詩人 響月光のブログ

詩人響月光の詩と小説を紹介します。

ネクロポリスⅨ & 世にも不愉快な物語Ⅰ

ネクロポリスⅨ


老人は太った老人の手招きでたらいの側にやってきた
たらいの側面に耳を当てて、妻の歌を聞いてください
昔はやった「マクベス夫人」の歌です
まるで天使の歌声ですよ
老人が耳を当てると、コケットな歌声が聞こえてきた


信じなさい
手に入るときに手に入れる
恐れることはありません
欲しいものは欲しいのだから
誰に遠慮することがあるだろう
どんどん行くの 欲深く
頭の中は欲しいものだらけ
アメーバのようにしなやかに
単細胞の気安さで
四方八方触手を伸ばし
ウワバミのようにパクリと飲み込む
溜まれば溜まるほど
大きくなって天に近づくわ
ほら、バルセロナの教会のように
みんなの注目を集めるの
あれだって
元はといえば単なる石ころ
あたしだって
元はといえば単なる女
きれいなおべべと宝石で
たちまちお姫になれるのよ
ああ 欲しいものはすべて欲しい
欲しくないものは何もない
名声も 富も 権力も
飽きたら捨てればいいだけさ
女の体が朽ちるとき…
私はわがままに
命を賭けているんだもの



響月 光(きょうげつ こう)


詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。




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「マリリンピッグ」(幻冬舎)
定価(本体1100円+税)
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世にも不愉快な物語
恐ろしきリケジョたちⅠ


 河原では一〇人の男がダンボールの中で暮らしている、といっても立地条件の関係上、やむなく狭い場所に集合しちまった。全員アフター六〇だがけっこう有能だった連中もいて、仕事がなくてホームレスになったわけじゃない。みんな働くのがいやになったのだ。過去にいろんなトラブルを抱え込み、会社をクビになったり辞めたりした。客や上司、同僚に思う存分痛めつけられて、脱落したというわけ。つまり極度の人間不信に陥り、人間関係がうざくなってこうなったんだから、ここでもお互い挨拶を交わす程度で、会話が弾むことはなかった。人間だもの寂しいのはいやだろうが、仲良くなればそのうち互いのエゴが出始めて、喧嘩がはじまることを知っている。生まれてから死ぬまで、他人は常に腫れ物のような存在だった。孤独を楽しむというほどじゃないが、隣に無関心なのがいちばんラクチンというわけだ。
 一〇人が一〇人、摂食や排泄以外は一日中寝ていても苦にならない。寝ているのか起きているのか分からない状態で夢を見ていて、退屈しない。過去には楽しく働いた時期もあったし家族団らんもあったりで、そいつは昔の幸せな思い出だが、粉々に割れた断片になっちまって、使いものにならない。時たま一かけらが心の奥底から浮かび上がってはすぐに沈んで消えていく程度。なんの感傷もありゃしない。


 みんな一日中横になっていたいのに、腹が減ったり、尿意や便意を催したりで、面倒くさそうにダンボール屋敷から這い出してくる。お互い顔を合わせたくない。周囲で動きがないときを見計らい、キョロキョロ首を回して亀みたいに出てくる。期待に反してばったり出くわすと、簡単な挨拶だけですませ、そそくさと用を足しに離れていく。排便の場合は、近くの公園の公衆便所に出向き、小便はそれより近い河原の叢ですませる。食い物の調達は明け方だが、集団行動を取ることはない。すべてがやっかいな仕事だ。しかしそれ以上に面倒くさいのが、オマワリやボランティアのやつらだ。生きることに執着していないのに、余計なおせっかいを焼きやがる。寝たまま楽しい夢を見ながら往生できるなんて、こんな幸せなことはないのに、横槍を入れてくるのだ。仕事や人間関係がいやでホームレスになったんだよ。人生の価値観が違うんだよ。やつらはねちねちと寄ってきて、競争社会の歯車の中に再度引きずり込もうとしている。もう働くのはウンザリなんだ。いまさら堪忍してくれよ、というわけだ。



 しかし、どこかの植物学者だという若い女はスタイルのいいとびきりの美人で、一〇人が一〇人気に入っちまって、一〇人が一〇人の夢の中にも出てくるようになった。こんなところにモデル級の美人が来ることじたい夢かうつつか幻か分かりゃしないが、そんな区分けなんざ彼らにとってはどうでもいいことだった。しかし少なくとも全員が、食事や排泄のほかにもう一つのプリミティブな欲望があったことを思い出した。彼らの生殖器はすでにミイラ化していたが、キリスト教徒でもなかったので、この先生とセックスしてる夢を見るのは自由だった。
 先生の名はミドリといって、NPOの会員でもボランティアでもない。ある交渉をしに、どぶ臭い河原にやってきたのだ。端の段ボールから一戸一戸、それぞれ一時間くらい時間をかけて納得のいくまで話をし、五日間毎日やってきて一〇人全員と契約した。
タコのダンボールには最後にやってきて交渉を始めたが、タコは昨日隣のダンボールでの交渉に聞き耳を立てていたので、ミドリが話を切り出す前に「オッケーだぜ」と快諾してしまった。
「隣のトラさんと話していたのを聞いていらっしゃったんですね」とミドリはいって、愛想よくわらった。
「ああ、人体実験をしたいんだろ?」
「そんな……、新しい人間の創造にご協力いただきたいんです」
「しかし、ホームレスだっていろいろさ。このご時勢、働き口がなくてホームレスになるやつらも多いんだ。そんな連中は娑婆っ気があるから、きっと断るね。ところがここの連中はみんな命なんか惜しくない」
「危険なお仕事ではありませんわ」
「まあいい。ところで、あんたはどうやってここを見つけた?」
「偶然です。正直のところ、みなさんオッケーしてくださるとは思っていませんでした」
「生きる気力がないのさ。惰性で生きてる。かといって自殺は面倒。動くのもかったるい。特にオマンマが悩みの種だ。飢えて死ぬのは苦しい。しかし腹が減りゃエサを探さにゃならん。面倒くさいぜ。エサ場は三〇分も歩くのさ。そんだけ苦労したって、収穫ゼロも珍しくない。腐っても人間、腐ったものは食わないぜ。でも、ひもじい思いをするのはうんざり。で、みんなあんたの話に飛びついた。その人体実験とやら――」
「そんな……、実験段階は済んでいるんです。いまは臨床段階です」
「しかし病人じゃないぜ」
「でも、無気力は精神的な病ともいえますわ。病気はどんなものでも、薬で治せる時代です」
「へーえ、怠け者も薬で治るのかい」
「怠け者じゃありませんわ。社会恐怖症、対人恐怖症です。みなさんのお話をうかがって、そう思いました」
「なるほどね、ここのやつらはみんな恐怖症か……。ダンボールの中から出たがらないしさ。みんな外が怖いんだ。ダンボールは母親の子宮ってわけだ。ここに入っていると安心なんだ」
「でも、食べ物を探しに外出しなければいけない?」
「そう、そいつがネックさ。エサ場は繁華街だ。人間がうようよいる場所は嫌いなんだ。恐怖さ。冷たい視線を浴びせやがる。昔、いろんなやつから浴びせられたな。女房や子供からもな」といって、タコは自虐的にわらった。
「でも、食べないわけにはいきませんよね」
「だからさ。だから話に乗ったんだ。あんたの話だと、食わなくてもひもじい思いはしなくて済む。排便、排尿の面倒はほとんどない。俺の悩みを一気に解決するような話じゃないか」
「うそじゃありませんわ。未来の人間は進化しなければいけないんです。で、その歴史的な第一歩がおじ様からはじまるということです」
「大げさだな。それで、いつから?」
「さっそく明日お迎えに上がりますわ。その前に、契約書にサインねがいます」
 契約書は一〇ページぐらいあって、なにやらいろんな文言が書かれている。タコは一行も読まずに先生が示した最終ページにサインをし、ガラクタの山から貴重品の入った小箱を探すのに五分ぐらい待たせた。箱の中には、残額のない銀行通帳、期限切れの運転免許証や健康保険証などが入っていた。どれも過去の遺物だった。そこからわざわざ実印を探し出し、契約書に押してからへへへと照れわらいし、顔を真っ赤にした。こんな社会生活の残滓を、いまだ大事に持っていることが未練がましくに思えたし、箱の中身を先生に見られたのもひどく恥ずかしかった。


(つづく)

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