詩人 響月光のブログ

詩人響月光の詩と小説を紹介します。

奇譚童話「草原の光」 五 &  エッセー

エッセー
アミメアリを超えよ!

(社会におけるアポトーシスとネクローシス)


 前回のエッセー『箱男と砂の女』では、多細胞社会の話をした。社会は単細胞である個人が寄り集まったリヴァイアサンのような多細胞の怪物だ。多細胞生物では、組織全体の機能性を維持するために、不要な細胞に対し、アポトーシスという管理された能動的な細胞死(殺害)が行われている。多細胞の組織には邪魔者を排除する殺害ネットワークがあるのだ。


当然のことだが、多細胞社会もその機能を維持するためにアポトーシスは行われている(疎外などの社会的な死も含め)。例えば死刑は、社会の機能を大きく損なう行為を行った単細胞をアポトーシスする手段で、「法」という決まりの下で行われる。ソクラテスは多細胞社会の一員であることを認識して、法治社会の命に従い自ら毒を飲んだ。「法」は間違っていても従わなければ、多細胞社会は崩壊する可能性があるからだ。悪法もまた法なり、というわけだ。


ナチスを始めとした全体主義国家で行われるジェノサイドも、政権を維持するために支持者の差別感情を悪用するアポトーシスだ。多細胞社会では、基本的に個々の細胞が全員参加して決められた社会の方向性を保持することが求められ、時の政府は臨機応変に悪法を作る。結果的に政権が崩壊すれば、今まで同調していた国民もアポトーシスされた人間を被害者と認めるだろう。


 社会が豊かなうちはまだいいが、社会が危機に陥ると「国家総動員法」なるものが発令されたり、「働かざる者、食うべからず」なんて標語も掲げられたりするわけだ。当然、反体制分子などはアポトーシスの対象だ。反体制詩人(ノーベル文学賞受賞)のブロツキーは、ソ連政権下の1964年、「社会的寄食者」(怠け者)として逮捕され、流刑となった。サルトルを中心とした自由主義諸国の反発がなければ、獄死の可能性もあったろう。


 日本もコロナ渦という社会的危機を迎えているが、強権的な国家ではないことが幸いし、西村大臣のように世論を受けての方針撤回も出てくる。「自由を、さもなければ死を」というのが自由主義のスローガンで、イギリスでは最近それを実践している。夏目漱石じゃないけれど、日本では意地を通せば窮屈となり、真綿で喉を締め付けられるように結局自由を奪われるのが、日本的アポトーシスだ。


しかし、多数者(組織全体)の死を回避するために、政府は規制を強化しようとしている。居酒屋など規制される側にとっては生存権の侵害まで及び、抵抗するのは当たり前の話。補償が十分でなければ、社会的な死よりも生存的な死のほうが脅威だ。どちらにも言い分はあるが、その平行線が上向きになるか下向きになるかは、成り行きということになる。結局、多細胞社会の血管には金が流れていて、わが国は悪性貧血ならぬ悪性金欠状態というわけだろう。


 ところで、多細胞生物にはネクローシスというもう一つの受動的な細胞死がある。コロナ感染などの病気で細胞が破壊されるのはネクローシス。栄養不足や毒、怪我などの外的要因で細胞が死んでも、それはネクローシスだ。多細胞社会でも、単細胞としての個人が怪我や病気、老衰(多臓器不全)で死ねば、それはネクローシスと言えるだろう。


 それでは自殺はどうだろう。自殺にはこの二つの死に方がミックスしているのだと僕は思っている。基本的にほかの動物では自殺はないのだから、失恋やうつ病などの精神的な疾患に注目すれば、人間特有の病気によるネクローシスと言えるが、その要因に多細胞社会のシステムが大きく関わっているのであれば、社会が強いたアポトーシスでもある。失恋だろうがうつ病だろうが、その背景には人間関係という社会的規制や社会的状況が関わっているのは明らかだ。窮屈な枠組みを強いるのが社会で、中の人間関係はさらに窮屈。当然、破産による自殺は大方社会的なアポトーシスだ。多細胞社会を流れる金色の血液が滞り、壊死したわけだから。


多細胞社会では夫々の個人に、社会が思い描く健全な社会人たれと強制している。多細胞社会が望んでいるのは資産造りにせよ子供造りにせよ、生産性に寄与する個々の細胞だ。資本主義社会は、常に上昇しなければならない社会で、個々の細胞はそれに寄与しなければならない。社会に停滞や後退は許されないから、落ちこぼれた細胞はアポトーシスされてしかるべきものなのだ。これは共産圏でも変わらない。ブロツキーはそれを理由に処分され、ソ連の国民もそれを当然と思っただろう。蟻の社会を見ればいい。働き蟻が働けなくなれば、それは死を意味している。これは肉体的欠陥によるネクローシスと同時に、「役立たず」に対するアポトーシスも意味している。


多細胞社会において彼らが救済されるとすれば、それは「慈悲」的感性に属するものだ。これは資産家(資本家)たちの寄付においても、政府の支援においても同じことだ。本来資本家たちは稼ぐ部下を、政府は働き者の国民を望んでいるのだから、自殺者づくりに寄与するという、マッチポンプの役割を果たしている。資本家も政府も胴元のようなもので、裏ではお仲間だ。「政府公認某賭け事協会」のように、胴元は世間体を気にして寄付を行ってはいる。社長(資本家)が業績向上を目指せば目指すほど、過労自殺をする部下も増えてくる。当節、社長は過労死による労災認定をやむなく飲んで、位牌に頭を垂れる。


破産して自殺する者は、資本主義社会という多細胞社会からのアポトーシスを食らった者だ、と同時に出口のない絶望の淵から落ちるのであれば、これは精神疾患によるネクローシスとも言えるだろう。食い物を買う金がなくて飢え死にすれば、それはネクローシスと言えるかもしれないが、それでも資本主義社会によるアポトーシスの面も残っている。先ほど述べたように、多細胞社会の血管に流れる金の供給を止められ、窒息死したのだから。


人が多細胞社会の一細胞であることを止めるのは、老衰や病気や事故などのネクローシスで死んだときだろうが、そのほかに破産自殺やホームレスなどのプラス・アポトーシスも含まれる。特にホームレスは、資本主義システムから排除された「社会的な死」と一般的には思われている。資本主義であろうと社会主義であろうと、人は蟻のように働くのが基本という考えが根強いからだ。事実、働かない国民を抱える国は、財政破綻しているケースが多い。金持はますます金持になり、貧乏人はますます貧乏になるのが資本主義のセオリー。しかし、資本主義は一国単位でなく世界単位で機能しているから、金持国はますます金持になり、貧乏国はますます貧乏になる。資本主義社会では、貧乏人に決して「優雅な生活」を与えてくれない。


ホームレスが社会的死者として扱われるのは、不必要な者を排除する多細胞社会のアポトーシス機能で、景気が縮小すると多細胞社会も縮小し、こぼれ落ちる細胞が出てくるからだ。例えば従業員の一人が要らなくなって首を切られるとする。周りの同僚は見て見ぬ振りをするだろう。これが資本主義社会の末端で起こっている出来事で、次の仕事が見つからなければ、ホームレスになるだろう。決してホームレスが怠け者というわけではないのだ。彼は多細胞社会のアポトーシスを食らい、精神的に意欲を失い(ネクローシス)、居場所を無くしてしまうわけだ。もちろん、彼が生来的な怠け者だったとしても、非難されるいわれはない。その遺伝的性格が、貧乏人に労働を強いる資本主義と反りが合わなかっただけの話だ。


蟻社会は人間社会と似ていると言われる。しかし、アミメアリには遺伝的に怠け者の蟻が一定数いて、そいつが巣を食いつぶしていくのだという。それでも一万年以上も種が存続しているということは、働き者の蟻が彼らを養っていても、なんとか続いていけるということだ。つまり、蟻の世界のほうが人間の世界よりも高等な可能性があるかもしれない。働く蟻が働かない蟻をしっかり支えて共存しているのだとすれば……。もちろん、怠け者によって巣が食いつぶされるのであれば、人間でいえば社会が消滅することを意味する。僕が言いたいのは、働く蟻に、怠け者を排除しようという考えがないことだ。これは、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と説いた親鸞と同じような悟りの境地だ。蟻は「あいつは怠け者だ!」とか「怠けやがって!」とか愚痴を言わずに、エサを分け与えてくれるんだから……。


多細胞社会が資本主義を続けていくなら、資本家寄りの政府はもっと下層の人間に目を向けるべきではないだろうか。居酒屋への補償はちゃんと行うべきだし、破産や生活苦による自殺、ホームレス化を防ぐための資金援助はもっと行うべきだ。将来的にはベーシックインカムを導入して、一人の自殺者、一人のホームレスも出さないようにしていけば、近い将来に人類はアミメアリの上を行くことになるに違いない。当然のこと、強い意志で資本家たちを説得しなければ、実現しないことは確かだが、金持がどんどん金持になり、貧乏人がどんどん貧乏になる資本主義システムの弊害は、早急に是正すべき問題だろう。


その立ち位置は、やや上から目線の「慈悲」ではなく、「人間」という同類に対するアミメアリ的「生理的行動」なのだ。つまり仲間を助ける「当たり前の」行動に、政府予算がどうのこうのとビビってはいけないということだ。それにはまず、「金」にたいする人間のしがらみを一度外してみることも大事だろう。太古の原始社会を想像してみることだ。そこで助け合う人間たちはアミメアリのように、生理的な流れの中で自然に行動したに違いないのだから……。








奇譚童話「草原の光」
五 夢のガラクタ


 神殿の中に入ると、真正面に大きな十字架があって、真っ直ぐの道が祭壇に続いていた。けれどその両脇には、壊れて化石になった大昔の発掘品が無造作に積まれていたのさ。
「エロニャンたちは僕が失くした空飛ぶ円盤の修理マニュアルを探してくれているんだ。でも集まったのは、みんな大昔の地球人の発明品ばかり。君たちの祖先は、周りを自分の思い通りにしようと思って、いろんなものをこしらえたんだな」とウニベル。
「君たちだって空飛ぶ円盤を作ったんだろ?」
 先生が聞くと、ウニベルは首を横に振った。
「空飛ぶ円盤は、どこかの星の宇宙人が僕の星にやってきたとき、僕がそいつを真似しちまったからなんだ。僕は何も考えずにそいつの分身になり切っちゃって、気が付いたら円盤に乗っていた。円盤は僕をそいつと勘違いして、次の目的地の地球に来たってわけ」
「で、ウニベルはあたしを連れて宇宙の旅に出たわけ」とステラ。
 先生は、「地球への旅は失敗だった?」とたずねた。
「いいや、ホームシックさえ解消すればいいことさ」
「解消できないわけは、大昔の人たちの夢と努力と欲望が、この神殿に充満しているからだわ」とステラ。
「こんなガラクタ、放り出せばいい。こいつらのおかげで人間はモーロクとエロニャンに分裂したんだ」
 先生が言うと、ウニベルは悲しそうな顔付きで呟くように言ったんよ。
「これらはエロニャンからの大切な贈り物なんだ」



花婿花嫁たちは、祭壇の前でお祈りをした。でも、それはモーロクの習慣で、エロニャンには分からないことだった。モーロクだって、大昔からの仕来りを続けてきただけで、神様のことは何も分からなかった。それでカメレオーネたちは、神殿の壁に描かれた人たちの姿に変身し、結婚式をすることになったんよ。ウニベルは赤い外套を羽織り、冠を被って、杖を持った。ほかのカメレオーネは黒い僧服を羽織った。するとみんな壁画にそっくりになったけど、これらの服は、神殿の地下室に吊るしてあったものさ。地下室には、祭壇の中の床の穴から入れるようになってる。


ウニベルが祭壇の横に立つと、それに対面して一段低い所に新郎新婦が横一列に並んだ。するとウニベルの真正面のカマロの肩から二匹の蛇が抜け出して、ウニベルの杖に絡み付いたんだ。ウニベルは壁画のとおりに右端から新郎新婦の頭に手を乗せていった。でも、何でそんなことをやるのか、ウニベルも分からなかった。新郎新婦もお辞儀をしないで、そのまま突っ立ってたな。


「で、僕は何をしてるんだろう」
 途中でウニベルは、杖の蛇たちに聞いた。
「そんなこと、俺たちに聞いても分からないぜ」
「先生、答えてやりなよ」
「おめでとうって祝福するんだ」って先生は答えた。


 ウニベルは先生の言うように、一組一組に「おめでとう」を繰り返した。ウニベルの祝辞が終わると、こんどは先生が演説を始めた。先生の演説は難しくて、エロニャンには分からなかった、っていうか、そんな話どうでも良かったな。


話の内容をかいつまんで言うと、先生は洞窟の中で、昔の本を発見したんだ。その本にここが載っていたっていうんだな。十万年前、ここには神様っていう偉い人がいて、みんな神様の前で愛を誓い合ったんだそうだ。もともとは同じだったモーロクとエロニャンは、十万年前に別の生き方を選んだ。で、長い間に外身も中身もぜんぜん違っちゃったけど、もとは同じなんだから、もういちど一緒になろうぜってことらしい。そこに、別の星のカメレオーネも加わって、三つどもえで仲良くやってこうぜっていうことらしい。


でもエロニャンにもカメレオーネにも、神様はもちろん、愛も分からなかったな。
「愛って何なのさ」ってカマロは先生に聞いた。
「誓い合うって?」ってアマラも先生に聞いた
「さあ、何だろう。きっと僕よりはカメレオーネに聞いたほうがいいんじゃない?」って先生はウニベルに振った。
 ウニベルは驚いて、「僕は知らないよ」って答えた。
「じゃあ君は、いまここでカマロと同じになってごらんよ」って先生が言う。
 ウニベルはたちまちカマロとそっくりに変身した。
「さあウニベル。君の心もカマロになったかな?」
「さあ、僕の想像だけど、きっとカマロの気分になったよ」
「じゃあカメレオーネのときの君と、カマロのときの君じゃ、気分がどう違うんだね?」


 ウニベルは暫く考えてからカメレオンの姿に戻り、「カマロになったら、僕のいろんな悩み事が消えて、すごく幸せな気分になっちゃった」って答えた。
「そうさ、君はカマロに変身したことで故郷のことも忘れて、幸せを見つけたんだ。それが愛さ」
 すると、カマロは自分のそっくりさんを見ながら、自分の心もすごく幸せになったのを感じたんだ。そいつを先生に告げると、先生は「愛は広がるんだ。そいつはみんなに伝わって、みんな幸せにするのさ」って答えた。おかしなことに、ほかのエロニャンも、モーロクも、カメレオーネも、みんな幸せを感じたんだ。


 それでステラも、「あたしも誰かに変身してみたいわ」って先生に言った。
「じゃあ君は、祭壇の奥の壁際にある十字架にはりつけられたあの痩せたモーロクの像に変身してみなさい」って先生。


彼女は十字架の下に行って、その像とそっくりに変身したんよ。すると十秒も立たないうちにカメレオンの姿に戻って、シクシク泣き出した。
「どうやら君は、幸せにはなれなかったようだね」
「心がとても辛くなって、手足が痛くなって、見捨てられたようで、耐えられなくなっちゃったわ」
「そうさ、あの人は十字架の上で愛する人に見捨てられたと嘆いたんだ。君はあの人に変身したことで、その悲しみを見つけたのさ。それが愛さ。愛は人の悲しみも共有できるんだ」
「きっとその愛する人って、あたしが生まれた星のようなものなのね」とステラ。


 みんなもステラと同じに、目からいっぱいの涙を流した。とくにエロニャンたちは、けがや腹痛のとき以外は泣いたことがなかったので、不思議だったな。
「これで分かったよね。愛は相手の心の中に入り込んで、感じるものなんだ」
 先生はそういって二コリと笑った。


「じゃあ、カメレオーネしか感じないものなんだね?」とカマロ。
「エロニャンは愛の中で生きてるから、感じる必要はないのさ。我々モーロクは、君たちと交わることで、溢れる愛を受け取ることができるんだ」
「でも先生、誓い合うって、何かしら」
 アマラが首を傾げて先生にたずねたな。


「ああ誓い合うねえ。難しいなあ。それはきっと、十万年前の先祖に聞いてみないと分からないことだよ。誓い合うなんて言葉は、ここにはないからね。たぶん彼らの時代の愛は、いまより少なくて、不安定で、消えちまうことがあったんだ。だからいつも摑まえていなけりゃならなかったし、時々確かめ合う必要があった。それで、お互いに貰い合った愛を、決して逃がしませんって約束しなけりゃならなかったのさ」
「どうして少なかったんだろう」ってカマロ。
「ごらんなさいよ、あの崩れた壁の外」
 ナオミが指差した方向は、壁が崩れていて、どこまでも続く草原が眺められたんだ。
「あれって全部、ご飯でしょ」
「そうさ、僕たちはお腹を空かせることはないんだ」ってカマロは答えた。


「根っこの土もご飯だわ」ってナオミ。
「いつもお腹いっぱいだなんて、こんな幸せなことはないぜ。地球は大きなケーキなんだ。愛は幸せな世界で増えるものさ。ここは愛が満ちた世界。でも、大昔は空気が汚れていたし土地も痩せていて、食い物を独り占めする奴もいたんだ。みんな自分の食べ物を取られないように、柵を張りめぐらせていたんだよ」
 先生は皮肉っぽく言った。


「柵って?」ってカマロ。
「それは、十字架のあの人が頭に被せられた茨さ。昔の人はそんな痛いやつを自分の周りに張りめぐらせていたんだ」
「あたしたちは蛇や蔦の尻尾を張りめぐらしているわ」と言って、アマラは笑った。
「それって、食い物をみんなで食べるためのものだろ」とカマロ。
「そう、それは愛の繋がりさ。しかし、柵のある環境じゃ愛も増えなかったんだな。だから、誓い合った相手が愛を逃がしちまうと、自分の愛が変質して、毒に変わることもあったんだ」と先生。


「それはどんな毒なの? トリカブト?」とアマラ。
「いいや。例えば、さっきステラははりつけにされて、彼女の愛は悲しみに変わったね。でも、そこまで彼に苦しみを与えた誰かがいるはずだ」
「そんな人のことまで考えなかったわ」と、ステラは涙目で笑った。
「きっとあの人も考えなかったんだ。アマラ、誰かから酷いことをされたことはあるかい?」
「ないわ」とアマラ。


「そうさ。ここの空気は愛で満ちていて、みんなそいつで結ばれているんだ。愛は君たちを繋げていくものなんだよ。あの人は、そんな愛を広めようと思って、自分をはりつけにした誰かを考えようとしなかったんだ。だって、愛が途切れて、その先端が仲間を探せなくなると、その部分はたちまち鋭い刃物に変わっちまうからね。十万年前の地球では、それを〝怒り〟だとか〝恨み〟だとか〝チキショウ!〟〝ザケンナ!〟だとか言ってたけど、刃物どうしが繋がって大きくなると、大変なことが起きちまうのさ。昔はそれを、憎しみの連鎖とか言ってたな」


「憎しみって言葉は知らないな」ってカマロ。
「じゃあ君は、奥さんのナオミがケントと恋仲だったらどうする?」
「そりゃすごいことさ」
「あたしのこと怒らないの?」
 ナオミは上目遣いで聞いたが、かえってカマロのほうが不思議な顔をした。
「なんで?」
「あなた、あたしのこと愛している?」
「愛ってまだ分からないけど、もちろんさ。だから、ケントのことも愛してほしいのさ」
「ありがとう。実はケントとあたし、恋人どうしなんだ」
「すばらしい。これこそ愛の連鎖じゃないか! 愛は独り占めしてはいけない。独り占めすると、必ず喧嘩が起こるんだ」って先生は興奮して叫んだ。
「じゃあ僕もアマラもナオミもケントもみいんな一緒に夫婦じゃないか!」ってカマロは先生を真似し、興奮して叫んだ。
「いやいや、あくまで夫婦はアマラとケント、カマロとナオミさ。アマラとカマロ、ケントとナオミは恋人どうしなんだ」って先生は難しいことを言い出したな。


「それはおかしいな。じゃあ、夫婦と恋人って、どこが違うのさ」ってカマロ。
「僕たちモーロクじゃ、夫婦は子供をつくっていいけど、恋人どうしはつくっちゃいけないのさ。法律があるんだ」
「不思議、どうして? 何よ、その法律って」ってアマラ。
「洞窟の中は狭くて、そんなに人が暮らせないからよ」ってナオミが言ったな。
「洞窟の中は、自由な世界じゃないんだよ。あれやこれや縛りを付けないと、はみ出しちゃうんだ。だから法律で縛り付けるのさ」とケント。
「あたしの家は、綺麗な金の出る洞穴を持ってるんだ。その洞窟は私が受け継ぐのよ」
 プリンヒルデが自分の胸にぶら下がった金のネックレスを見せびらかした。それには昔の人間が使っていた小判がぶら下がっていたな。エロニャンたちはなんで首にそんな重いものをぶら下げているのかが分からなかった。
「それは何のため?」ってカマロ。
「自慢がしたいのよ」ってプリンヒルデは素直に答えた。
「金を身に付けると、幸運が来るんだ」ってケントが言い直した。


「しかし地底はみんなのものさ。でも、それぞれが穴を掘り進めて、自分のものにするんだ。穴は自分が掘ったものだからね。時たまその穴と他人が掘った穴がぶつかることがあるんだ。そうすると、ぶつかった所に柵をして、二度とぶつからないように反対の方向に掘り進んでいくのさ」って先生。
「君たちは不思議な人たちだね」ってケンタロ。
「一緒に掘ることはないの?」
 アマラはプリンヒルデに聞いた。
「ないわ。だって、大きな金の塊が出たら、喧嘩になっちゃうもの。一緒に掘るのは父ちゃん母ちゃんだけ」
「アアア、また分からなくなっちゃった!」
 アマラは頭を抱えてしまった。
「いいんだよ。分かる必要はないんだ。君たちに父ちゃん母ちゃんはいるの?」
「あたしを生んだ人はいるけど、誰だか分からないわ。お乳をくれる人もいたけど、誰だか分からない。それに気がついたら、一人で草を食べてたわ」
「君たちは全員が家族だから、父ちゃん母ちゃんなんて必要ないさ。みんなが父ちゃん母ちゃんなんだからさ」
 先生はそう言って、苦笑いした。


エロニャンとモーロクはまったく違った環境で生きてきたから、その文化もぜんぜん違うんだな。だけどモーロクは、穴から出てきてエロニャンたちと暮らすことに決めたんだから、エロニャンのように生きていかなきゃならないんだ。ここでは自分の物はみんなの物だし、みんなの物は自分の物なんだ。でもその物は、食い物しかないのさ。だれも首飾りはしていないし、体から出ている物は蛇や蔦の尻尾だけなんだから。首飾りなんかあろうものなら、たちまち取り合いになっちまう。そんな物があっていいことはない。先生も、十万年前の文明が引きずってきたものをモーロクが引き継いだって思ったんだ。とにかく地球はケーキで、モーロクもエロニャンもそれに群がる蟻んこなんだ。


(つづく)





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