詩人 響月光のブログ

詩人響月光の詩と小説を紹介します。

エッセー「Viva!善悪二元論~バラ色のエネルギー~」&詩

エッセー
Viva! 善悪二元論
~バラ色のエネルギー~


Ⅰ 世の中は「善悪二元論」で動いている


 デカルトは心と体は別物という「心身(実体)二元論」を唱えたが、いまでもそれを信じている人は多い。それと同じに、太古の昔から「善悪二元論」という認識法が人間の心に中に巣食っていて、それは人間の行動様式に反映され、現在でもSNS上の誹謗中傷などで攻撃が繰り返されている。誹謗する側は、善(倫理)の立場に立って攻撃するわけで、される側は悪(罪悪)の立場に立って駆逐されるわけだ。この「善悪二元論」は、「勧善懲悪」という進行形に言い換えることもでき、対象者が自殺でもすれば善側の完全勝利となる。


 これは若者たちのバトルゲームと同じ構成で、そのゲームを本物の戦場でなく、SNSというネット空間で実戦する。ドローンを操縦するように、攻撃者本人は怪我することなく、攻撃相手は心を射貫かれて、苦しさのあまり自殺にまで追いつめられる。攻撃側が自分を「善」だと規定すれば、二元論の相手は「悪」と規定されることになる。相手が事実無根と主張しても、二元論の世界では通用しない。善の側が自分の妄想を善だと規定すれば、相手は善でも悪にならなければならない。この妄想は「倫理」と言われるが、それは価値観という球の上に乗っていて、その価値観は個人や社会の気分でクルクルと変わる。しかし「倫理」は曲者で、攻撃に「正義」というお墨付きを与える。当然オセロゲームの表が白で裏も白ならゲームは成り立たず、半端品の駒を捨てることになる。多分SNSの誹謗中傷者はバトルゲームに飽き足らず、現実世界に移行して楽しんでいるのだろう。もちろん、その戦利品は勝者が得る快感である。「正義は勝つ。気っ持ちいい~」っていうあの台詞だ。


 この「善悪二元論」は、人間の動物的(直観的)な宇宙観に由来している。ヘーゲリアンが弁証法をいくら論じても人々の思考は中途で止まり、善悪二元論が未だに認識法の基盤になっていることは事実だ。宇宙がビッグバンから始まったのなら、爆発する前の爆弾は善であり、巨大な爆発も善である。ベーシックな巨大空間は元々何もなかったので破壊されることもなく、そこに宇宙が出来上がって我々人間も生を得たのだから……。そしてその宇宙では、銀河や星が生まれ、銀河と銀河の衝突や星の爆発などの創造と破壊が繰り広げられる。創造が善で破壊が悪だとする基本的な考えは地球だけの話で、仮にどこかの星の爆発で宇宙人が死のうが、地球に影響しない限りにおいては善でも悪でもない。美的なアンドロメダが爆発しても、悲しむのは愛好家ぐらいなものだろう。


 しかし、こと地球内のこととなれば話は違う。この星での「善悪二元論」は直接自らに関わり、生きるか死ぬかの本能的問題になるからだ。だからもし、どこかの大陸で多くの人間が殺されても、「それも運命さ」と平気面の人がいれば、その人は超人か宇宙人だろう。人間は妄想の動物だから、自分がそうなったことを想像でき、他人事とは思えないからだ。地球生命体はどんなに下等な生物でも、生き残るためにその都度その都度の善悪を遺伝子レベルで判断しながら悪を除けて善をチョイスし、絶滅を回避してきた(仮にそれがロシアンルーレットだったとしても)。例えばサケなどの魚でも他の動物でも、メスは強いオスを「善」、弱いオスを「悪」と規定し、強いオスを選ぶことで強い子孫を残してきた。魚や動物の「善悪二元論」は、鳥では「美醜二元論」に変化した。鶯のオスは美しいさえずりを特訓し、審査員であるメスが合格と思えば結ばれる。他の鳥では、オスはカラフルな羽で着飾り、それが美しいほどにメスを引き寄せる。美しい声も美しい羽根も、健全たる個体の査証になるわけだ。


 ならば人間はどうかというと、動物の「善悪二元論」とその派生形である「美醜二元論」を兼ね備えながら進化してきたと言っていいだろう。例えば「一目惚れ」というものがある。男と女が初めて出会ったとき、五感を通して瞬間的にタイプかタイプでないかを判断する。一瞥しただけで善と悪、あるいは美と醜を分別し、落ちたものは分別ゴミ扱いとなる。この善と美を追求する本能は、後にヨーロッパでは「芸術」として開花し、ギリシアでは神々の美しい石像が創られた。それは途中で宗教により後退したが、ルネサンス以降はしっかり受け継がれ、フランスの「サロン」ではモネの『オランピア』が“醜”と判断されて落選した。しかしそこから芸術は、美と醜の「総合(ジンテーゼ)」による弁証法時代に入った(昔からグロテスク趣味はあったが……)。画家出身のヒトラーは、それに猛烈に反対、弾圧した。彼は典型的な善悪二元論者で、ゲルマン人は「善(美)」で、ユダヤ人は「悪(醜)」だった。


 産業社会というものも、ベースとしては善悪二元論で成り立っている。会社では、少数の能力者が発展をけん引し、多数の無能力者が発展の足を引っ張るから、能力のある者は「善」で能力のない者は「悪」とし、リストラで悪を排除する。定年制というのも、能力が落ちた高齢者を「悪」として自動的に排除するシステムだ。だから能力を維持する高齢者は密談により、何らかの形で会社に残ることができる。もちろんそれを決めるのは経営陣というエリートで、トランプでもイーロン・マスクでも「お前はクビだ!」で無能力者は片付けられる。ポピュリズム政党は反対に、「大衆」を善として「エリート」を悪とし、エリートの傀儡としての政府を攻撃する。しかしエリートのトランプが、大衆を味方にして民主党というエリート政党を攻撃するならば、エリート内部の権力争いということになる。結局大衆の憧れはエリートになることで、エリートはアイドルなのだ。


 いま世界のアイドルたる英国王室が内紛で崩れかけている。「王の威厳かそれとも自由(自律)か」で英王室は自由を「善」と見なし、結局大衆のアイドル像をはみ出してしまった。これに対し、神の子孫である日本の皇族はアイドル以上の存在で、格式を重んじて威厳を損なわないように振舞っている。それはたぶん日本の神が、人々の秩序と安寧を願う「和の精神」を自由や自律の上に位置付けているからだろう。けれどこの精神が霞ヶ関界隈で使われると、改革の妨げになることも事実だ。これは基本的に現状維持の保守的精神で、「談合」とか「癒着」「なあなあ」の世界に陥る危険性を孕んでいる。いま問題になっている「地球温暖化」についても、取り組みの足枷になることは避けなければいけないだろう。


 ギリシア神話のずっと前から、人々は与えられた地球環境の中で生き抜いてきた。その環境は、氷の世界かも暖かい楽園かも、砂漠地帯かも知れず、生活の質は千差万別だったが、異変が起こらない限りにおいて、人々はそれなりに生活して創造的な活動を営むことができ、不変と創造は善となった。異変でも温暖化で氷が融けたり沙漠が緑地帯になったりするのは、人間の得となって善に入れられた。しかし、地震や噴火などの天変地異、砂漠化や寒冷化などは不変と創造を破壊し、人々の命や生活を破壊するがゆえに悪となった。だから日食や月食が起こると、人々は悪い異変や破壊の不吉なシグナルとして、恐れおののいた。


 太古にできた伝統的な宗教が、現在に至るまで連綿と続いているのも、多くの人々の感性が太古の人々と変わらないことを示している。狩猟・遊牧時代の小集団における原始的な多神教は、人間と変わらぬ欲望を持つ神々が競い合うカオス的な世界だった。農耕時代に入ると集団も大きくなり、それなりの集団的秩序が求められるようになり、戒律を重んじる一神教が誕生する。社会秩序を維持するには、欲望のカオスを整理する必要性も出てくる。それに一番効果がある方法といえば、一党独裁ならぬ一神独裁の社会形態で、その統治方法は上意下達ということになる。当然それに従わない不届き者が出てくるだろう。


 最古の一神教と言われるゾロアスター教はその対策法として、「善悪二元論」をぶち上げた。神々を善神群と悪神群に腑分けして戦わせ、最後の審判を経て善神群が悪神群を駆逐し、善神群のリーダーが地上天国を築き上げるというストーリーだ。神々を善と悪に分けたことで、信者である人々も善と悪に腑分けすることが出来るようになり、白と黒のオセロの駒が出来上がった。当然のこと、社会にとって良いことは善で、悪いことは悪だ。社会に従順で寄与する人間は善で、不従順で秩序を乱す人間は悪だ。勤勉な農耕民は善で野蛮な遊牧民は悪だ。畑を耕す牛やその他の家畜は善で、人や家畜を襲う獣や穀物を掠めるネズミは悪だ。そしてそれらの悪は駆除の対象となった。


 この「善悪二元論」は後の一神教であるユダヤ教やキリスト教、イスラム教にしっかりと受け継がれ、今日に至っている。ユダヤ教でもキリスト教でも最後の審判は必ずあり、全ての魂は復活して選別され、悪い魂は地獄に落ちて地上天国(メシア王国)が樹立される。キリスト教ではイエスがこのメシアとなる。イスラム教のジハード(聖戦)は、イスラム共同体の防衛や拡大のための戦いで、背教者や異教徒は悪とされて駆逐の対象となる。中世キリスト教社会の魔女狩りは、社会秩序を維持するために権力側が悪を捏造し、定期的にデトックスを行って、放埓な人々の心身を引き締める効果があった。


 この「善悪二元論」は現在の独裁国家だけでなく、民主主義の人々の心の中にも根強く残っている。それを動かす原動力は人間由来の知的観念的なものではなく、「一目惚れ」での好感や不快感といった動物由来の本能的な認識であることで、世の中の様々なトラブルを引き起こす。ウクライナ戦争においても、ロシア人はウクライナ人を「ネオナチ」という悪に規定し、ウクライナ人はロシア人を「侵略者」という悪に規定する。議会でも与党は野党を悪と見なし、野党は与党を悪と見なす。相手を悪と規定すれば自分は善となり、戦いのリングが出来上がる。そのリングは広大なひまわり畑であったり議事堂だったりするわけだ。


 世の中の動的基本が「善悪二元論」だとすれば、地球上からバトルが無くなることはない。それならそのバトルを生み出すリング自体を、バトルの起きない状態に変革する必要も出てくる。バトルを引き起こすモチーフは何らかの欲求不満にあるのだから、戦士たちの置かれている状況を改善すれば、攻撃は起きないに違いない。例えば、ロシアがもっと豊かな国だったら、プーチンも戦争を起こすことは無かったろう。


 「地上天国」はプーチン以上の理想を掲げていることになる。それを標榜する宗教では、悪魔とのバトルに完全勝利することで、それは実現できると信じられている。その完全勝利とは、世界中の人々がその宗教を信仰することだ。その途上には、打ち砕かなければならない様々な「悪」が転がっている。つまり「善悪二元論」によるバトルの根本的な原因は、欲求不満(満たされない気持ち)が「善」を捏造し、その「善」が「悪」を捏造することによる。オセロの駒と同じに、悪があるから善があり、善があるから悪がある。ということは、悪が消滅すれば善も消滅し、当然バトルも消滅する。宇宙の全てがエネルギーに支配されているとすれば、善悪のバイアスは無くなって平坦な無の境地となり、善に満ちた「気っ持ちいい~」地上天国は、やがて善も消滅するまっさらなキャンバスになってしまう。しかし、その世界にもエネルギーは存在するから、天国にも正と負のバイアスが掛かって、やがて蛆虫のように悪が再び発生し、その対概念たる善も同時発生してバトルを再開。「気っ持ちいい~」が繰り返される善悪二元論の永劫回帰となるだろう。最初に発生した「悪」は“退屈”のような小さなものでも、「小人閑居して不善をなす」となれば妄想(好奇心)に発展、悪に転落する。アンニュイなアダムとイブが蛇にそそのかされて、地上天国を追い出されたのはその教訓だ。ならば地上天国も永遠ではなく、そこに住む人間がずっと幸福に生きていけるかは、お釈迦様に聞かなければ分からない。


 地球表面が病んでいるとすれば、人類の大多数が欲求不満を抱えている現状は、地球表層癌で言えばステージ3の状況に違いない。その典型的な症状が世界中で頻発する地域紛争だろう。紛争という疾病の領域が広がれば、最後にはステージ4の権威主義VS民主主義によるハルマゲドンとなる。そしてその状況を作り出す根本の動機が「善悪二元論」という認識法なら、その解決にもそれを使う以外には無いことになる。ウクライナとロシアの和平交渉が進まないのも、互いが呉越の立場で「善悪二元論」を主張するからで、弁証法的な止揚が出来ないからだ。「総合」にまで達すれば何らかの妥協点が見出せるに違いないが、世の中そう上手くはいかない。この「善悪二元論」の行動原理が「勧善懲悪」なら、国連がゼウス神の座に鎮座しなければ実行力を伴わず、解決出来ないことになる。国連は現状、多神教の世界なのだから……。


Ⅱ 「善悪二元論」でエネルギーをチョイスする


 しかしよくよく考えると、これほど「善悪二元論」が幅を利かせている世の中なら、そいつを有効に利用するのも手だろう。紛争の原因が貧富の差なのは、貧しい地域で起こっていることを見れば明らかだ。現に石油や天然ガスが豊富に出る中東の国では社会も安定し、女性差別問題だけが不安定要因だ。石油大国ロシアだって、政治家や政商が富を独占していなければ、侵略行為など必要なかったかも知れない。国内のひずみのおかげて、ウクライナにトバッチリが来たわけだ。地球資源が一定である限りにおいて、「富」から「貧」への資産の移動が不可欠になるが、世界同時革命でも起こらない限り、金持ちから貧乏人、富裕国から貧困国に資産が流れることはないだろう。


 しかし、地球資源が一定で、限られているという考えは大間違いだ。地球には活用されていない資源がまだまだたくさんある。例えば海洋はどうだろう。あり余る海水を淡水に変えれば、水不足に悩む国々を緑地化することもでき、農業大国に押し上げることができる。しかし、それには半端ない量の淡水が必要とされ、その製造に莫大なエネルギーも必要だ。当然、石油をバンバン燃やして作っても、電力をジャンジャン消費して作っても、結局温暖化を加速するだけの話になる。そう、地球温暖化は貧困をますます貧困にする最大の要因にもなっているのだ。ならば、まず喫緊の課題である地球温暖化を解決しなければ、貧富の差は解決しないということになる。


 ここでもう一度宇宙について考えると、それを支配しているのはエネルギーだ。ならば当然、地球の全てを支配しているのもエネルギーだ。まず、生命の根源はエネルギーであること、そして宇宙の根源もエネルギーであることを認識しなければならない。岡本太郎じゃないけれど、宇宙は爆発(ビッグバン)で出来たのだ。我々はそのエネルギーをつまみ食いして生きている。神が宇宙に与えたものはエネルギー一つだ。地球も月も生物も、エネルギーに支配されている。そしてそれは変容することはあっても消滅することはない。


 宇宙の根本がエネルギーである限り、地球生命体はエネルギーから生まれ、変容する色々なエネルギーを糧にして進化を遂げてきた。時にエネルギーが不足すると、干ばつとなり、植物が育たず、人間を含めた動物たちが死んでいった。そして現在は人間という、エネルギーを道具として扱う高等生物が、地球生態系の繫栄を託されているわけだ。彼らは色々なエネルギーを糧として、それらを巧みに加工・変容させながら繁栄してきたわけだが、その途上で悪いものも作ってしまった。それが武器であり核兵器であり、化石燃料だ。化石燃料は一時期の人類に繁栄をもたらしたが、地球生態系を破壊した意味では悪いエネルギーだろう。


 しかしそれは、人間がエネルギーの有効利用に未熟であったことを示している。エネルギーは地球生態系に繁栄をもたらす一方で絶滅をもたらす力を秘めている。太陽は地球生命体の命綱だが、巨大なフレアが爆発すればプラズマの塊がやってきて絶滅をもたらす。しかしこれは火山と同じ自然の宿命だ。太陽フレアだろうが火山だろうが、核爆弾だろうが怒りだろうが、爆発力は芸術以外、悪いエネルギーなのだ。だからノーベルは心を痛めノーベル賞を創設した、……ということは、これから人類が生き延びるためには、悪いエネルギーを捨て、良いエネルギーをチョイスすることが極めて重要になってくる。それが人間の知恵というものだ。神は我々に良いエネルギーをたくさん提示し、生き延びる術をお膳立てしてくれているのに、我々はそれをあまり理解していなかった。


 この不理解が、いまの地球温暖化を加速させたことは明らかだ。昔、温暖化を防ぐ方法は科学技術の進歩か、規制による経済システムの転換かと議論されたことがあったが、国それぞれの思惑が先行し、規制なんぞはCOPを見ても足並みは揃わないし、削減義務なんぞは絵に描いた餅。ましては産業革命以前の状況に戻すなんてことは出来るわけがない。ならば「善悪二元論」における善としての「科学」と、各国のエゴが悪とする「規制」を止揚して、その上の総合まで高める必要があるだろう。しかしその前にしなければならないのが「CO2削減義務」ではなく、認識の出発点である「定立(テーゼ)」と「反定立(アンチテーゼ)」、つまり何が「良いエネルギー」で何が「悪いエネルギー」かを明確に区分けして、善をどうするか、悪をどうするか、善と悪の関係性をどうするかを弁証法的に考えることなのだと思う。日本は、原子力を良いエネルギーに入れようとしているが、「CO2を出さない」と「核汚染」という二面性を持っている以上、世界が厳密にカテゴライズする必要があると言えるだろう。東日本大震災やウクライナ戦争で、原発の危険性が現実になったからだ。そこで「善悪二元論」の出番となるわけだ。


 昔、民主党政権時代に国家予算の無駄を削減する「事業仕分け」というものがあった。これは経済的視点のみに重点が置かれたため批判が続出し、東日本大震災などもあって失敗に終わったが、地球温暖化対策がにっちもさっちも行かない現況では、エネルギー資源の「事業仕分け」は不可欠だと思えるのだ。「一刀両断」という言葉があるが、この方法はそれぞれのエネルギーに付着する政界や産業界の打算、しがらみを断ち切る意味でも、緊急事の対処法としては最良の方法だ。もっと早くにこれをやっていれば、いまのような状況は回避できたかもしれないが、そんなことは言ってられないのがいまなのだ。当然これをやるには、古来の「善悪二元論」が活躍する。その趣旨は、「善」と「悪」をはっきりと区分けし、「悪」を徹底的に排除する(姿勢を取る)ことだ。


 古来からの善悪の判断は単純思考で、エネルギーに関しても何が「善」で、何が「悪」かを区分けするのは比較的簡単だ。先ほど爆発は悪だと言ったが言い過ぎで、地球においては毒を出すものが「悪」で、広範囲の被害を伴わない限りにおいて爆発はさほどの「悪」ではない。なぜなら、ノーベルが発明したダイナマイトは、善用される限りにおいては社会に貢献した。水素は爆発するが、毒を出さないから「善」なのだ。しかし、化石燃料から造るブルー水素は「悪」だ(製造工程でCO2が完璧に回収されない限り)。原子力の暴走爆発は「悪」だし、環境面でも猛毒を出すから「悪」だ。次世代原発から水素を造ったって、親分が悪なら子分も悪だ。化石燃料は爆発するが可愛いものだし、やはりCO2という毒を出すから「悪」だ。爆発しない太陽光や風、水力、波(潮力)、地熱は自然エネルギーだから毒も出さず、当然「善」となる。核融合は弱毒を出すが隔離可能で、暴走もしないから「善」に入れよう。また空気中のCO2を分離したり、出したCO2を全て回収できれば、化石燃料が「善」にチェンジする可能性も無くはない。いずれにしても残された時間が問題だし、回収した大量のCO2をどう処分するかも課題だろう(土地のない日本ではほぼ不可能)。


 こう区分けをして「悪」がはっきりすれば、撲滅すべきエネルギーは確定されるだろう。そうなれば、徹底的に「悪」を排除するのが「善悪二元論」だ。すると、善玉エネルギーはいかに豊富に存在するかが分かるだろうし、悪玉エネルギーに固執する必要がないことも分かるだろう。そして現在が悪から善への大事な転換点であることも分かってくる。それは善玉エネルギーが黎明期を過ぎて急成長期に入ったということで、それを一気に推進するには、限られた予算内で悪玉エネルギーに費やす資金を、善玉エネルギーに転用すれば良いということになる。


 それに必要なのは個々の国の政策に頼らず、COPのような場所でエネルギーの善悪を確定し、水戸黄門のように「勧善懲悪」的に悪玉エネルギーに対して規制をかけることだ。当然各国産業界の反発を食らうだろうが、遠い未来の削減目標に比べれば、シズル感のある規制になるだろう。その上で、それぞれの国のエゴなり事情を考えて、弁証法的に妥協案を探っていけばいい。少なくとも、各国に曖昧な削減目標を提出させるよりかは実効性があるに違いない。例えば日本は、2050年までにカーボンニュートラルを実現すると約束したが、約束はしばしば裏切られるし、それで間に合うのかという疑問も残る。2030年までに再生可能エネルギーの比率を36~38%に引き上げると言うが、ドイツは80%を掲げており(35年には100%)、この意識の差は大きい。そもそもCO2の排出と森林などによる吸収を差し引きゼロにすれば解決するのだろうか。地球が崖っぷちに来ているとすれば、産業革命前の空気に速やかに戻すことを目標に掲げる以外にないだろう。


 知恵を阻害する要因は悪知恵しかない。いまに至るまで、人類が化石燃料や核に頼り過ぎているのは、それらに多くの利権が群がって、汚染を伴わないクリーンエネルギーの開発や普及を遅らせてきたことによる。そんなしがらみさえなければ、もっと早くにバラ色の社会が訪れていただろう。クリーンエネルギーは、バラ色の未来を切り開くバラ色のエネルギーだ。ならばCOPでも他の国際会議でも、全世界が一致団結してその実用化に傾注することを合意しなければならない。例えば核融合発電のITER 計画では欧州連合を入れ7カ国が参加しているが、地熱発電など他の研究でも多くの国が参画し、打算や損得勘定抜きで一丸となって推進するべきだ。そうしなければ、長い間産業界の打算で繋がれていたプロメテウスの鎖を断ち切るヘラクレスは現れないだろう。現代のプロメテウスは、ゼウスから善玉エネルギーを奪う英雄であるはずだ。


 最近レーザー核融合実験で、使用するエネルギーを上回るエネルギーの生産に成功したと報じられているが、その他にも注目されているのが地熱発電だ。地球は自然のボイラーで、どこを掘っても熱エネルギーが満ちている。火山国である日本の潜在ポテンシャルは1200万キロワットあると言われ、NEDOなども「超臨界地熱発電」の研究を進めていて、2050年の実用化を目指している。そのほかにも、MITの電子運動で深い穴を掘る技術の開発など、世界中で地熱利用の研究開発が進んでいる。世界はこれらを資金面で支え、研究のスピードを高めるべきだろう。 


 もちろん、宮坂力氏が開発したビルの窓ガラスに貼れる太陽光パネル、水しか排出しない燃料電池、超伝導技術を利用したロスのない送電線や蓄電機、宇宙太陽光発電から地球に電気を送るマイクロ波送電技術などなど、期待される技術革新には目覚ましいものがある。宇宙の基本がエネルギーなら、地球の基本もエネルギーだ。そのエネルギーから悪玉エネルギーが一掃され、善玉エネルギーに置き換われば、地球は真の意味での「地上天国」に変わるだろう。なぜなら、人間を含めて全ての営みはエネルギーのお陰で成り立っているからだ。腸内善玉菌が悪玉菌を抑えて人間の生命活動を支えているように、善玉エネルギーが地球上のあらゆるサタンを一掃し、無尽蔵の海水を真水に変えて無尽蔵の食糧をもたらし、飢餓人口を払拭してくれるだろう。バイオ技術を用いた人工肉だって、培養に必要なのはエネルギーで、牛を殺さずして上等なステーキを味わえるだろう。


 もっともこれは、「エネルギー革命」が成功すればの話だ。「革命」という言葉も、「善悪二元論」に基づいた過激な行動が成功して、初めて名付けられるものだ。それには政府も企業も民衆も、それぞれのしがらみを振り払って一丸となり、名指しされた悪玉エネルギーを駆逐しなければならない。革命には幾多の犠牲も出るだろうが、革命的なエネルギーがなければ成功しないだろう。それには人類一人ひとりのパッションが必要だ。レッドラインはもう目の前に迫っているのだから……。プーチンの核脅しじゃないけれど、これははったりではない。


 IEA(国際エネルギー機関)は、世界の再生可能発電能力が今後5年間で倍増するとの見通しを示した。ウクライナ戦争によるエネルギー安全保障への懸念という何とも悲しい理由だが、それを導火線に善玉エネルギーの爆発を期待したい。地球という小惑星は、全人類はもちろん、全ての生き物を豊かにするだけの善玉エネルギーを持っている。だた我々の技術は発展途上でブレーキをかける勢力もあり、それらを利用し切れていないだけの話だ。未来がバラ色に輝くとき、人々の欲望も解放されて心が豊かになり、邪悪な欲望は一掃されて戦争も起こらなくなるに違いない。地上天国は神に祈ればやって来るのではなく、すでにメシアは降臨していて善玉エネルギーに変容し、そこかしこに隠れているのだ。まるでゼウスのように‥‥。


 しかし人間がホモ・ゼウスになってはいけないことは、プロメテウスが罰せられたことでも分かるはずだ。ゼウスが人類を小さな星に閉じ込めていることは、その証拠になるだろう。欲望が度を越すと、罰せられるのがこの星の掟なのだ。人類は良い意味での「和の精神」で多少自由を制限されても、人間としての威厳を保ち続けなければならない。いまウクライナ市民が耐えがたきに耐えている状況だが、地球温暖化という敵に対しても、地球市民はその心構えを持たなければならないのだ。気候変動との全面戦争真っ只中だからして……。








クレオパトラ



男は海に潜って
魚を見るのが好きだった
鳥たちが空のなかで
空を知らずに飛んでるように
魚たちは海のなかで
海を知らずに飛んでいた


男が海で溺れかかったとき
その横を魚の群が通り抜けた
無数の嗤った目玉が男を見つめて 
口を尖がらせツンツンと
冷やかしのように離れていった
どん尻の魚が男に呟いたような気がした
君は陸に上がった魚のようだな…


そのとき男は 泳ぐ自分が
よそ者であることに気が付いた
男は泳ぐしぐさに恥じ入った
魚たちの祖先は遠い昔
広大な海に生きることを選択し
海の申し子として生きてきたのだ


なのに男の祖先はそれを嫌い嫌われて
部外者となって陸に上がった
その多くが海を忘れ忘れようとし
陸の申し子として生きてきた


しかし男はいつも悩んでいたのだ
自分が陸の申し子でもないことを
陸の申し子の振りをしていることを
時たま海岸に佇み、遠い古里を想うことを
潰れた心に入り込む浜の空気は
ねばねばと湿った 
重苦しいものだった…


男はイルカに生まれなかった自分を悔みながら
魚のような目をして 海の底に沈んでいった
もう、苦しさを感じることもなく…





目覚めると
顎と喉の間が裂けて
奥から赤いエラが飛び出した
右手から左腕に背骨を跨ぐ
透いたヒレも付いていた 
魚を真似て動かすと
蜻蛉のように水を捉え
体が儚く浮き上がる


ゴツゴツした磯場の上を
弱々しく舞いながら
彼方に続く砂丘の上に
砂紋を汚さず降り立つと
シュモクザメが近寄って
トンカチ眼でジローリと
不味そうだなと呟いた


その目は青信号のように真ん丸で
渋谷の交差点を思い浮かべた
粘着テープの横断歩道 
必死にもがくゴキブリ連中
空気は吸うものだと信じる過呼吸症候群
餌は吐くものだと信じる酔いどれ症候群
悟空のごとく虚空を飛べない旧弊症候群
縄張りに執着し マーキングして唸り合う雄犬ども
屠殺場を広げるため 花火を打ち上げる兵隊さん


血だらけの脛に 重い鎖が絡みつき
悪疫の反吐で濡れた大地を引きずられる
お天道様とお月様に監視され 見せしめのため
項垂れて ゆっくりと引き回される罪人たち…


さあ顔を上げろ 闇の世界は夢想の聖域
天の川はレテのごとく緩慢に流れてゆく
血塗られた手は忽ちに浄化される 
全ては気分だ マクベス夫人
夜空には蝙蝠が駆け 海の闇には烏賊が飛ぶ
翼かヒレかと迷う愚かさ 杜撰な許諾が進化の法則
イルカごときのぜい肉を 蹴散らすだけの大海原さ
さあ仮装舞踏会は終宴だ 豊満な虚飾を脱ぎ捨てよう
抜け殻は臆病者の隠家になろうさ 雑魚どものルサンチマン


虚空を飛び交う鳥たちも 雲の輪に隠れて巡る臆病者
楽しい振りして空しく鳴けよ 怨霊たちが木霊を返す
友の尻尾を追いながら お行儀よく後ろ羽を引かれ
頭を傾いで 下界の魔境を一瞥する
バカな 恐怖のルーチンワーク 
ギラギラした竜の鱗を見まいと願い…
震える瞳の蛍光色は まるで血塗れた赤信号


嗚呼弱き者 巣立ちのできない雛鳥たち
大地に生まれた鳥の性
蛇どもに食われることを知りながら
親鳥の帰りを待ちわびる まるで人間 
運命という妄恐の歴史 笑い飛ばせば良い話
何が起きても何もしない 天変地異のようなもの
許されるのは幸運と お月様のギョロ目玉…
恐竜の末裔 フライングで飛び出た鳥の性
騙されたな 本当の自由は天空の上の遥か天空の
天翔ける天使の領域さ 小鳥に話しかける連中の…


嘘の夢に弄ばされ 真を捨てて子を捨てる
お前は鳥でありながら 獣の性に囚われる
大地の鎖だ 切っても切れない獣性よ
自由を謳歌できるのは 大海原の魚だけ 
猿も鳥も虫さんも 大地の毛先で産声を上げる
虚空から生まれる報奨は デメテルを虐める雹だけさ
この大地では 空は墜落のメディウムだ
勝ち残る者だけ かまびすしく 
束の間の虚空を通過して 不幸への片道切符を渡される
死が苦痛である限り 生が快感である限り……
しかしお前の喜びを支えてくれる
土から湧く一寸の虫たちも 五分の魂を連綿と…


魚たちは恐竜の祖先を陸地に追い出した
楽園から追い出されたつがい猿のように
奴らは罪の鎖で しっかり大地と繋がれた
するとイルカが潜って耳元で囁く
「おいら陸から海に追い出されたんだ
だから水平線の垣根越しに 磯臭い空気を吸うんです
おいら世の中 上辺っ面しか知らないよ
海のことも空のことも 故郷のことも知らないよ」
誰だって地面のずっと下の灼熱天国を
蠢く命の世界を知らないさ
大地の女神の面の裏皮
アマテラスの面の裏皮
イザナミも 好きな女の面の裏皮も 想像の範囲で
ウジウジザラザラのバックスキンに決まってる
どいつもこいつも上辺っ面だけめかしてやがらあ


「けれどあんたはおいらを通り越し
全てを知る身分になった 解放されて
憧れだったエラを身に着けて
水陸両用者へと変身し
この苦しさをとっくに忘れ
海中散歩と洒落込んだ
嗚呼生とは 息苦しくも生き苦しい
課された義務が多すぎるのさ
体内時計がアラームを鳴らし
お天道様が呼んでいる はよ帰って来いよ 駄目なのか
さあ嗅いでおくれ 獣色した凪間汁 浮いた魚のパルファム…」
僕は一人でクレオパトラを探しに行くさ
晒し者になる前に匿ってやるんだ
絶世の美女のミイラなんて… 悪趣味だもの
亡者どもの化けの皮を剝がしちゃいけないよ


イルカは天空に昇れず
大きな体を白砂の上に横たえる
「一瞬の不注意で脇腹に穴さ この道化者
トビウオのまねでお客を楽しませようと
近づき過ぎたんだ スクリューカッティング
片肺飛行を忘れちまった 中途半端の成れの果て」
それはそれはお気の毒
非力な僕はまるで小鳥さ せめてもの慰みに
茜色したエラでもお貸ししましょう
「いいのさ、あんたをからかったのも
魔が差しただけなんだから…
俺はいつも道化てバカを見る」


脇腹に空いた傷口から
年上の男が飛び出して
男に手を差し伸べた
どうして君にはエラがないの
「それは単なるお飾りだから
エラもヒレもシッポもすべからく
異邦人には用のないもの
生きるためのしがらみさ
シッポを振って媚びへつらっても
魚や蛸に嗤われるだけ」


年上の男は蝶のように
頭の上を舞い始めた
「僕の名前はエティエンヌ
死はそれほどに
悪いものではないさ
トロイのヘレナはファウストに任せ
二人でクレオパトラを助けに行こう
エメラルドの瞳は雑魚に食われても
象牙色した目ん球ケースは健在だ
そいつは月のクレータみたいに
陽の当らない心の奥底に蟠る
熱情の炎を固めた氷だ
二人でそいつを融かしてやろう」





サハラ砂漠の広い裾野は
果てしのない海底砂漠
海草の種が舞い降りても
すかさず砂塵が覆ってしまう
水の失せた砂野にブドウが育たぬように
荒海の砂漠に海ブドウは育たない


見ろよ我が友エティエンヌ
ブルゴーニュワインで乾杯だ!
鬱蒼とした藻屑の森の奥 
ポセイドンの庇護の下
居酒屋で語り合ったあの幻が現れた
左に冥界のファラオを夢見るピラミッド
右に冥界の賢者を夢見る図書館だ
たとえ白亜のエクトプラズムだろうが
怨霊どもの口から絞り出た幻影には
それなりのわけがあるだろう
そうだ そいつは生への未練に違いない
失われた栄光への飽くなき執着
頓挫した権威への誇大な妄想
それらは水泡となって魚の腹に落ち着いた


近づくほどに現れたのは
女衒の男 遠くには客引きの幽女
図書館の前には女衒が半端品を店頭販売
お客といえば懐の軽いお二人さんだ
「さあさあお立合い
冥途の土産にくすねた書物が目白押し
ヤギの皮からパピルス 羊皮紙まで
歴史の荒波に揉まれて消えた
天才どもの未公開文献が勢ぞろい
ヒエロニュモスの蔵書だって
殺られた後のあっしの研究だって
ぜーんぶ持ってけ このドロボウ!」


するとあんたはかの有名なヘウレーカの
アルキメデスでござりまするか
「よくぞ気が付きなさった社長さん
こんな具合に落ちぶれてはござりますが
ローマ野郎に殺られた後の
まあるい目ん玉の研究は
しっかり継続しておりやんす
その成果が見たいというなら 両の目ん玉かっぽじって
ずずずいっと砂上の楼閣にお入りを」


すると客を取られちゃなるまいと
幽体幻送技術を駆使して一瞬に
ピラミッドから図書館まで
客引き女がひとっ飛び
アルキメデスと客人の間に分け入って
髑髏の仮面を付けながらも恥を捨て
妖艶な肢体をクネクネと 小鳥のようにタクタクと
本場仕立てのベリーダンスを必死に踊る
嗚呼そうだよ あんたが最後のファラオなら
魔性の女だもの きっと必死に生きてきた
その報酬が毒蛇の牙なら
なんとも儚いあのピラミッドも
あんたの墓にはふさわしい


「あたしが魔性の女なら
いまは必死に死んでいる
あたし生きているとき
男を餌食にするために
蛇の目付きをしていたの
だけどいまの私は本当の私
縄が解かれた情熱の女
死んだ私は終った私 
死んでしまえば人生は終わり
こっちの私は歴史の私
かび臭い書物に挟まれて
標本にまで落ちぶれて
必死に死んでるおぼこな姿
素面を見たいと思うなら
ぜひともあちらへお出でなさい
アントニウスとはいかないけれど
男の成れの果てには違いない
仮面を剥がす力がおありなら
力ずくで剥がしてほしいの
そうよあの時のバカ力
さほどの美女ではないと言うけれど
蓼食う虫も好き好きよ
私的な感傷ではございますが
波乱万丈の女の生き様を
ほんの一瞬でも思い出せれば満足だもの」


世界三大美女のお誘いに
断る理屈もないだろう
黴まみれの書物を紐解いても
只々あきれる世界は変わらない
そんなものは 時効切れの遺言書
連綿とした恨みつらみの絵巻本
ひねくれ者の歪んだ冷笑
反吐の出る代物だ


さあさ仮装舞踏会の再開だ!
愛し愛され愛する恨むが
あの世の全てに違いない
だってその一瞬だけ
男と女は仮面を剥がす
女も男もコジ・ファン・トゥッティ
岸から落ちた久米仙人
嗚呼 エティエンヌ 
死はそれほどに 悪いものではないのさ

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