詩人 響月光のブログ

詩人響月光の詩と小説を紹介します。

エッセー「神様の想定外」& 詩 その他

エッセー
神様の想定外


 仏教では修行者が食を絶って大日如来と結合する「即身成仏」や、飢餓などで苦しむ人々の救済を目的に、高僧が生きたまま土に埋められる「入定(永遠の瞑想)」という自ら命を絶つ行為があった。両者ともミイラになるので、即身成仏は空海が有名だし、入定は「即身仏」として全国で17体あって祀られている。当然のことだが、欧化主義の明治政府はこれらを禁止した。話は飛ぶが、カフカに『断食芸人』という短編小説がある。観客がみんな飽きて素通りするのに断食し続け、ついには死んでしまう芸人の物語だ。


 一方、日本の入管施設ではウィシュマさん以外にも多くの収容者が亡くなられているけれど、その一人のナイジェリア人は2019年にハンガーストライキで亡くなっている。窃盗などで実刑を受けたとはいえ、帰国を拒んだため仮釈放後長期にわたり収容され、仮放免が許可されなかったことへの抗議だった。


 これらには共通点があるだろう。どれも自分の意思で食を断ったということ。その結末は死であることを承知しての行為だ。しかし、「即身成仏、即身仏」と「断食芸人、ハンスト」には共通でない部分もあるだろう。「即身成仏」は大日如来と結合できるし、「即身仏」はミイラが残って信仰上の仏として生き続けることができる。これらは仏となることを願って餓死するのだ。天国へ行けると信じて自爆するイスラム過激派と似てなくもないが、人の命を奪うか奪わないかの違いはある。※


 「ハンストは」、為政者へのプロテストとして相手を脅す行為だから、死を覚悟しても死にたくはない。死んでしまったら自分の負けで、餓死は目的の扉ではない。できれば扉を開けたくない。その一歩手前で、相手の腰を折るのが目的だ。『断食芸人』は小説だから色々な解釈ができるので、一般的なことを言おう。ヨーロッパでは20世紀をまたぐ頃に興行されていた芸らしく、土地の人間が交代で監視しながら檻に入って定められた期間断食し、決められた日数(小説では40日)断食すれば投げ銭をもらえるといったものだ。未踏峰登山などと同じ挑戦ジャンルで、失敗すれば命はない。


 小説では、観客に飽きられた芸人が無期限の断食に挑戦して死んでいくことになるが、記録を更新して生還すればギネス記録に認定されて栄誉を獲得できるだろうが(現在382日が認定)、危険なので今は認定していないという。一見、「餓死」には二通りあるように見える。死ぬために食を絶つものと、生きるために食を絶つもの(もちろん食う物がなくて死ぬのも餓死だ)。


 しかし、「即身成仏」や「即身仏」は自殺とは違う。自殺は自分の生を滅する行為だが、これらは仏として自分も生き、その力で数多の人々をも生かそうとするもので、結局は生きるために食を絶つものなのだ。つまり、「即身成仏」も「即身仏」も「ハンスト」も「断食芸人」も、生きるための行為ということだ。


 これは人間から離れて、地球を考えてみると分かりやすくなる。地球上の生物は死ぬために生きているのではなく、生きるために生きている。だから飢えや事故で死ぬのは無念の死ということになる。ということは、生きることに嫌気がさして死ぬ自殺は、自然の摂理にそぐわない行為と言える。カフカの『断食芸人』では、芸人が「自分に合った食べ物を見つけることができなかった」と言っているが、これは自殺と同じ絶望死の範疇に投げ込むこともできるだろう。カフカの意図は分からないが、「自分に合った世の中を見つけることができなかった」と言って自殺する人間は五万といる。「この世は不可解だ」と言って華厳の滝に飛び込んだ藤村操(漱石の教え子)もその一人だ。


 しかし自然の摂理が「生きるために生きる」のなら、きっと「死ぬために生きる」も摂理に違いない。自然の摂理が「ほかの生物を殺さなければ生きていけない」ことになっているからだ。食われる生物は、生きるために生きていると同時に、自分の意思に反して死ぬためにも生きていて、捕食者の生存を支えている。つまり「生きるために生きる」は神様の意志ではなく、あくまで生き物たちの意思で、彼らは「死ぬために生きる」ことのないよう、壮絶な営みを繰り返している。


 こんな地球のシステムを創造したのが神様だとすれば、ずいぶん残酷な神だが、神などいないと考えれば、単なる自然現象の一部ということになる。しかしこのシステムを残酷だと感じるのはせいぜい人間ぐらいで、一部の高等動物を除いては仲間の死を悲しむことすらないだろう。多くの生物が単に生きていて、単に食われていくだけの話だ。そこには「無念の死」などという感覚はさらさらない。


 だから理不尽な神様がこの星を創造したのなら、いまの地球は想定外の出来事だったに違いない。生き物たちは本能のままに食らい、食われていれば良かったはずなのに、生物は色々な種に分化して進化し始めたからだ。そして、きわめて本能的に、自分は死んでも種を絶やさないという意思すら持つようになった。もちろん、種が進化したっていずれ絶滅すれば、同じ円環を堂々巡りするだけで想定外というわけではなく、神様も安心できたろう。


 神様にとっての想定外は、ヒトという猿が「脳みそ」という臓器を進化させてしまったことに違いない。それまで生態系は、地球という星の表面で起きている生物界の現象だった。「驕れる者はいずれ滅びる」という法則に則り、栄える種は栄え、滅びる種は滅びればよかった。ところが人間は、滅亡する前に地球を支配してしまった。神様が創った星を、人類が乗っ取ったという構図になる。しかし、いずれ人類が滅びれば、「想定外」は解消される。人間は一時的に地球を支配しただけで、また元に戻るだけの話だ。


 それが証拠に、地球生態系の頂点に君臨した人間は、ほかの生物を食らいながら生き延びてきたが、その餌を獲得するために同種間で壮絶な縄張り争いを繰り返している。きっと胃袋に何も入らなければ、共食いだってするだろう。これは、神様が描いた設計図通りで、壮絶な活動を繰り返しているほかの生物と同じく、自然の一部として完全にコントロールされているということなのだ。人を含めた生物の悲しい性だ。


 しかし、もし神様がいまだに「想定外」だと思っているなら、それは人間が「脳みそ」の進化過程で、「愛」も進化させてしまったからに違いない。人間の「愛」は神様の設計図から逸脱し、納まりどころが悪くてぶらぶら揺れている。最初は生殖のための原初的な愛が、餌を確保するための家族・集団的な愛に進化し、今では「生物愛」や「人類愛」、「地球愛」というところまで進化してしまったが、そのすべてが細い糸で繋がっていて、連凧のように揺れている。この連凧は流行り廃りのある玩具のようなもので、時代や状況によって上の数枚が増えたり、減ったりする。加えて強風でも吹いて個人の生存が脅かされるときには、たちまち糸が引っ張られてエゴの中に格納され、「想定内」に戻る。


 そうなった場合は、「弱肉強食」という神様の設計図に従って活動することになる。各地で勃発する戦争は餌の確保のための縄張り争いで、人間は生物の本能に従って行動している。民族愛や国家愛は、猿の「集団愛」と同じレベルだ。一方で、個人の生存が脅かされない地域の人々は、悠長に連凧を揚げて、やれ「人類愛」だとか、やれ「地球愛」、やれ「ヴィーガン(ベジタリアン)」などと宣っているわけだ。しかし彼らだって、環境が激変して個人の生存が脅かされるようになれば、たちまち連凧を胸の内に折り畳んで自己主張を始めるだろう。そうして生物の歴史は連綿と繰り返されていくのだ。


 しかしいまの人間は、神様を「想定外」と思わせなければならない時期に来ているのだと思う。進化した人間の脳みそは、「人類は滅びるかもしれない」という共通認識を抱くようになった。その大きな原因の一つは「核兵器」である。脳みその進化で科学も進化し、瞬時に人類を滅亡させるような兵器も出来てしまった。仮に人間が核兵器を使用して滅亡するようなことがあっても、神様の設計図からすれば「想定内」なのだ。


 世界大戦後の米ソ冷戦下の時代に、『渚にて』(1959年、スタンリー・クレイマー監督)という映画があった。全面核戦争後に、難を逃れた米原潜が母国に戻るが、生存者を一人も発見できなかった。彼らはノアの方舟よろしく、まだ死の灰が到達していないオーストラリアに向かうが、いずれそこも汚染され、人類は滅亡するといったあらすじだ。新冷戦時代(第二次冷戦)と言われる現在でも、当時の危機的な状況は変わっていないし、技術の進歩でむしろ危険度は増している。


 しかし、進化した人間の脳みそは「人類を滅亡させてはいけない」とも考え始めている。生物はたとえ本能だろうと、種の存続に命をかける。いわんや人間をや、だ。この望みを実現するには、神様の意図を覆させなければいけないことになる。ところが神様の設計図は、地球生物の血液の中にDNAとして流れており、一筋縄で行くものではない。以前『ホモ・デウス』(ユヴァル・ノア・ハラリ著)という本がベストセラーになったが、少なくとも神様の設計図通りに人間が動いているうちは想定内で、神様(ゼウス)に代わることはないだろう。当然のことだが、僕が「神様」と言っている神は冷厳な創造主(自然の摂理)であって、人間が想像する慈悲深い神でも横暴なゼウスでも、喧嘩好きなそこらの神でもない。


 人間が神様に「想定外」と思わせるためには、少なくとも人間だけは「地球生態系」という設計図から抜け出す必要がある。設計通りなら、ほかの生物と同じことを繰り返すに留まるからだ。これは神様の領域に挑戦して神様に勝つことを意味するが、神様と同じポジションに立つことでも、創造主が二人現れることでもない。僕は『ホモ・デウス』のような驕れる人間をイメージしてはいない。ロケットが地球重力から解放され宇宙に飛び出すように、人間だけが神様の手中から解放されて、独り立ちするという意味だ。人間が生態系から独り立ちしたって、ほかの生物の生態系は変わらないし、「弱肉強食」という神様の基本方針も覆されることはないだろう。


 人はしばしば「天国」を夢見るが、そこは恐らく「地球生態系」という神様の設計図から解放された場所だと思っている。そこに「弱肉強食」という概念は無く、諍いは雲散霧消し、平和で満たされている。「愛」を進化させてしまった人間は、家族や仲間が「弱肉強食」の餌食になるなどして悲しみを共有し、ギリシア悲劇のずっと前から「地球生態系」の居心地悪さを感じてきたに違いない。だから「天国」やら「イデアの世界」やらが現代人の脳裏にもしばしば現れ、空想の中に引き込まれてしまう人たちもいるわけだ。


 しかし「天国」は空想かも知れないが、空想だと決めつけた時点で人間は思考停止に陥ってしまう。人間は昔から「天国」へ行くことを想定して、改心したり、善行を積んだり、免罪符を買ったり色々努力してきたわけだ。現世に不満を持つ人間は、現世で居心地の悪かった部分を解消してくれるのが「天国」だと思っているし、現世に満足している人間は死後も同じような境遇にありたいと願うだろう。


 それでは「天国」など信じない現代人が現世でなにをしているかというと、達成できていない課題を解消しようと努力しているわけだ。これはライオンがほふく前進して獲物に近づくのとは違う。ライオンは本能的に狩りの体勢を取っていて、獲物にありついた自分をイメージしているわけではない。だから獲り逃がしたあとも、涼しい顔をしている。しかし人間は明らかに、「天国」なり「イデアの世界」なりの理想的状況をイメージしながら、それを現実社会に具現化しようと努めている。「天国」というバーチャルな世界を形にする努力は人間だけのもので、それだけが唯一、神様の掌から逃れる隙間なのだ。一縷の隙間をこじ開けるには大きな力が必要だが、ピラミッドを見た人間なら、それは可能かもしれないと思うだろう。古代の祖先が一致団結して造ったのだから。


 もし人類が連綿と続いてきた「地球生態系」の軛から逃れたいと思うなら、危機感を共有する79億もの人間が一つとなって、創造主たる神様に対峙しなければならないだろう。ガキ大将の支配から逃れようとする虚弱少年のように、勇気をもって立ち向かわなければならないが、相手はジャイアン以上の巨人だ。一致団結したって勝てるかどうかは分からない。しかし想定外の進化を遂げた「愛」と、旧態依然とした弱肉強食システムの間に齟齬が生じていることは事実だし、核兵器が人類滅亡のトリガーになり得ることも事実なのだ。


 虚弱な人間たちが巨人に対抗し、巨人の圧力から解放されるには、ワンランク上のステージに這い上がらなければならない。その場所は、人間だけが神様の支配から解放された舞台に違いない。きっとそこは、ほかの生物を食らう「弱肉強食」からも、仲間どうしが食いあう「共食い」からも解放された場所に違いない。異常に進化した「愛」と、異常に進化した「脳みそ」を駆使すれば、不可能ではないはずだ。豚肉が培養肉に置き換わる時代なのだから……。


 仏教の華厳経に「一即多 多即一」という言葉があるが、「あらゆるものは無縁の縁によって成り立っている」といった意味らしい。自分は孤独だと思っていても、79億もの人間と見えない糸で繋がっている。その糸は連凧のように弱々しい糸だ。しかしほかの人間たちが消滅すれば糸も消え、自分の存在意義を失ってしまう。最後の一匹となったニホンオオカミは、恋人にも仲間にも出会うことなく、自暴自棄の中でさみしく消えていったに違いない。しかし反対に、街に爆弾を落とした飛行士は、無念の死を遂げた市民たちと「有縁(うえん)の縁」で繋がってしまう。彼の行為は「共食い」のヴァリエーションで、時たまフラッシュバックとなって死ぬまで悩まされることになる。


 ある民族やある国を消滅させて自分たちだけが繫栄しても、同じメカニズムを繰り返すだけなら、やがてはすべてが消滅する。人間たちは、冷酷な神様の設計通りに動き回っているに過ぎず、その先には設計通りの「絶滅」が控えているだろう。神様のレッドデータには人類も含まれている。そのカタログから抜け出すには、異常に進化した「愛」と「英知」による絶妙のコンビネーションで立ち向かう以外に方法はない。そしてそれが成功した暁には、きっと神様の指の隙間にチラチラ見え隠れする宇宙人たちも諸手を挙げて飛び出してくるだろう。彼らは確実に、人間を超えた愛と英知で神様に勝った連中なのだから。


※ 基本的な願いは「即身成仏、即身仏」も「過激派」も変わらない。両者の願いは世界を救うことにあるのだから。お坊様は仏頼みで、過激派は武力で、と手段が違うだけだ。過激派をいくら糾弾しても、彼らは「創造的破壊」を実行していると反論するだろう。




鬼軍曹の死

(戦争レクイエムより)


自分が埋めた地雷を踏みやがった
五メートル浮き上がって
どでかい音が鼓膜を破った
首はもげて八メートル先の池に落ち
黄色いカエルを真っ赤に染めた
右足は付け根から十メートル飛ばされ
右手はもげても軽機銃を離さず
ドドドと撃ちまくりながら
敵陣十二メートルをひとっ飛び
銃剣がラワンの太っ腹に突き刺さり
台尻からキラキラ血が滴り落ちた
首無し胴体はそいつを見ることもなく
二階級特進してじたばたせず
泰然として砂地にソフトランディング


少尉殿は横目でそれを見ながら
死んだ奴は知らんとばかりに
奪還だ、奪還だと叫びながら
鬼の顔して部下たちを引き連れ
ジャングルの中に消えていった
やがて銃声が遠のくと
野良犬が三匹やってきて、キョロキョロと
もげた右足をウーウー引っ張りあいながら
仲悪く森の中に消えていった


最初に来たのは村の男でキョロキョロと
軍曹殿のポケットをまさぐって
時計や財布を巻き上げていった
次に来たのはバカンスにやってきた
ずっと昔に火あぶりで死んだ
北方の魔女たちだ
ちょうど昼時で腹が減ってたから
何世紀ぶりに魔女会でもしようということになり
沼から生首と赤ガエルを捕まえてきて
巻き付いてた血塗りの手拭いを
法王のマントみたいに
カエルに着せて仲良く並ばせ
どこからか大鍋を持ち出し沼の水を入れ
マングローブの根っこに火を付けた


湯加減が良くなったところで
まずは生首で出汁を取ろうと
魔女の一人が首っ玉を掴もうとしたら
生首が歯をむき出して手を嚙んだので
イテテと笑いながら手を引っ込めた
往生際の悪い奴だねえ
どうせあんたは腐るだけだろ
だからといってお前に食わす理由はないさ
仲間の勝利を見届けてからあの世に行きたいのさ
見るなよ、見ないほうがいい、見るべきじゃないさ
あんたの仲間は今日明日にも玉砕するんだからさ
だからといってお前らに食わす理由はないさ


ハハハと嗤いながら両手で鉄兜を引っ掴み
眼ん球を海のほうに向けやがった
そこには白い砂浜が黒くなるほど
地元の幽霊どもが蟠っていやがった
みんなみんな貧相な顔で飢えていて
スープができるのをじりじり待ってるんだ
首のない奴が両手で首を抱えてやってきて
軍曹殿お久しぶりです
こいつはあんたの刀で刎ねられた
おいらの愛しい首っ玉ですぜ
もう用なしなので
あんたと一緒にお鍋に放り込んでくだせえやし


小さな子供が十人しゃしゃり出て
お父さんお母さんを殺されて
おじさんたちが食べ物を残らず持ってったから
腹が減って死んだんだよ
早くおじさんの首っ玉スープを飲ませておくれよ
このままだと腹ペコで死んじゃうよ


子供が引っ込むと
服を裂かれた四人の娘がやってきて
無言のまま涙を流している
おいやめてくれよ、堪忍してくれ!
娘たちが二手に分かれて引っ込んだ間から
振袖姿の女が忽然と現れ
白々しく眺めている


嗚呼出征前に盃を交わした俺の女房
ヘエ空襲でねえ、お釈迦様でも知らんぜよ
私は晴れ着を出しておぼこに戻り
これから天国に行こうと思うんです
私のわがまま許していただけますか
許すも許さんも誰も地獄なんざ行きたくないさ
それに俺だって天国へ行けるかもしれんしさ
お国のために頑張ったんだ
准尉殿は死んでも鉄砲を撃ち続けました


すると魔女どもも村人も女房までもがナイナイナイと大爆笑
挙句に襟から逆三行半を取り出して軍曹殿のオデコに貼り付け
天国でいい人を見つけるのよと宣った
軍曹殿はそのイメージギャップに唖然として
軽く軽く軽々しく、天に召される女房を
重く重く重々しく、上目遣いに見送った
いつも寝る前にあいつの写真にキスしてやったのに
まあ俺の脳味噌をすすらなかっただけでも御の字か…


さあさあサイケデリックな大饗宴の始まりだ
魔女どもは箒に乗って空中を乱舞し
爺さん婆さんから小っこい子供まで
空中浮遊で過激に踊りまくる
みんなお祭りも喧嘩も好きなんだなあ…


さあいよいよ御首様の浸礼儀式が始まるぞ
マッチョの若者が二人、軍曹殿の鉄兜を厳かに取り去り
どっからかくすねた銀のトレイに首級を乗せ
坊主頭の上にカエル法王をちょこんと乗せる
二人がそいつを肩まで上げると魔女どもが降臨して
噛みつかれないよう、代わりばんこにキスを始めた
どいつもこいつも婆さんばかりで
気持ち悪いったらありゃしない
お次はゲリラ連中が首実検
こいつだこいつだと口々に
唾をペッペと吐き付けやがった
食材を手荒に扱うな!


さあいよいよ首っ玉の投入だ
トレイが高く掲げられると
ぐつぐつ煮えたぎる泥水が目の前に飛び込んでくる
驚いたカエルが跳びはねたが両足を縛られよって
かわず飛び込むお湯の音 ジャッポン!
おいおい本気でおいらをぶっ込むつもりかよ
五右衛門さんじゃないんだからよ


万事休すと思ったとたん
敵兵が五人ほどジャングルから飛び出して
敗残兵を探し始めたので首煮会は散会じゃ
幽霊どもはどこかへ消えちまった
九死に一生を得るとはこのことさ
ところが青二才の新兵が
軍曹殿の首っ玉を見つけてニヤリと嗤い
ジャップ!と吐き捨て
思い切り蹴りやがった


お味噌の少ない軍曹殿でも
さすがに五メートルしか飛ばなかったが
仲間の青二才がそいつをサッカーみたいに
波打ち際までドリブルで転がし
最後は海に向かって思い切り蹴りやがった ジャップン!


軍曹殿の鼻っぱしらは完全に折られたが
それでも鍋の具材になるよか百倍マシだ
軍曹殿はさざ波に弄ばれながら
走馬灯のようにクルクルと回転し
群がる雑魚を振り払いながら
涙ながらに故郷の歌を口ずさんだな


名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 首玉一つ
異郷の岸を 離れて
汝はそも 波に幾月
独り身の 浮き寝の旅ぞ
海の陽の 昇るを見れば
たぎり落つ 異郷の涙
思いやる 八重の汐々
異郷の鬼は 故郷の仏
いずれの日にか 国に帰らん…








奇譚童話「草原の光」
二十三


 でも、勝敗は最初から分かってたようなもんだな。だって相手は図体はデカくても素手でかかってくるのに、こっちは飛び道具を持ってんだ。信長が勝った桶狭間の戦いみたいなもんさ。それに普通、総大将は後ろに控えてるのに、突撃隊長になってんだ。でも、最前列はデカいティラノで固められてるから、怖いことは怖いよな。草食恐竜もカメレオーネもガタガタ震えたけど、誰も敵前逃亡はしなかった。したいにも後ろが崖だから、逃げる場所がなかったのさ。だから仕方なしに銃をぶっ放した。ビームはちゃんと当たるようにできてるから、百発百中。


 撃たれたティラノは総大将以下、急に足がもつれてゴロゴロとこっちに転がってくるからみんな慌てたな。それでも、こっちまで転がって草食恐竜にぶち当たったのは三匹ぐらいだったし、当たった仲間はティラノより大きかったから、横綱稽古みたいにドンと受け止めたな。もちろん怖いのはあのデカい牙だけど、本能的にアパトの首根っこに嚙みついたものの噛む力も無くしていて、体全体を痙攣させた。で、後ろ足からどんどんひき肉になっていくんだ。これを見た崖のカメレオーネたちが、一斉に拍手喝采だ。
 ムスコロもどんどんミンチになっていき、最後に自慢の牙が崩れてウジ虫の山みたいになったところで、頭のあたりのミンチの山から祖先帰りした昔のムスコロがひょっこり現れたんだ。最初はボーッとしてたけど、一斉攻撃二列目が間近に迫ってきたので慌てて崖によじ登り、親父のカッキオと抱き合ったんだ。『放蕩息子の帰還』っていう絵みたいな感じだったな。
 けれど二列目が突進してきても、アインシュタインは「用意、撃て」とは言わなかった。でも臆病な連中が銃を撃ち始めちゃった。それを見たアインシュタインは「撃ち方止め!」って叫んだんだ。見ると、第二陣は攻撃をそっちのけでミンチになった仲間の肉を美味そうにガツガツ食ってんだ。悲しい本能なんだな、可哀そうな連中だよ。さすがに三列目はそれを見て戦意をなくし、くびすを返して敵前逃亡。その後ろの連中も悲しい雄叫びを上げながら草原を散り散りに逃げてった。てなわけでミンチにされて祖先帰りした連中は、恐竜時代のことはすっかり忘れて崖の上によじ登り、昔の仲間と抱き合ったというわけさ。


で、敵のほとんどが逃げちゃったんで、こっちから出向かなきゃならなくなったんだ。草原の掃討作戦だな。みんな祖先帰り銃を持ってるから安心して、分散攻撃で肉食竜を祖先帰りさせることになったんだ。アインシュタインは総大将だから、山の上から軍配持って眺めることにし、先生とナオミとケントの三人は、アパトの頭に乗って追撃に出発。ウニベルとステラは、全長四メートルのニッポノサウルスの首に乗った。ヒカリはトリケラトプスに乗ることにしたんだ。ヒカリのポケットの中にはスネックとハンナとジャクソンも入っているのさ。


 アパトの高い展望台から草原を眺めると、一面に生えている三メートル近い草が所々で凹んでいる。そこに肉食竜の背中がチラチラ見えるのさ。頭隠して背中隠さずってわけ。今まで隠れる必要もなかったんだから、下手は当たり前だな。近くに三頭固まって潜んでるのを見っけたから、先生はまずそこを攻撃しようと思った。三人で標的を分担してアパトはゆっくりと近づいていったな。
 背中が見えるんだから、そのまま背中を狙って銃を撃てばすぐに片付けられるんだ。だけど先生は先生らしくこだわったんだな。相手の了承を得てから撃とうと思ったんだ。でも本当はそんな時間ないんだよな。ターゲットはたくさんいるんだから。でも先生は奇襲は卑怯だと思ってたんだ。で、大声を張り上げた。
「おい肉食派諸君。覚悟はできているかね。君たちは死ぬわけじゃない。昔の君たちに戻るんだ。怖がることはない。生まれたときの君たちになるんだ。純真な心にもどって生き方を見直し、また一から出直してまっとうな人生を歩もうじゃないか。多くの連中がそう願いつつもできないのに、君たちは心身ともに初期化できるんだ。素晴らしい人生を再開できるんだ。さあ、隠れてないで出てきなさい」


 すると三頭ともむっくりと起き上がり、アパトの頭の上の三人を睨みつけた。三人はその迫力に一瞬体が縮み上がった。
「素晴らしい人生ってなによ! まっとうな人生ってなによ!」って肉食女子が牙を剝いた。
「あたしたちの楽しみは肉を食うことなのよ。あたしたちは肉の楽しみのために生きてるのさ。あたしたちの人生は肉に捧げる人生さ。あんたたちのまっとうな人生ってなんなのさ。言ってごらんよ」
 先生はいきなり振られて驚いたが、落ち着いた振りをして答えた。
「私たちモーロクのまっとうな人生は、日々十リットルの水と二十キロの土を食べ、隣人と仲良くするものさ。そして一番大事なのは、仲間たちと協力し合って穴を広げ、社会が必要とする様々な公共施設を造ることだ。また、照明のために必要なヒカリゴケを栽培し、その照明でウドの大木も育てている。もちろん、いろんな趣味も人生には必要だな。例えば私は、雑学を勉強することが趣味と言っても良いな」
「ケッ、つまんねえ人生!」って、もう一頭がゲラゲラ笑った。
「アクティブじゃないけど筋肉は動かしてるわね」ってさらにもう一頭。
「だけどなんで穴なのよ」
「私たちは地底人なんだ」
 すると三頭とも爆音のように笑い出した。
「なんだモグラの仲間か」
「食べても不味そうだわね」
「でもこのバカでかい草食男子は食べ応えありそう」ってアパトを指さす。
 先生は危機感を感じて「一応説明したので同意がなくても撃ちますが、よろしいですか」と言って銃を真ん中のティラノに向けた。それにならってケントは右側、ナオミは左側の恐竜を狙った。
「ちょっと待ってよ」と言って三頭は寄ってヒソヒソ話を始め、うなづき合って元の場所に戻る。
「協議の結果、私たちはカメレオーネに戻って昆虫を食べることにしました。大好きな肉を断つのは断腸の思いですけど、大きな恐竜を食うより小さな虫を食うほうがあんた方の神様が喜ぶなら、そうすることにするわ。おとなしく撃たれることにしたの」
「そうそう、それがいいよ。人生重く生きるよりも軽く生きたほうが得さ」ってケント。
「でも、カメレオーネはいま草しか食べないわ」ってナオミ。
「ケッ、俺たちにのろまな草食竜になれってことかよ!」とオスが切れたが、仲間がドウドウドウとウィンクし、「草でも糞でも、泥よりはマシさ」って皮肉を言った。
「でも撃たれる前に、倒れた獲物を囲んで踊る収獲の踊りを披露したいわ」
「死の舞踏だわさ」
「俺たちの華麗な踊りをぜひとも見せてやりたいんだ」
「あたしたちの大好きな肉を前にして、神様に感謝する踊りだわさ」
「こんな激しい踊り、カメレオーネになったら二度と踊れないものな」
「そりゃ面白そうだ。迫力ありそう」
 時間がなかったが、好奇心の強い先生はどうぞとばかりに頷いた。
「じゃあすんません。アパトサウルスさん、死んだふりをしてお寝んねの姿勢を取っていただけますでしょうか」
 アパトはためらったが、先生の言うことを聞いて素直に足を折り畳んだので、足の分だけ頭の位置も低くなったな。
「さあ、いよいよ『三頭の大きな恐竜たちの踊り』の始まり始まり」


 恐竜たちはアパトの周りを反時計回りに歩き始め、途中で等間隔に分裂して走り出し、だんだん加速していき、しまいには雄叫びを上げながら時速七十キロくらいになって駆けまくったので、アパトも頭の三人も目が回ってしまった。踊り子たちも疲れてきたので、一頭が仲間に声をかけた。
「そろそろ行く?」
「オッケー」
「イチニノサン!」
 いきなり一頭がアパトの頭の位置で急ブレーキをかけ、飛び上がって大きな口でアパトの頭に噛り付いた。残りの二頭も背中に乗って首根っこに噛り付いたり尻に噛り付いたりで、最悪の事態になっちまった。頭に食らいついた奴は、牙に力を入れて顔を左右に振ったので、アパトの首の一番細い部分は簡単に千切れ、三人はアパトの頭と一緒に太い食道を一瞬に通過して大きな胃袋に落ちちまった。とたんに獲物のご到着を歓迎して胃壁から強塩酸がシャワーのように出てきたので、三人は慌てて銃を撃ちまくった。で、結果として胃袋はたちまちミンチになっちまい、そのミンチがドミノ倒しみたいにどんどん周りに広がって、三人は挽肉の山からなんとか生還できたのさ。当然、生まれ変わったカメレオーネがちょこんと首を出したが、恥ずかしさのあまり逃げていった。


 三人が目にしたのは、アパトの体をムシャムシャ食べている二頭のティラノだった。驚いた三人は一斉に銃を撃ったので連中もたちまちミンチの山になっちまい、カメレオーネに変身して草むらの中に逃げていった。三人はアパトの変わり果てた姿に呆然と立ち尽くしたが、どこからともなく小型肉食竜が十匹ほどやってきてミンチの山やアパトに嚙り付いたので、三人はでたらめに撃ちまくった。そしたらアパトにも当たったらしく、小型恐竜もアパトの体もどんどんミンチになっていく。小型連中はみんなカメレオーネに戻って草藪に逃げた。一匹だけ残ってこちらを見てたので、三人はひそかに期待しながら先生が尋ねたんだ。
「君はアパトかね?」
「そうさ」
 それを聞いて三人は飛び上がって喜んだんだ。大きなアパトには脳みそが二つあって、首の脳みそは死んでも、背中の脳みそは生きてたんだな。生きていれば祖先帰りができて、カメレオーネに戻れたんだ。けど、アパトはなんか白々しく三人を見つめてそばにも寄ってこないんだ。で、三人は顔を見合わせて、腰を抜かして倒れ込んじまった。ティラノの腹の中から出ようと思ってパニクッて、知らず知らずにミンチを食っちまったらしく、三人とも祖先帰りしちまったのさ。全然違った顔になっちまって、背もだいぶ縮んじまった。猿と人間の間みたいな見てくれになっちまった。美男美女だったケントもナオミもそんな感じになっちゃったんだ。で、先生は教養をひけらかして、「我々は北京原人まで祖先帰りしてしまった」てうなるんだ。でも言葉は喋れるんだからおかしなもんだな。


 ところが、性格だって少しおかしくなったみたいなんだ。だって三人とも無性にお腹が空いてきて、五メートル先のアパトが美味そうに感じるんだ。三人が物欲しそうな顔つきでアパトを見つめたから、アパトはやばいと思ったらしく、すたこらブッシュの中に逃げ込んじまった。で、三人とも無意識に追いかけてたりして、ケントなんかチェって舌打ちしたんだ……。
 で、次に目が行ったのは、このミンチの山々さ。こいつはまたいい匂いがするんだな。でも先生はその危険性を知ってるから「やめなさい。絶対食べちゃいけない!」って二人を制したんだ。でも北京原人って欲望を制止することができないんだな。若い二人は先生の言葉を無視してミンチの山に食らいついて、腹の膨らむまで食っちまった。そしたらまたまた祖先帰りが始まって、とうとう猿に近いところまで遡っちゃった。先生はいみじくも「これはアウストラロピテクスだな」って宣った。


 で、結局先生も投げやりになっちまって、一人だけ原人に留まるのはどうでしょうって考えたんだ。だって仲間は二人とも猿人になっちゃたんだからさ。自分だけ原人なのはアンバランスじゃない。そう思ったとたんに走り出していて、ミンチの山に顔を突っ込んでいたんだな。食べてるうちにすごい幸せな気分になって、今までなんで土なんか食ってたんだろうって思ったんだ。肉ってのがこんなに美味しいものだって初めて知ったんだな。でも食べてるうちにみるみる顔が変形していくように感じたんだ。で、お腹いっぱいになったところで、全身に黒い毛が生えてることに気づいたんだ。それで先生はいみじくも猿から人類に枝分かれしたばっかの「サヘラントロプス・チャデンシス」って断定して、少しばかり胸高々になったな。だって、人類が猿から枝分かれした開祖のような存在だもの。ほとんど猿になっても、三人は祖先帰り銃を手放さなかった。だって新鮮な肉を食うのに、これは必需品だもの。三人がその場を後にすると、草むらに隠れていた小型恐竜たちがまたぞろいっぱい現れて、喧嘩をしながら大量の挽肉を食べつくし、みんなみんなカメレオーネに戻ってメデタシメデタシさ。


(つづく)










響月光の小説と戯曲|響月 光(きょうげつ こう) 詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。|note



















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