詩人 響月光のブログ

詩人響月光の詩と小説を紹介します。

ホラー「線虫」七 & エッセー

ホラー「線虫」七


 病院から戻ったときは、すでに夕方の六時を過ぎていた。武藤は近所の店で買った弁当をちゃぶ台の上に置き、お茶を飲もうとやかんの水を沸かした。沸騰したところで火を止めると、チャイムが鳴った。
「どなたですか?」
「舞です」
 顔から血の気が失せ、全身に戦慄が走って膝同士がガクガクとぶつかり始めた。震え声で「どんな御用です?」と訊ねる。
「ああら、白々しいわね。おんなじ虫仲間じゃございませんか」
「冗談じゃない。僕がなんで虫にならなきゃいけないんだ」と声を荒らげる。
「いいからさ。早く開けなさいよ」と、図に乗ってきた。
「開けるものか、バケモノめ!」
「まあ、女性に向かってバケモノだなんて。ショックだわ! これでもあなたの愛人なんだから」
「誰が愛人だ。女は嫌いなんだ。僕はゲイです。帰ってくれ!」
「お構いなく。さっさ、早く開けなさいよ。ドアを叩いて大声で怒鳴るわよ。テメエ乗り逃げかよ! 返してくださあい、私の青春!」
「絶対に開けるものか!」
「分かったわ。こっちにはいろんな手があるんだから。また来るわね」と吐き捨てるように言って、舞は去った。意外とすんなり帰ったが、毎晩来られたらたまったものじゃないと武藤は思った。


 その晩、武藤は怯えおののきながら電球を点けたまま寝床に入った。枕もとから玄関のドアをじっと見つめたまま目を離すことができない。あんな薄っぺらなドアは、一蹴りで開いてしまうだろう。また来るのではないかと考えると、恐くてとても眠る気分にはなれない。しかし疲れが溜まっていたので、夜中の三時頃にはうとうととし始めた。夢かまことか分からないような状態で、ドアと玄関のコンクリとの間の細い隙間から、なにかしら黒いものが入ってくるのが見える。それはドアを通り過ぎるとふわりと膨らんで、隙間風でさらさらと揺れている。髪の毛だ、と驚いて立ち上がろうとしたが、金縛りにあったようにまったく体が動かない。「そうだこれはいつもの夢だ」と武藤は心を落ち着かせようとした。ここのところ自律神経が失調気味で、夜中に金縛り状態になることがあった。だからこれは悪夢であると断言したかったし、信じたかった。
 しかし、夢にしてはいやに生々しい。髪の毛の下にはスルメ状態の顔がくっ付いて、玄関を通り抜けた。その下には首、そしてビロンと潰れた乳房が乳首をピクつかせながら通過する。ホタルのように光を発する線虫どもが、皮の周りにあふれ出ている。アリの大群よろしく舞の皮を一生懸命運んでいるのだ。
 これは夢のわけがない。「助けてくれ!」と必死に叫ぼうとし、体を動かそうとするが、いつもと違って金縛りを振り切ることができないで、むなしくもがくばかりだ。心臓の鼓動だけがドキドキと高鳴り、今にも破裂せんばかりだ。
全身の皮のすべてが入り切ると、髪の毛が武藤の頬に触れた。こそばい感触がひどく生々しく、夢ではないと確信できた。
 外に出ていた線虫の群れは、舞の股から、口から、耳から、鼻から、体内に戻り始めた。まるで空気入れでビーチボールを膨らませるように、女の裸体はどんどん膨らみ始め、ものの数分で美しい女体が現出した。
「こんな苦労までさせて。意地悪な人」と言って舞は起き上がり、しばらく見下すように眺め、おもむろに武藤に覆い被さった。
「せっかく悪い虫さんを入れてやったのに、追い出しちゃったのね。だったらまた入れるしかないわ。この前はキスだけだったけど。今夜は、もっと楽しいことしてあげる。線虫千匹って知ってる? 気持ちいいわよ」


 舞はやはり女型のように乗っかって体を密着させた。今度は窒息させようという気はないようで、口付けして舌を入れてきたまでは同じだが、鼻まで蓋をしようとはしない。ところが突然舞の体がバイブレータのように小刻みに揺れ始めたのである。気持ち良さを通り過ぎた激しい振動で、しだいにパジャマのズボンは下がり、上着のボタンは外れ、はだけていく。とうとう舞の肌と武藤の肌はじかに接して、気色の悪さはフェーズ七まで跳ね上がりパンデミック状態。
 ところが武藤の意志に反して、粗末な男性器はジャッキアップを始めたのである。「バカ息子メ!」と必死に諭すが、怖いもの見たさというか親の気持ち子知らずで、とうとう舞の穴に首を突っ込んでしまった。クネクネとした線虫が千匹、体をよじらせながら息子を出迎え、根元から切っ先まで上を下へのカオス的大サービス。そのこそばさに耐え切れず、ものの数秒で終わってしまい、力なく萎れ果てた。
 しかし、天国から地獄へ急転直下。今度は私が遊ぶ番よとばかりに、舞の反撃が開始された、イタタタタ! 突然息子に激痛が走る。サービス嬢たちが壁から離れ、一列縦隊になって武藤の尿道を膀胱に向かって登り始めたのである。それと同時に舞の口も酸素マスクのように大きく広がり武藤の口と鼻をすっぽり塞ぎ、舌伝いに線虫の大群が降りてきた。武藤は強姦されたオカマの惨めさで、むなしく涙しながら再び意識を失った。


 武藤は明くる朝に意識を取り戻し、巨大に膨れ上がった陰のうと、骨折した片足に翻弄されながらも再び病院を訪れ、音羽の診察を受けた。
武藤の陰のうを見て、「まるでフィラリア症だわ」と音羽は驚愕した。
「武藤先生の場合はフィラリアの特効薬は効かないだろうし、消化器系と違って、泌尿器系はまた別の治療法を考えないといけないわね」
「すんません。いろいろご面倒をおかけして」
「しょうがないわね、悪い遊びばかりして。多少荒療治をする以外ない気がするわ」
「どんな治療です?」
「魔女の秘薬を直接尿道に注入する。淋病だって治るわ。ついでに、象さんのような袋に注射する」
「そりゃ妙案だ。しかし、痛そうですな」
「線虫人間になるよりはマシでしょ」
「分かりました。お任せしますよ。思う存分いたぶってください」


 武藤は広い手術室に搬入されて中央の手術台に縛り付けられた。手術台は音羽の首ほどの高さに上げられ、股側の床には、コロの付いた台座の上に土入りのドラム缶が置かれた。山田と数人の助手、看護師たちが見守るなか、音羽は尿道にカテーテルを装入し、多量の秘薬を注入。ついでに陰のうに大きな注射を二本打った。「さあ、引いて」と音羽の号令がかかると、全員がドアのない壁際に避難する。
 突然膀胱の中で、陰のうの中で、線虫どもがパニックを起こした。武藤の下腹部は跳ね上がり、乗せていたシーツが激しく踊る。尿道から線虫が滝のように流れ落ち、ドラム缶の土の中に落ちていく。しかし陰のうに入り込んだ線虫は、出口が見つからないらしく、袋を頭で叩き始めた。それが狸太鼓のようにポンポコ、ポンポコ音を放つものだから、観衆が一斉に笑い出す。しかし、内側から急所を蹴られたような激しい痛みに、呼吸も思うようにできず、額からは脂汗。耐え切れなくなって、「イテテテテーッ!」と叫んだ瞬間、袋のあちこちに穴が開いて、牛乳のように勢いよく線虫が流れ出し、袋はみるみる萎み始めた。
 線虫の流れが途切れると、音羽は「蓋!」と叫ぶ。助手たちがドラム缶に蓋をして、手際よく手術室から運び出す。手術台は低くされ、今度は山田が陰のうの穴を縫合し始めた。縫合が終わると、武藤はストレッチで運び出されて裏庭まで連れて行かれ、また丸椅子の上に座らされて魔女の秘薬を一リットル飲まされた。
中世の拷問にも引けを取らない荒療治だが、完全のマイナスにはならないものの、ほとんどの線虫を駆除することができた。しかし、目と足のケガに加え、消化器系も泌尿器系も生殖系もかなりのダメージを受け、そのまま一カ月程度の入院が必要との診断だが、山田だけではなく、音羽までもがノーと言う。
「きっと病院にも舞さんがやって来るわ。病院はけっこう自由に人が出入りできるし……。他の患者さんに迷惑です」
「しかし、また家に戻ることもできない。といって、この町のことを考えると、逃げるわけにもいかない」
「とりあえず、家に戻ることですね。お気の毒ですけど、先生を受け入れる施設はどこにもないのよ。いずれにしても、ほかの患者さんに迷惑がかかることだけは避けなければ……」と音羽につれなくあしらわれた。


(つづく)




エッセー
世の中すべて「トリアージ」


 コロナ禍は、科学の発達した現代でも、ペストに苛まれた中世と同じ状況に陥ることを明らかにしたが、それ以上に驚かされたのが高齢者トリアージだ。
 コロナによる医療崩壊を起こしたイタリアでは、80歳以上の高齢者に対する集中治療を断念するといった高齢者トリアージの基準がピエモンテ州などで示された。若い人たちの命を優先し、限られた機器・人員を有効に活用しようというわけだ。これは、おそらく流行病では初めてのことかもしれない。スペイン風邪が流行った二十世紀初頭は、さしたる治療法も見つからなかったし、重症者の多くが六五歳以下の患者だった。2009年の新型インフルエンザはWHOでパンデミック宣言が出されたものの、被害は小さく済んだ。
 しかし、トリアージ的状況というのは昔からあった。その最たるものは昔の難破船で、真水と食糧が底を付き、体の弱ったものや体力の弱い者、くじ引きで負けた者などが海に落とされていく。ドラクロアの『ドン・ジュアンの難破』などは、そんな状況を絵に描いたものだ。つまり、流行病と同じように起こり得るトリアージ状況は、生き残る手段としての「食糧や水」ということになる。これは、いまでも世界のどこかで起こっている問題でもある。もちろん「タイタニック」のように、沈没までの短い時間内に、少ない救命ボートに女性や子供を優先させるというケースもあるだろう。これは、「紳士たるものは勇敢であらねばならない」とか「レディーファースト」とかいう社会的な通念(エピステーメー)があったからで、女性や子供が蔑まれていた古代だったらどうなったか分からない。
 高齢者トリアージといえば、深沢七郎の小説『楢山節考』や民話『姥捨て山』などの老棄伝説を思い浮かべる人も多いだろう。これはあくまで伝説だが、高齢者を捨てる山はなくても、家庭内や村落内で起こらなかったとは言えない。なぜなら、「間引き」という口減らしのための嬰児殺しはあったし、現在でも生まれる前の子供は親の都合で気軽に殺されているからだ。高齢者だって、食うものを与えなければ、そのうち死んで行く。
 では、「高齢者トリアージ」とは何なのだろう。そこには「トカゲの尻尾切り」的な要素が含まれていないだろうか。トカゲは自分の身に危機が迫ったとき、自分の組織の一部を犠牲にして大事な全体(中枢)組織を守るのである。共倒れ防止対策というわけだ。捨てられた組織は、再び伸びてくるか、補充の利く端末組織でもある。また、一生生えなくても、生きていけないわけではない、重要度の低い組織だ。
 恐らく『姥捨て山』の村長は、村を守る労働人口確保にあたり、飢えで若者を殺してはいけないと考え、高齢者を切り捨てる村法を作った。村にとって生産性のない人間は、村全体を潰しかねない脅威だった。村の食糧庫をどんどん減らしていくからだ。
 息子に罪悪感はあっても、それが村の仕来りなら、言い訳となる。その実行には、掟だとかその時代の社会通念が尻押ししてくれる。例えば「定年制度」なども、日本の社会通念となっているから、会社も躊躇うことなく首を切ることができる。しかし来る大不景気にあっては、「会社を潰してはならない」という大義名分の下に、若手社員も同じ目に遭うだろう。リストラが会社のトリアージなのは言うまでもない。
 小さなものから大きなものまで、村一族から会社、国家に至るまで、世界はすべて組織(集団)で成り立っていて、組織内のメンバーは常に危機を回避し、上昇を目指し、メンバーは互いに協力し、期待されてもいる。それが集団の現状で、そこに大きな危機が訪れた場合、とたんにトリアージが始まるのだ。犠牲者となるのは高齢者、嬰児、必要とされない社員、無用な人間などなど。彼らはすべて生きており、個人の尊厳を持って尊重されるべき立場なのに、トリアージによってA、B、Cとランク付けされ、場合によっては呼吸器を外されてしまうのだ。老人の命の重さは、若者の命の重さより軽いと為政者は判断し、それが人々の感情とマッチし、社会通念となる。
「なぜ、老人を見捨て、若者を助けるのか?」
 その判断の論理的な正当性を追及しても、行き着くところは「若いのに惜しい」とか「もう十分生きたんだから」、「これから与えられる人生の長さ」とかいう極めて感情的な時代的、一般的社会通念に過ぎないだろう。昔は高齢者が尊敬された時代もあったが、いまの時代の高齢者は、みすぼらしいイメージが付き纏っている。
 こうした社会通念は古来より連綿と続いてきた「優生思想」をベースに、危機の時代には危機意識となって高らかなラッパを吹き鳴らす。企業で言えば、「無能な社員が会社の足を引っ張っている」という会社の危機意識が、リストラの推進力となる。社会で言えば、「高齢者は働かず、若者の税金で食っている。若者はシルバー民主主義で疲弊している」という危機意識が、高齢者トリアージの正当性をフォローする。「腹の中の子供は一つの命であるが親の所有物である」という国家の方針が社会通念となれば、中絶が正当化され、女性の危機意識は緩和される。
 かつてナチス政府は、障害者やユダヤ人を国が必要としない国民としてガス室処分した。これも危機の時代におけるトリアージの一種で、ピエモンテ州の選択も、その延長線上のどこかにあると思う。個々人の命の状態だけでなく、軽重までも計って取捨選択することがトリアージだ。しかし、個人の「生きたい」という心は、高齢者でも若者でも、障害者でも、異教徒でも変わらない。しかし社会通念では確実に、その社会における魂の軽重はランク付けされている。短いロウソクが長いロウソクよりも軽いことは確かだ。
 近頃、憲法の解釈論議が盛んだが、政府が侵してはならない憲法でも、解釈次第ではいかようにも政策変更できることが常識化している。従って、憲法の最高の価値基準である「人間の尊厳・個人の尊厳」も、政府の解釈で都合よく変更できるに違いない。憲法でも宗教書でも、哲学でも、文字に書かれたあらゆる文章は、読む人間や時代時代の社会通念、その時の政府の方針などによって、オリジナルとはまったく違った解釈がなされて正当化され、それぞれの歴史を変えてきた。下々の世界にはプラトンの言うような揺るぎない「イデア」などありはしない。常に巷の政治家や庶民が、自分なりのイデアを造り続け、それを正当化しているまでの話しだ。




響月 光(きょうげつ こう)

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。




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