えて花園に。子豚の糞がエサのルーツだった。大人も子供も感激して走り回り、争いのない豊かで平和な新星地球の夜が明けた。




「あとがき」より


 強いものが弱いものを食べ、さらに強いものが強いものを食べ、その糞を最も弱いものが食べて命を繋いでいく。捕食のサイクルが地球の生態系であるなら、人間を含むあらゆる生物の血に「殺し」の本能が脈打っていることになる。
 多くの高等生物は「殺し」イコール満腹の快感と結びついていて、再び腹が減るまでは狩りをしない。仲間どうしの縄張り争い、雌の奪い合いだって、必要以上の殺戮は起きていない。彼らには本能以上の欲がなかった。天変地異などのアクシデントを除けば、この大らかさが生態系の維持に役立ってきたのだ。
ところが人間だけが脳味噌をグロテスクに発達させて、元は大雑把な感覚だった「快感」を細かく分類し始め、「快楽」にまで高めていった。腹が膨らんで満足してきたものに「味覚」という快楽が加わり、グルメが巷にあふれ出した。餌の確保に必要だった縄張りを「支配」という快楽に発展させて、「奴隷」という惨めな仲間を生み出した。異性を引き付けるフェロモンの代わりに数え切れない飾り物を身に付け、「虚栄」という快楽を獲得した。そしてこれらの快楽を得るための手段は残虐かつ無慈悲なもので、勝ち残ったものだけが「文明」という砂上の楼閣を築き上げることができた。
この物語は、支配のための手段によってあらゆる文明がスクラップした後の地球を描いている。人間の特権であった知性を多くの動物たちも獲得し、彼らは自分という存在を意識するようになった。人が地球を支配する時代は終わり、動物たちにつかの間の平和が訪れる。しかし相変わらず弱肉強食の生態系は続いており、ライオンに隣のシマウマ家族が襲われても、ほかの家族は「隣は運が悪かった」と呟くだけで済ましていた。この星では「平和」という言葉の中に、〝見て見ぬ振り〟〝少数者切捨て〟という意味合いが含まれていたのだ。
しかし、天変地異などで多くの者に危機が迫ると、状況は一変する。それまでは結束の緩かった者どもが「見てくれ」や「習慣」などの差別意識を核に急いで固まり、とたんに毛色の違う連中を排斥し始める。あれよあれよという間に世界大戦が勃発。きっと、いままでの戦争と同じパターンだ。
登場する「天才」は、戦争の根本原因を弱肉強食の生態系にあると結論付け、超自然的な食物によるまったく新しい生態系の構築を目論んだ。動物たちの幸せとは、明日のことを考える必要のない楽園、昔西洋の船乗りたちが驚いた南の島の優雅な暮らしぶり、腹が減れば手を伸ばすだけで甘い果物が得られるような環境に置かれることだ。寒い国の人間たちは生き残るために攻撃的になり、狡知を働かせて常夏の楽園を次々に汚していった。「私はかつて地球のどこかにあった楽園を取り戻してあげるのだ」と天才は決心したのだ。それはおとぎ話のようでおとぎ話でない。宇宙のこと、ブラックホールのことも分からない人間が、真実であるかおとぎ話であるかを判断する資格など持てるはずもないだろう。
世の中には日常の中で幸せを感じる人もいれば、夢の中にしか幸せを求められない人もいる。あるいは、幸せな未来を創ろうと模索する人もいるだろう。しかしその幸せは、個人的なものだろうか、あまねく地球的なものだろうか。グローバル化がここまで来ると、楽園も小さな島だけではやっていけない。飢えた人々が押し寄せて、島はたちまち沈んでしまう。この星に生まれたからには、自分の周りだけでなく、あらゆる場所が楽園になることを真剣に考える必要はあるだろう。なんとなれば、地球上には大小いろんな地獄が点在しているのだから……。
新商品が目白押しの菓子売り場で眩暈を感じ、砂塵に霞む朽ちた雑貨屋の商品棚を連想してしまう読者諸氏に、この作品を捧げたいと思う。




『マリリンピッグ』と初源的同一性


 『マリリンピッグ』は、世界同時核戦争によって人類がほぼ絶滅したあとの物語だ。主人公の一人である「天才」は、そのとき自らの頭脳をAI化して来るべき未来に託し、命を絶った。その来るべき未来とは、自分がプログラミングした「初源的同一性社会」だった。初源的同一性とは、人間と動物はもとは同じもので、人間は自然の一部として動物の主体性をみとめながら生きていくというもので、太古の狩猟社会では一般的な社会の形だった。現代でもカナダ先住民族などにそうした社会の痕跡が見られるという。
 この社会では、動物は人間の食用となるものの、動物の主体性は尊重されていて、互恵関係があるという(人間の身勝手な観念ではあるものの…)。狩人は、動物の魂が自ら人間のために自分の身を捧げるのだと考える。だから獲物の自己犠牲に感謝し、貴重ないただき物として決して疎かにせず、すべてを利用しようとする。当然のこと、必要最小限の狩猟にとどめ、乱獲はしない。
 「天才」はこの原始的な社会の再生に魅力を感じたが、一つだけ許しがたいものがあった。自己犠牲で狩人の目の前に現われる動物は、まるで国のために前線に派兵される兵隊じゃないか……。動物がなんで人間のために自己犠牲を強いられるのか……。つまり人間は王様で、動物は二等兵だというヒエラルキーが存在するかぎり、地球法則である「弱肉強食」の円環から抜け出すことはできないだろうということだった。
 そこで「天才」は、やや独善的な対応策をひねり出したのである。まず、なんで人間が生態系のヒエラルキーの頂点に立っているかといえば、いちばん頭が良いということだ。このピラミッドを崩す方法はただ一つ。ほかの動物たちの頭を良くして天辺を平たくしてしまえば、地球における人間の絶対権力はなくなるはずだ、……ということで動物たちに言語能力・思考能力を与えてしまったのだ。しかしその結果、人間を含めた異種間で世界戦争が再び起こってしまった(人間どうしの戦いが動物を含めた戦いに進化してしまったわけだ)。
 「天才」はこの事態も予測していて、第二段として諸悪の根源である地球のベーシックな「弱肉強食円環」から抜け出す方法として、コアラのユーカリのように、全動物が共通に腹を満たせる「マンナグリン」という自然由来の繁殖性の高い食糧を提供することにしていた。これによって食うか食われるかといった異種間の血なまぐさい闘争は、ひとまず解消されるだろうと考えたのだ。これでおそらく縄文時代くらいは平和的な社会が持続する可能性はあるだろうが、グルメや権力志向の連中は大いに不満だろう。この物語は来るべき食糧危機時代の話なのだ(そんな時代が来るはずないと思ったら大間違い。太陽の黒点が減っただけでおかしくなってしまうのが地球である)。
 現在、遺伝子組み換えや幹細胞培養技術などによって、牛を殺さずに味わえる「なんちゃって牛肉」などが研究されているが、そんなものが本物以上に美味くなっても、本物志向の連中のお眼鏡にかなうかははなはだ疑問だ。人間は気分的な動物だからして……。

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